第三話 邪竜火山パラヴィルマウンテンの邪竜の住処
エレメンタルランドの北西エリアの火山地帯に、巨大な黒い火山があった。邪竜火山の呼び名で知られるパラヴィルマウンテンである。
モクモクと黒い煙を噴き続ける姿は、その名にふさわしい威容である。その頂上にブラックドラゴンの住む洞窟の入口があった。
突然、邪竜火山の頂上にある洞窟の入口前に、虹色の楕円形の渦が発生した。そして、その光の渦の中から、ひとりの少女が飛び出してきた。
精霊巨神の巫女ミルフィアである。
「さあ、早速調査をはじめなくちゃ!」
天真爛漫な巫女姫は早速〈聖なる光〉の呪文を詠唱した。たちまち、胸に提げた聖印のペンダントから眩い光がこぼれはじめる。
その聖印の鮮やかな純白の光を頼りに、早速洞窟の中を進みはじめた。洞窟の幅はドラゴンの住処だけあって、巨大で悠々としたものである。
この洞窟は分岐が多数あって迷路のように複雑になっている。しかし、彼女にとっては通い慣れた道のため、すぐに奥の住処に辿り着いた。
広い空間の住処には、たくさんの衛兵たちが調査に当たっていた。ミルフィアは衛兵たちに挨拶しながら、住処の洞窟の部屋を見て回った。
「邪竜お爺様のご遺体は、どこにも見当たらないけれど、どうしてかしら?」
親しい老竜の亡骸がどこにも見当たらず、ミルフィアは首を傾げた。ただ、寝床の広い部屋の床に、真っ黒い染みが広がっていた。
その部屋の壁には、戦闘の跡らしき亀裂や陥没がたくさん発生していた。そして、衛兵たちがそれらの痕跡に取り付き、ルーペで丁寧に調べていた。
「あら、あそこにいる純白の魔法炉戊は、もしかしてアーニー君の機体かしら?」
真っ黒い沁みの傍に、巨大な騎士鎧タイプの戦士像が立っていた。魔法炉戊と呼ばれる精霊力で稼働するゴーレム機兵である。
全高約七メートル程度の魔法粘土製の巨人だ。
頑丈そうな装甲は有機的な温かみを持つ魔法粘土製で、操縦席のある胸の部分には、円型のオーラクリスタルが填め込まれている。
精霊は万物の源であり、動物も植物も精霊から誕生した。生き物はすべて精霊の力を保有しており、この精霊力をオーラパワーと呼ぶ。オーラパワーは魔法や魔法機関のエネルギー源となっている。
その魔法炉戊は王国騎士団のエース、聖騎士アーニー・マックスの愛機だった。
機体名称はグランドクロス。王国騎士団に伝わる名機である。純白の装甲の各処に金色の装飾を配した姿は、優美さと勇壮さを感じさせる。
どうやら、王国騎士団の若き副団長がこの調査の指揮を取っているようだ。ミルフィアは純白の魔法炉戊に近寄って、話しかけた。
「こんにちは、アーニー君。邪竜お爺様の事件の調査の指揮ご苦労さまです」
「おや、ミルフィアちゃん。こんな場所まで来て一体どうしたのですか?」
グランドクロスは騎士兜タイプの顔面を巫女姫の方に向けて言った。操縦者の声がそのまま喉元のスピーカー装置から流れる仕組みである。
「ちょっと邪竜お爺様のご遺体を見たいと思ったんです。ただ、どの部屋にもご遺体が見当たらないようですけど、どうなっているのですか?」
「実は、我々が洞窟の住処に到着した時から、この様子なのです。伝令の衛兵はあの時に確かにブラックドラゴン様のご遺体を見たと主張していますが、どこにも見当たらないのです」
「じゃ、じゃあ、もしかしたら、単なる見間違いだったのかも? 邪竜お爺様はまだ生きている可能性があるってことではないでしょうか?」
予想外の事態に、ミルフィアは目を輝かせた。敬愛すべき老竜の死が誤報なら、これ以上の吉報はない。しかし、聖騎士アーニーの操るグランドクロスは落ち着いた様子で、小さく首を横に振った。
「ご遺体ソノモノはありませんが、寝床の部屋に真っ黒い染みが広がっています。ドラゴンの遺体は死後に溶解してしまい、跡形もなくなるという伝説がありますので……」
「そうなのですか……じゃあ、あの黒い染みが邪竜お爺様のご遺体の跡なのですね」
「それはまだわかりません。ただ、ブラックドラゴン様の痕跡はあの黒い沁みだけですので、ひとまずサンプルを持ち帰って、高司祭ニトール様に魔法鑑定をお願いする予定です」
