これから死ぬ、悪役令嬢へ
もう、疲れた。
有力貴族が通う名門学院。
そこにある庭園のガゼボ、休息用の建築物で黒髪令嬢、リタ・レルメディは呟いた。
「それって……楽になりたいってこと?」
「……そう」
「じゃあ、一緒に背伸びしよう。少しは楽になるよ」
向かい合っていた金髪子息、リーオ・エインスレイが、椅子に座ったまま背伸びをする。
暗い表情を崩さないリタに対して、その物腰は緩くて柔らかい。
「ふぅ、身体がジ~ンってなって、力が抜けるなぁ」
「……」
「どう? ジ~ンって来た?」
「少しは……ある、かも……」
つられてリタも背伸びをする。
暗い顔は晴れなかったが、それでも背伸びを終えた口調は少しだけ落ち着く。
彼女のまともな話し相手は学内で唯一、幼馴染のリーオだけだった。
「何があったんだ?」
「……また、皆に迷惑をかけたの」
「そうだったのか……」
「私は愚図だから……迷惑かけてばかり……。姉様は、あんなに出来る人なのに……どうして私は、何も出来ないんだろう……」
リタは二女であり、数歳年上の姉がいる。
才色兼備、周りから一目置かれる程の才女。
それでいて、姉の言動はまさに悪役令嬢の如き振る舞いだった。
権力と財産を持て余すレルメディ家の令嬢として、周囲の学生を従えていく。
代わりにリタは、常に姉の後ろを付いて回っていた。
そうしろと、言われていたのだ。
しかし才覚は優れず、この学校にもレルメディ家の者という理由だけで入学。
何をしても上手くいかない、失敗も多い。
周りの者からは愚図とすら揶揄される。
リタも姉に付き従う悪役令嬢として、別の意味で遠ざけられていたのだ。
するとリーオは問う。
「でも、頑張ったんだろう?」
「……」
「全部が全部、ダメだったなんて事はないんだ。リタは、頑張った。それだけは、ダメなんかじゃないんだよ」
「そんなの、駄目よ。頑張るだけじゃ、何も出来ないんじゃ、駄目なのよ」
「どう考えるかは、人それぞれさ。俺はただ、君が頑張ったことを褒めたいんだ」
彼は責めなかった。
間違いなど誰にでもある。
間違えたからと言って、全てを否定する権利は誰にもない。
だからこそ、彼はリタを褒める。
「よく、頑張った。だから今は、ゆっくり休んで良いんだ」
「……」
「今日は良い茶葉を持って来た。リタも、気に入るんじゃないかな」
そうして今日も、リーオは優しく出迎える。
彼女の苦悩は、よく分かっているつもりだった。
レルメディ家という重圧と、姉という明確な比較対象。
自分への劣等感ばかりが、リタを苦しめ続ける。
苦しくて苦しくて、死を選びそうになる。
彼からしても、簡単に払えるものではない。
だから大丈夫、などとは言わない。
だから元気を出せ、とも言わない。
寄り添うだけで良い。
傍に誰かがいると、分かってくれれば良かった。
「じゃあ! また、明日も会おうな!」
「……うん」
そうして二人の時間を過ごした後、そう言って別れる。
いつもと変わらない日々。
いつも交わす別れの挨拶。
また明日、元気な姿で会おう。
それだけの会話だったが、リタは何処か救われた顔をするのだ。
だからリーオはいつも放課後の庭園で、幼馴染の彼女を待つのだった。
「お父様もお母様も、私を嫌っているの」
「……そうなのか?」
「私って、姉様と比べられない位、何もないから。何も出来ないと、溜め息をつかれるの。姉様は出来るのに、どうして、こんな事も出来ないのかって。誇り高いレルメディ家の娘なら、出来て当然だって」
日々、リタは何かに追い詰められていた。
自分が何も出来ないから。
誰かに陰口を言われたから。
両親の期待に応えられず、呆れられたから。
原因は様々だ。
頑張っているのに、努力しているのに、どうにもならない壁が目の前にある。
そしてその壁に、彼女は押し潰されそうになっている。
だから少し考えた後、リーオは言う。
「じゃあ、怒ってみようか」
「え?」
「ここでちょっと、怒ってみたらどう? うるせ~、勝手だろ~! みたいな感じで」
「で、でも、そんなの……」
