第四話 臆病で弱虫泣き虫の困った少年勇者ワウディス(その2)
ふと、ミルフィアは勉強机の上に飾られている白い魔法粘土製の模型に目を止めた。
少年勇者の持っている炉戊モデルである。純白の装甲の各処に鮮やかなブルーを配した美しい機体だ。機体名称はソードグランダムという。
魔法炉戊の操縦士はオーラ機士と呼ばれ、特別な能力が必要となっている。
ゴーレム機兵の召喚魔法と精神融合による操縦スキルはどちらも難易度が非常に高い。
勇者ワウディスはその特別な能力を持つ希少なオーラ機士のひとりだった。
少年勇者は魔法粘土製の模型をいつも大事に手入れして、机の上に飾っている。
ところが、その純白の炉戊モデルは、右肩や腰の辺りの一部、左の膝部分の装甲が欠落していた。まるで戦闘して損壊した跡のようだ。
魔法炉戊が戦闘で破壊されると、元の炉戊モデルに戻った時に、同じ箇所が破損した状態となるのである。ミルフィアはハッとなって、目を見張った。
魔法炉戊が破損しているなら、本人も怪我をしている可能性があるのだ。
勇者ワウディスは机の上にエレメンタルランドの地図を広げて、ブラックドラゴンの行き先をアレコレと思案している。よく見ると、少年勇者の後頭部に大きめの湿布が貼られていた。
「ちょっと、ワウディス君、その湿布は何? もしかして頭を怪我しているの?」
「えっ? この湿布のこと? えっと、別に大した怪我じゃないよ……」
「ちょっと見せなさい! もう、何よ、これ、ちゃんと〈治癒〉の魔法を使ったの?」
ミルフィアは少年勇者の頭を手で引き寄せて軽く診断し、ムッと眉を寄せた。
大した傷ではないけれど、単に薬草付きの湿布を貼っただけの応急処置である。
「えっと……〈治癒〉の魔法を使ったけど、うまくいかなくて……」
「そもそもどうして怪我をしたの? 魔法炉戊の戦闘で怪我したの?」
「えっと……実は、階段から転げ落ちちゃって……カッコ悪いよね……」
「もう! 怪我をしたのにカッコいいも悪いもないでしょ。怪我をしているなら先にそう言いなさいよ。どうせ、自分だと回復タイプの魔法は上手に使えないんだから!」
ミルフィアはそう説教をしつつ、薬草付き湿布を剥がした。〈治癒〉の呪文を詠唱し、胸に提げた聖印を頭の傷跡に近づける。
温かい命のオーラパワーが溢れ出し、赤い傷跡をみるみる癒していった。この巫女姫は、精霊巨神の巫女らしく回復タイプの魔法は得意なのだ。
それから、ポシェットから軟膏付きの布片を取り出し、テキパキと素早い動作で傷跡に貼り付ける。
回復魔法で治癒しているけれど、念のための処置である。思ったより軽い怪我だったので、ミルフィアはホッとした表情になった。
「そんなに大した傷じゃなかったからいいけど、今度から、ちゃんと正直に言わなきゃダメよ。だいたいどうして階段で転げ落ちたりしたの?」
「それはボクもよくわからなくて……気が付いたら階段の上に立っていて、そのまま足を踏み外して、下まで転げ落ちちゃって……〈治癒〉の魔法を使ったけど、うまくいかなくて、薬草付きの湿布を貼ったら痛みが和らいだからいいかな、と……」
「もう、わかったわ。それよりも、邪竜お爺様の行方の手懸かりを探さないと……」
「じゃあ、とにかく、サティライム王城とか、人の多い場所で聞いて回ろうよ」
「それではダメよ。邪竜お爺様は空を飛べるのよ。エレメンタルランドのどこへでも飛んで行けるのだから、聞き込みをするにしても、手懸かりがないと探しようがないわ」
「そ、そっか……そうだね、どうしよう……」
ブラックドラゴンの居場所の心当たりを探って、頭をひねり続ける勇者ワウディス。
お子様勇者の姿は見るからに頼りない。良い智恵は期待できないだろう。
邪竜お爺様の行方の手懸かりは、やっぱり自分で探すしかないか……と、ミルフィアは心の中で何度目かのため息をついた。
ふと、少年勇者の部屋全体を見回して、その様子にムッと眉をしかめた。
「個人の趣味だから別に構わないけど、本当にアイドルが好きなのね……」
勇者ワウディスの部屋には、アイドルのポスターが壁のあちこちに貼られたり、机の上に卓上カレンダーや魔法粘土製の小型フィギュアが飾られていたりと、非常に賑やかだった。
いま流行りの精霊の乙女アイドル、エレメンタルシスターズである。六つの精霊をモチーフにした六人組のアイドルグループだ。
女の子の名前は、光のティターニア、火のサラマンディー、水のアクアマリン、風のシルフィーユ、土のメグノルン、樹のドリアーネである。
そして、勇者ワウディスは、このうち水のアクアマリンの熱烈ファンなのだった。