「えっ? お父様に?」
初耳だったので、ミルフィアは思わず聞き返した。高司祭ニトールは彼女の父親である。王都の精霊巨神の神殿の責任者を務めている。
「はい、サティライム王城にブラックドラゴン様のウロコ製の竜の盾がありますので、ここの黒い沁みと暗黒魔力の性質を比較するのです。早ければ今日中に結果が出ると思いますが……」
「わかりました。邪竜お爺様のご遺体の跡じゃないといいですけど……」
ミルフィアは瞑目して胸に提げた聖印のペンダントを握り、静かに祈りを捧げた。そこで、聖騎士アーニーは魔法炉戊の召喚魔法を解除した。
胸部に填め込まれたオーラクリスタルからまばゆい光が溢れ出し、ゴーレム機兵の巨体を包み込むと、少しずつ巨体が縮小しはじめた。
青白い光が収まると、ひとりの青年騎士がその場所に立っていた。魔法炉戊グランドクロスの操縦者、聖騎士アーニー・マックスである。
青年騎士の胸の辺りに、小さなゴーレム機兵の模型がゆらゆらと浮遊している。
聖騎士アーニーはその模型のフィギュアを手に取ると、ミルフィアの方に向き直った。
王国騎士団の制服を装着した凛々しい青年騎士である。左胸の盾と剣の交差した金色の刺繍は、高位の聖騎士の証。腰には、優美な装飾付きのミスリルソードを提げている。
キリッとした端正な面立ちに、高貴な風情のブロンドの髪が似合っている。さらに、アイスブルーの瞳には、聖騎士の使命感に溢れていた。
この若鷹のように精悍な聖騎士は、ターキム・マックス騎士団長の息子であり、現在副団長を務めている王国騎士団の若きエースだった。
聖騎士の中では十八歳と若手だけれど、剣術と魔法炉戊の腕前は、ともに一流クラスである。
聖騎士アーニーが光の消失した跡から手にしたのは、十二、三センチほどの模型だった。
魔法特性の高い魔法粘土を素材とするゴーレム機兵のフィギュアである。
実は、この魔法粘土製のフィギュアは炉戊モデルといい、魔法炉戊の正体なのだ。
魔法炉戊とは、巨人機兵の召喚魔法によって、炉戊モデルを巨大化させたゴーレム機兵なのである。
操縦士は、ゴーレム機兵化した魔法炉戊の操縦席に乗り、精神を胸部のオーラクリスタルと融合させて、全高約七、八メートルの機体を自由自在にコントロールする仕組みである。
聖騎士アーニーは愛機の炉戊モデルを腰帯に提げた革製のポーチに仕舞った。ちょうど魔法粘土製の模型がスッポリと収まる専用ポーチである。
「お、おっと、しまった……」
炉戊モデルを仕舞う時に、革製ポーチから一枚の紙がひらりと舞い落ちた。可愛い女の子が決めポーズでウインクしているマジカル写真である。
その美少女は精霊の飛沫を模したフリル付きのアイドル衣装をまとっていた。
精霊の羽衣と呼ばれる精霊の糸で編まれた特注品の魔法コスチュームである。大きく盛り上がった胸や腰の辺りのラインはスタイル抜群だった。
或る有名なアイドルグループのリーダーを務める光のティターニアである。
アイドル少女のマジカル写真の笑顔は〈魅了〉の魔法のように、男の子の心を虜にしてしまう。
「まあ、アーニー君まで、エレメンタルシスターズのファンだったのね……」
ミルフィアはマジカル写真に映る美少女アイドルを見て、非難めいた眼差しを向けた。
とある理由から、この巫女姫はアイドルファンに批判的な言動が多いのだ。
「いや、まあ、いまエレメンタルランドで大流行中のアイドルグループですからね。一般常識として、知っておいた方がいいかな、と……」
聖騎士アーニーは苦笑いしつつ、そう釈明して魔法写真を革製ポーチに収めた。
若き聖騎士の頬はやや紅潮している。一般常識と説明したけれど、マジカル写真の光のティターニアが彼の推しメンであることは明白である。
「ところで、ミルフィアちゃんはどうしてこの洞窟にきたのですか?」
「実は、バンダイン様からこの事件を調査するよう指示があったのです」
「えっ? 事件の調査ですか? それは何の事件のことでしょうか?」
聖騎士アーニーは意味がわからず、困惑した表情になって質問した。