「溜め込んでばかりじゃ、余計に辛くなるだけだ。息を吐かないと、吐き出さないと、風船みたいに割れてしまう」
リーオは嫌な事は嫌だと言う性分である。
なので、自分の心に溜め込んでしまうリタの気持ちを推し量る。
きっと、彼女は一歩踏み出すのが怖いのだ。
自分の気持ちを言えば、吐き出せば、更に失望されて嘲笑される。
今までの環境が、彼女を雁字搦めに縛り付けているのだろう。
だが、そんなのは勝手にさせておけば良い。
他の誰でもない、自分自身の人生なのだから。
「弱音くらい吐いてもいい。強くなくていい。弱くていい。リタの考えている事を、隠さずに、表に出してもいいんだ」
「……」
「君は優しいから、難しいかもしれない。それでもし、思い切る事が出来ないなら、たまに此処に来て、愚痴だけ吐けばいい。気を使うばかりじゃ、本当に疲れるだろう? 俺は幾らでも付き合うよ。そうして、一歩ずつ進んでいくんだ。誰かと比べるんじゃなくて、ゆっくりと、どれだけ遅くてもゆっくりと、さ」
一歩踏み出す勇気は、簡単には持てない。
だから後押ししてくれる人が必要だ。
リーオはその役目を請け負った。
彼女から言われるまでもなく、雁字搦めになっている糸を、一つずつ取り除きたかった。
すると暫くして、申し訳なさそうにリタは俯く。
「……どうしてそんなに、してくれるの?」
「だって幼馴染だし」
「理由に、なんないよ」
「そうかな。幼馴染だから、昔から知っているから、リタが悲しいと俺も悲しいんだ。それだけじゃ、ダメかな」
大それた理由はない。
あるのはリタと幼馴染だという関係だけ。
身近な人が悲しんでいれば、力になろうとするのは当然だ。
迷惑ではないか。
口では言わないが、態度で仄めかす彼女に、リーオは変わらない態度で受け入れるだけだった。
「じゃあ! また、明日も会おうな!」
「……うん」
そう言って、二人は今日も別れる。
また会おうと背中を押されながら、リタは少しだけ寂しそうな顔をした。
いつの頃だったか。
幼少時代、やんちゃしたリーオが大怪我を負った時、真っ先に彼女が駆け付けて手当てをしようとした。
周りの人々が動転して動けない中、手を差し伸べてくれた事を思い出す。
あれはまさしく、勇気を持って踏み出した確かな思いだった。
彼女の中にある、彼女の優しさだった。
だから今度は、自分が手を差し伸べるのだとリーオは決意する。
これから死ぬ、悪役令嬢へ。
ここに居場所はあると、引き止めるために。
●
そうして、死を願うリタの日々は過ぎ去っていく。
周りの環境は少しずつ変わっていくが、二人の関係は変わらない。
共にいる、一緒にいる。
それだけで良かったのだろう。
するとある日、唐突にリタが言う。
「私、ただ悪い風に見られるだけで、何の価値もないって思ってた。何が正しいのかも、何をすればいいのかも、分からなくなって……」
「……」
「でもそんな事、考えなくて良かった。正しいかなんて、分からなくて良い。分からないままで良い。ただ、自由に……無理をしない生き方が出来れば」
「……無理をし過ぎると、自分を傷つけてしまうから、な」
「うん。私はレルメディ家の娘だし、やっぱり難しいこともある。でも、最初は怖かったけど、それでも私を大切に思ってくれる人がいるなら、それだけで歩いていける気がするの。だから……」
そこで区切って、彼女はリーオを見つめる。
意志の込められた瞳が、微かに揺れる。
「無理、しなくて良いよ」
「!」
「姉様から、告白されたんでしょう?」
リーオは目を丸くする。
つい最近の出来事だ。
彼はリタの姉に告白されたと、他のクラスメイトから伝えられた。
ただ好きと言われただけではない。
貴族同士の告白が何を意味するか、分からない訳ではない。
「……知ってたのか」
「うん……」
「でも、どうして?」
「私と違って姉様は何でも出来るし、沢山の人と知り合ってる。強くて、賢くて、思いやりのあるリーオと、とてもお似合いよ」
自分よりも遥かに勝っている姉が、リーオを欲した。
妹であるリタに否定できる力はない。
それに彼にとっても、それが一番幸せだと思ったのだ。
