第六話 精霊巨神の敬虔な使徒たる神官戦士スカード(その2)
「スカードお兄様、ウソをついたでしょう。別に怒らないから、ちゃんとホントのことを言ってね。邪竜お爺様の手懸かりになるようなことなら、どんな些細なことでも重要なんだから」
「ミルフィア、時にはウソの説明が必要なこともあるのだよ。とはいえ、バンダイン様の調査指示もあるのだから、今回は仕方ないね。実は、ブラックドラゴン様の精神の治療のために、定期的に洞窟の住処を訪問していたのだよ」
神官戦士スカードは嘆息した後、観念した様子で説明しはじめた。
黒き邪竜ブラックドラゴンは暗黒魔力の化身である。この精霊大陸エレメンタルランドに破壊と殺戮を繰り広げる恐怖の存在だ。
ところが、如何なる偶然の産物か、ブラックドラゴンは優しく穏やかな人柄で、人間と対立することはなかった。しかし、暗黒魔力が命の源である以上、その影響は確実に存在していた。
サティライム王国の人々と平穏で温かい生活を送るため、漆黒の老竜は心の奥底から沸き起こる破壊衝動を精神の力で抑制していた。
ところが、年齢を重ねるうちに、抑制することが困難になってきたのだ。
ブラックドラゴンが暗黒魔力の破壊衝動に乗っ取られて、思う存分に暴れはじめたら、エレメンタルランドは大惨事である。
漆黒の老竜は最初に自殺による解決を模索したという。しかし、黒き邪竜が力尽きるためには、暗黒魔力を大量に放出する必要がある。
邪竜火山パラヴィルマウンテンとその周辺一帯の動物、植物は死滅してしまうだろう。
その上、暗黒魔力の霧は空に昇って真っ黒な毒雲となり、エレメンタルランド全土に黒い猛毒の雨を降らせることになる。
暗黒魔力は勇者一族の操るオーラソードによって、完全に浄化可能である。
ところが、魔法炉戊ドラゴンバスターに搭乗し、オーラソードを操ってバシバシ活躍していた先代の勇者ノーヴィスはすでに亡くなっている。
息子の少年勇者はまだまだ修行中である。
オーラソードはオーラ武装の中で最も威力が高いものの、難易度も非常に高いため、勇者ワウディスはまだ修得できていないのだ。
ブラックドラゴンは苦悩の末、高司祭ニトールに相談することにした。
高司祭ニトールは漆黒の老竜のうちに秘めた秘密と、その重大性に驚愕した。
そして、暗黒魔力の抑制の助けとなるよう〈精神治癒〉の神聖魔法を施しつつ、同じく暗黒魔力抑制作用のある樹霊キノコや焔霊トマトなどの精霊食材を洞窟の住処に持参した。
高司祭ニトールはサティライム王国の公式行事なども取り仕切る立場で忙しいため、その役目は、神官戦士スカードに託されることになった。
そして、誠実な神官戦士の少年は真摯に精神治療に取り組んできたのだった。
「ブラックドラゴン様は〈精神治癒〉の魔法と精霊食材の食事で、それなりに負担が減ったようだった。ただ、油断は一切できない。このことは世界の運命に関わる重大事だから国王陛下とターキム騎士団長にしか知らせていない極秘事項なのだよ」
「そんなことがあったなんて……わたしは全然知らなかったわ……」
「ボクも……邪竜お爺ちゃんはそんなことひと言も言ってなかったよ……」
二人は親しい老竜が深刻な悩みを抱えていたことを知って、強い衝撃を受けた。
「この話はとても重いからね。ブラックドラゴン様はワウディス君やミルフィアに心配をかけまいと思って、ずっと黙っていたのだろう」
「でも、いまの話は邪竜お爺様の行方の手懸かりになるかも……邪竜お爺様は暗黒魔力を抑制する方法を探すために、エレメンタルランドのどこかに出かけたんじゃないかしら?」
「それなら父上やわたしにひと言相談があると思うのだけどね……そういう事情だから、ブラックドラゴン様が亡くなったというのは、やっぱりおかしいかもしれないね。亡くなっていたら、いまごろ世界中で大騒ぎになっているはずだよ」
「そうなんだね! じゃあ、きっと邪竜お爺ちゃんは生きているんだよ!」
ブラックドラゴンが生存している可能性が高いという事実が明らかになり、勇者ワウディスは歓喜のあまり興奮して叫んだ。
「そうね、邪竜お爺様は何かの理由で、黙ってどこかに行っただけなのかも……」
ミルフィアは漆黒の老竜の行方について、改めて心当たりを探った。しかし、幾ら考えてみても、立ち寄りそうな場所は思い浮かばなかった。
その隣で、神官戦士スカードが勇者ワウディスにヒソヒソ声で話しかけた。
「あのさ、ワウディス君、例のアレだけど……」
「えっ? 例のアレ……アッ! そうだったね。ちゃんとゲットしておいたよ」
勇者ワウディスは腰のポーチから一枚のチケットを取り出した。虹色ホログラムのロゴ入りの凝った造形の入場券である。
「来週開催予定のエレメンタルシスターズのコンサートチケットだよ。スカード君はメグノルンちゃんが推しメンだったよね?」
「ワウディス君、声が大きいよ! ミルフィアに聞かれたら困るから……」
「アッ、ご、ごめん……」
実は、神官戦士スカードもエレメンタルシスターズの大ファンなのだ。
しかし、謹厳実直な精霊司祭を務める神官戦士スカードは、その事実を隠していた。
チケット類も人前で購入できないため、少年勇者に依頼していたのだ。
このやり取りは、少し離れた場所でヒソヒソと小声で行ったものだった。
しかし、巫女姫の鋭敏なアイドル熱センサーは、二人のやり取りを全部探知していた。
「ちょっと、お兄様! アイドルには全く興味がないって言っていたじゃない!」
「あ、いや、あれは、その……」
「やっぱり、メグノルン好きの噂は本当だったのね。精霊巨神の神殿の司祭を務めるお兄様までエレメンタルシスターズにハマっているなんて……本当に信じられないわ……」
ミルフィアは敬愛すべき兄の隠された素顔を知って、呆れるより嘆息した。
「なあ、ミルフィア、わたしは司祭を務めているけど、アイドルが好きでも別に問題はないんじゃないかな。仕事に支障があるわけではないし……」
「問題があるなんて言っていません! ただ、お兄様はファンじゃないって、ずっと言っていたのに、それを隠していたから、気に入らないの!」
「そうか、そうだったね……」
ミルフィアは頬を膨らませて、目いっぱいの抗議をした。その抗議の仕草はむしろ可愛らしいけれど、大真面目な妹の気迫を前にして、ひと言でも中途半端なコメントを述べるわけにはいかない。
神官戦士スカードは困惑した面持ちで、ただ沈黙するしかなかった。
「全くもう! 邪竜お爺様が大変なことになっているっていうのに、アイドルのことばかり考えているなんて……ホントに信じられないわ!」
ミルフィアは眉を吊り上げて怒ったまま、精霊巨神の神殿を出て行った。
「アッ! 待ってよ、ミルフィアちゃん!」
精霊の乙女アイドルのエレメンタルシスターズが絡むと、いつもミルフィアは不機嫌になる。どうして良いかわからないけれど、このまま置いて行かれると、後でどんな顔をされるかわからない。
そのため、勇者ワウディスは、慌ててミルフィアの後を追いかけて神殿を出て行ったのだった。