幼なじみの少年勇者が精霊の乙女アイドルにハマっているのは知っていたものの、いざ部屋の様子を見て現実に直面すると、何となくムッとしてしまうミルフィアなのだった。
「部屋中グッズだらけにしちゃって……ちゃんと剣と魔法の修行はしているのかしら?」
ミルフィアは不機嫌な面持ちになって、そう愚痴をこぼした。棚に並ぶアイドルグッズを眺める目付きも、結構険しい。ふと、視界の片隅に、本棚の上に載っているポーションのビンが映った。
可愛らしいアイドル衣装をまとった美少女のマジカル写真が貼り付けられている。
アイドル手造りの特製ポーションである。
アクアマリン本人がポーション専門家の魔法師と一緒に製作したというポーションアクアは〈治癒〉の魔法と同じ効果があるのだ。
ビンに貼られたマジカル写真の美少女は、ホワイトブルーを基調とした精霊の羽衣をまとい、抜群の笑顔で決めポーズを取っている。
羽衣の端々から舞う水しぶきのような精霊の粒子が目に眩しい。ボリューム感たっぷりの胸の膨らみの前に、両手でハートマークを作っている。
「…………………………………………………」
ミルフィアはマジカル写真の美少女の姿を、憮然とした面持ちで見つめていた。
アクアマリンの可愛らしい容姿や抜群のスタイルは、非常に魅力的である。
また、エレメンタルシスターズは歌やダンスのパフォーマンスの高さにも定評がある。
人気があるのは、十分理由があるのだ。
ただ、ミルフィアとしては、どうしても眼前の存在に対して重いような苦いような特別な感情を抱かざるを得ないのだった。
ミルフィアはため息をついて、ポーションアクアを手に取った。軽く眺め回すと自然にフタの上に目が止まり、或る数字の羅列が目に入った。
「ちょっと、ワウディス君! このポーションの使用期限はもう切れているじゃない! どうして期限の切れたポーションを置いているのよ!」
やや興奮して眉を吊り上げて詰問するミルフィア。ポーションの使用期限を守るのは、安全上の最低限のルールである。ところが、勇者ワウディスは平然とした口調で答えた。
「ああ、それはね、だいぶ前にマジカル写真が可愛いから買ったんだけど、使うのがもったいないから、ずっと置いていたんだ。そうしたら、いつの間にか使用期限が切れちゃってさ」
「何言っているのよ! 使用期限が切れたポーションは変質して毒になっちゃうこともあるのよ。間違って飲んじゃったらどうするの? 使用期限が切れたら捨てなきゃダメよ」
「待って! 捨てるのはダメだよ。飾るためのものだから間違って飲んだりしないよ!」
少年勇者は慌てて駆け寄り、処分するために中身に浄化魔法をかけようとしたミルフィアから、ポーションアクアのビンを奪い取った。
そのあまりに必死な仕草に、ミルフィアは怒るよりも呆れてしまった。
「本当にもう……もしかしたら、他にも同じような人がいるかも……間違って毒になったポーションを飲んだら危ないし、念のため、ティラミスお姉様に相談した方がいいかしら?」
ポーション類の使用期限遵守は一般常識である。しかし、期限を過ぎても処分しない事例が多数あるようなら、注意喚起が必要かもしれない。
ミルフィアは精霊巫女としての使命感から、先輩巫女にあたるティラミスに相談すべきか、真剣な表情になって考えはじめた。
そうして、思案しているうちにふと或る事実が閃き、いきなり興奮した声を出した。
「そうだわ! ポーションよ! このポーションアクアは、フォクセル君がアイドルの女の子を指導して一緒に作ったものよ!」
「えっ? ミルフィアちゃん、どうしたの?」
「確か、ポーションの実験か何かの相談のために、最近、フォクセル君が邪竜お爺様に会いに行っているって聞いたことがあるの。もしかしたら、何か知っているかもしれない」
魔法師フォクセルは同じ年頃のとても優秀な少年魔法師で、二人の友達だった。
「う~ん、でも、邪竜お爺ちゃんは暗黒魔力がエネルギー源の黒き邪竜だから、回復用のポーションとかは必要ないから、あんまり縁がないよ。行き先とは関係ないんじゃないかなあ……」
「それは聞いてみないとわからないでしょ。ワウディス君、一緒についてきて」
「えっ? ボクも行くの? ボクは邪竜お爺ちゃんを探しに行きたいんだけど……」
「だから、邪竜お爺様の行き先は手懸かりがないと、どうしようもないでしょ! とにかく、ワウディス君も一緒についてくるの!」
「そ、そっか。そうだね……うん……」
ミルフィアの突飛な発想に戸惑ったものの、少年勇者は幼なじみの巫女姫の勢いに気圧されてしまい、従わざるを得なかった。
こうして、ミルフィアは戸惑う勇者ワウディスを強引に引き連れつつ、少年魔法師フォクセルの住む魔法師の塔に向かったのだった。