「もちろん、邪竜お爺様を死に追いやったこの罪深い事件のことです。アーニー君、この事件の調査の進み具合はどうですか? 何か犯人につながる手懸かりは見つかりましたか?」
「そう言われましても、まだ事件と決まったわけではないですし……」
「えっ? そうなのですか?」
「ええ、我々としては、老衰による自然死ではないかと推測しています」
「で、でも、邪竜お爺様の寿命はまだ数十年以上あったはずですよ。この前お会いした時も、普通にお元気な様子でしたし……」
「ご壮健だったのは確かですが、かなりのご高齢だったのも確かです。また、不死身の黒き邪竜を倒すことができるのは、勇者の操る光の聖剣だけですが、ワウディス君が家族同然のブラックドラゴン様を傷付けるはずがないですし、他に死因が見当たらないのです」
「そうなんですか……」
ミルフィアは予想外の事態に困惑した。
彼女の頭の中では悲しいものの、殺害事件は疑うことのない事実だったのだ。
しかし、実際は漆黒の老竜の死因どころか、亡骸の在り処すら不明である。
突然、ミルフィアの頭に或る閃きが生まれ、美しいブルーの双眸を見開いた。
「そうだわ! きっと邪竜お爺様は亡くなったのではなく、黙ってどこかに出かけているのよ! 伝令の衛兵さんは、邪竜お爺様が眠っている姿を見て勘違いしたんじゃないかしら!」
殺害事件の次は行方不明事件である。
ミルフィアの独創的かつ突飛な発想に、聖騎士アーニーは再び困惑の表情を浮かべた。
「お気持ちはわかりますが、伝令の衛兵はブラックドラゴン様が眠っている姿ではなく、亡くなって肉やウロコが溶け落ちはじめた様子を見たと言っております。勘違いではないでしょう」
「でも、現実に邪竜お爺様のご遺体は、見つかっていないわけでしょう?」
「それはそうですが……ですから、床の黒い沁みを調査するのですよ」
「ドラゴンの死骸が溶解して消失するというのは、ただの伝承ではないのですか? 邪竜お爺様が亡くなったなんて、わたしには信じられません!」
ミルフィアの頑固な主張を受けて、聖騎士アーニーは沈黙するしかなかった。
いったいどう説得したものか……誠実な青年騎士はこのまま理屈を積み重ねても難しいと判断し、少しの間無言になった。すると、元気で健気な巫女姫は、キッと決意の表情になって宣言した。
「わかりました。では、わたしは自分で邪竜お爺様の行方を調査します。何か手懸かりが見つかったら、騎士団の方でも調査に協力してくださいね」
「それは構いませんが……そうですね。では、鑑定の結果が出たらお知らせします」
聖騎士アーニーは寝床の黒い沁みがブラックドラゴンの遺体の痕跡である可能性が高いと考えていた。しかし、これまで説明したとおり、現時点で確たる証拠があるわけではない。
目の前の天真爛漫な巫女姫は、漆黒の老竜と親しかった。亡骸が見当たらないことで、行方不明と信じたくなるのは仕方のないことである。
今回の邪竜の死が事件の可能性は低く、調査に危険が伴うことはない。そのため、わざわざ説得して引き止める必要はないと判断したのだった。
「有難うございます。では、わたしは邪竜お爺様の手懸かりを探してみます」
ミルフィアは早速迷路のような道を引き返して、洞窟の入口まで戻った。
邪竜火山の頂上から眼下の景色を見下ろしつつ、これからの行動を検討する。
「邪竜お爺様はどうして黙ってどこかに行ってしまったのかしら? 邪竜お爺様が出かけそうなところも特に思い当たらないし、これから一体どうすればいいかしら……?」
ミルフィアは少しの間、手懸りについて思案していた。しかし、すぐに次の方針を思いつき、美しいブルーの双眸をパッと輝かせた。
「そうだわ! ワウディス君に会いに行ってみましょう! 邪竜お爺様は家族のような存在なのだし、最近の邪竜お爺様のご様子について、何か聞けるかもしれないし……」
方針が決まると、即行動スタートである。ミルフィアは早速〈テレポート〉の呪文を詠唱した。
そして、虹色に輝く空間転移門を使って、王都オーヴィタリアにある勇者の家に向かったのだった。