1 由奈とのお別れ
空が綺麗な夕暮れ色に染まっていた。
ここはとある駅のホーム。
当物語の主人公、俺、稲橋聖吾は、そのホームから、空に浮かぶ夕日を眺めていた。
そしてそんな俺の隣に、並んで佇む少女が一人。
彼女の名は由奈。俺と同い年の幼なじみで、彼女の両親の仕事の都合で、同じ屋根の下で暮らしていた。
その彼女が今日、今まで住んでいた俺の家から去る事になった。
仕事で遠くの地に住んでいた由奈の両親が、こっちで一緒に住まないかと、由奈に電話で伝えてきたのだ。
それを聞いた由奈は数日間悩んでいたが、遂に昨日、両親と一緒に住む事を決めた。
それはつまり、今まで同じ屋根の下で暮らしてきた俺と、離れ離れになるという事でもあった。
悲しくないと言えば嘘になるかもしれない。
でも今は悲しいというより、実感が湧かないと言った方が正しい。
俺は生まれて今まで多くの時間を、由奈とともに過ごしてきた。
その時間の長さは、親を除けば間違いなく一番だろう。
俺と由奈はいつも一緒に居て、それはこれからもずっと続くものだと思っていた。
それがここで、いともあっさりと終わろうとしている。
本当に?
だって由奈は今も、俺の隣に居るじゃないか。
その由奈を見送る為、俺はこうして駅のホームまで来ているんだけど、やっぱりどうにも実感が湧かなかった。
家を出てからここに来るまで、由奈は普段と全く態度が変わらないという事も、その原因のひとつだろう。
俺と同じように空を見上げながら、
「夕日がキレイだねぇ」
なんてノンキな事を言っている。
でも今の俺は、夕日の綺麗さなんてどうでもよかった。
それより、由奈は今何を考えているのか。
ただ単純に、それが気になってしょうがなかった。
だから俺は、頭に浮かんだ言葉をそのまま、由奈に向かって投げかけた。
「こんなもの、なのかな?」
「ん?何が?」
空を見上げたまま聞き返す由奈に、俺も空を見上げたまま続ける。
「人の別れってやつだよ。お前は今から遠くに行っちまうんだろう?
これからは、今までみたいに会う事は出来ない。
それなのにお前は、いつもと全く変わらない」
「聖吾だっていつもと変わらないじゃないの」
「それはだって、お前がそんなだからだよ。
もっとこう、悲しいとか淋しいとかいう感情は湧いてこねぇのか?」
俺がそう訊ねると、由奈はうつむいて暫く黙った後、答えた。
「まあ、多少は、ね」
そして口をつぐむ由奈。
俺も「そうか」と返した後に、うまく言葉を続けられなかった。
そうして沈黙の時が流れた後、由奈がおもむろに口を開いた。
「ねぇ、どうして『別れ』って悲しいのかな?別に死ぬ訳でもないのに」
「それは、その人と離れ離れになる事自体が、辛くて悲しい事だからだろ。
その相手の事が好きな程、別れの時の悲しみも、それだけ大きくなるんだよ」
俺がそう答えると、由奈は「じゃあさ」と言って俺の方を見やり、今度はこんな事を聞いてきた。
「聖吾は私の事、どう思ってる?」
「え?」
「だから、私の事が、好きかどうかって事」
「・・・・・・」
由奈の言葉に、俺は目を丸くした。
彼女が俺にそんな事を聞くのは初めてだった。
俺自身、その事について考えた事は、全くと言っていいほどなかった。
俺は、由奈の事が好きなのか?
今更ながらに、自分にそう問いかけてみる。
すると、その答えを出すより先に、
「ありがとう、よく分かったわ」
と由奈が言い、俺にハンカチを差し出した。
その行動に俺は一瞬戸惑ったが、理由はすぐに分かった。
俺の目から、大粒の涙がこぼれていたのだ。
見ると、由奈の目からも涙がこぼれている。
そしてこう続けた。
「私も、ずっと好きだった。聖吾の事」
その言葉に、俺は全身が焼けるように熱くなるのを感じた。
そしてこの瞬間、ハッキリと確信した。
俺は、由奈の事が好きなんだ!
それは俺の目から流れ出る涙からも分かる。
だから俺も由奈に伝えようとした。
「俺だってお前の事──────」
「言わないで!」
やにわに由奈が俺の言葉をさえぎった。
そして、呟くようにこう続けた。
「それ以上言われると、私、もっと泣いちゃうから・・・・・・」
するとそんな中、駅のホームに電車がやって来た。
そしてそのドアが開くと同時に、由奈は早足に電車に乗り込んだ。
「由奈!」
慌てて呼び止める俺。
すると由奈は立ち止って俺の方に振り返り、精一杯の笑みを浮かべてこう言った。
「サヨウナラ」
「あ・・・・・・」
その言葉に、俺は何も返せなかった。
ただその場に立ち尽くす事しかできなかった。
そうこうしているうちに電車のドアは閉まり、再びゆっくりと走り出す。
俺はそれを追う事もせず、由奈の乗った電車を、ただただ見送った。
やがて電車は遠くに走り去り、その姿も見えなくなった。
ホームにポツンと残された俺は、ガクッとその場にひざまずいた。
そしてまた、目から大粒の涙があふれ出した。
「う・・・・・・く・・・・・・」
涙が止まらない。
俺はバカだ。
どうして今まで、こんなにも由奈が好きだった事に気づかなかったんだろう?
もっと早く気づいていれば、由奈にちゃんとこの気持ちを伝えられたのに。
自分の口から『好きだ』と言えたのに。
今となっては何もかも手遅れ。
そう思うと、尚更涙があふれてきた。
そして俺は、今更遅いと分かっていながらも、こう叫んだ。
「由奈ぁあああっ!行かないでくれぇええっ!」
するとその直後、
「早く起きなさいよ!」
というとてつもなくデッカイ声が、俺の耳にキーンと響いた。
そして俺は、目を覚ました(・・・・・・)。
そう、今までのこれは、全部夢だったのだ。ちゃんちゃん。