姉がアプローチを掛ける事なんて滅多にない。
それ程まで気に入られたのだろう。
辛い。
悲しい。
でも自分も、いつまでも迷惑をかける訳にもいかない。
あくまで彼を送り出すために、頑張って勇気を振り絞る。
「う~ん、なんて言ったらいいのかな」
すると彼は言い難そうにしながらも、残念そうに答えた。
「断ったよ。あの後、場所を変えて直ぐにね」
「えっ!?」
「まぁ、断られると思ってなかったみたいで、逆に俺が怒られたけど」
「ど、どうして?」
「どうしてって、それは……」
「……?」
「実はあの人、苦手だったんだよ」
身も蓋もない事を言いつつ微笑むが、リタからすれば信じられないものだった。
まさか姉に対して、否定を突き付ける者がいるとは思わなかった。
他の人々もそうだろう。
姉相手に首を振れば、どうなるか分かったものではない。
しかし彼の身分、エインスレイ家は多くの宝石を採掘できる巨大鉱山の所有者だ。
貴族の持つ宝石も、そこから賄われているものが多数ある。
宝石の類を一切身に着けていないので、そんな風貌には見えないが、レルメディ家に匹敵する大貴族の子息なのである。
そんな彼が、穏やかな彼が、面と向かって姉に反抗した。
普段見ない力強さに、自分にはないものに、少しだけ胸が熱くなる。
何も考えなくても、そこに自分が引かれていくのが分かる。
「そう……そう、なのね……」
「うん」
「わ、私も」
「うん」
「苦手、だったの」
「知ってる。でも、聞けて良かった」
誰かのためではなく、自分のための言葉を、リタはようやく吐き出す。
何故、姉の誘いを断ったのかは分からない。
決して、苦手だからという理由だけではないだろう。
まさか自分のために、そんな考えが過ぎってしまい、一転して自分が嫌になる。
これは悪い癖だ。
昔からの浮足立ってしまう、褒められ慣れていないがための癖。
自意識過剰もいい所だと、自惚れも大概にしろと、彼女は無意識に自分を責める。
「……ごめんなさい」
「はは、何でリタが謝るのさ」
リーオを話していると、時折勘違いしそうになる。
勘違いしたくなる。
理由なんて知れている。
そこにしか、道がないからだ。
塞がれていた自分には、そこ以外に通る道がないからだ。
期待すれば、それが間違いだと気付いた時、余計傷つくだけなのに。
それなのに、こんなどうしようもない自分を前にしても、彼が傍を離れないから、傍にいるから、そう思ってしまう。
するとリーオはそんな考えを知ってか知らずか、ゆったりと椅子に腰かけた。
「今までと同じだよ。変わらない。昔、リタが手を差し伸べてくれた時と同じようにね」
今までと何も変わらない。
庭園の一角で、ゆったりとした時を楽しむ。
それが嬉しくて、そして怖い。
全て否定され続け、何の価値も存在理由も見いだせず、死にたいと吐露してからそうだった。
死ばかり考えていた自分が、彼に助けを求め、そして彼に会う事ばかりを考えるようになっていった。
「……明日も、また会えるよね?」
「勿論。だから今は、ゆっくりしていようよ」
リタの言葉にリーオは頷く。
未だに臆病さは取れない。
何かが解決した訳でもない。
だがいつかは失くしてしまったかつての自分も、此処にいれば、取り戻せるのかもしれない。
もっと踏み出せるかもしれない。
リタはそう思い、微かに笑う。
そんな二人が婚約関係になるのは、学院を卒業して半年後のことだった。
周りからの反対もない訳ではなかった。
不釣り合いに決まっている。
何も知らない適当な言葉で、仲を引き裂こうとする者もいた。
しかし二人は離れなかった。
意地ではない。
いつも通りなのだ。
何も変わらず、いつもと変わらず傍にいる。
ただ、それだけの事。
リタはいつの間にか、朗らかな笑顔を取り戻すようになった。
貴族の娘として、未熟な点がないとは言えない。
それでも無暗な死を望むことはなくなった。
そしてそんな様子を見て嬉しそうなリーオと、彼女は手を繋ぐのだ。
これからを生きる、自分達へ。
今が確かに幸せであると、伝えるために。




