第十五話 魔獣の血を使った恐ろしき〈バジリスクの呪い〉(その1)
精霊巨神の巫女ミルフィアは王都オーヴィタリアの精霊巨神の神殿の祭壇の間で、定例の祈りの儀式を行っている最中に、精霊通信を受信した。
巫女が胸に提げている聖印は、精霊通信システムの機能を有している。
銀色の聖印が熱くなり、何度も赤い光に点滅した。これは緊急召喚の信号だった。
「一体何があったのかしら? 何か怖いことじゃないといいけど……」
緊急召喚の信号は、大至急〈精霊の夢〉劇場に向かうことを指示するものだった。
ミルフィアは胸に湧き起こる不安に警戒しつつ、祭壇の間から自室の方へ戻ると、大きな鏡から〈精霊の夢〉劇場の専用個室までテレポートした。
そして〈アイドル変化〉の魔法を使って、アクアマリンの姿に変身した。アクアマリンが専用個室を出ると、扉の傍に警備兵の青年が立っていた。
ティターニアから支配人の執務室まで案内するよう指示を受けて待機していたのだ。
アクアマリンは警備兵の青年と一緒に、ナムコル支配人の執務室に赴いた。
執務室に入ると、ティターニアと吟遊詩人スペルシャ、そして〈精霊の夢〉劇場の関係者たちが、何かを取り囲むように立っていた。
アクアマリンはティターニアに事情を聞こうと近づいた。そして、床に倒れている真っ白なナムコル支配人の姿を見て、大きな悲鳴を上げた。
「ナ、ナムコルおじ様! 一体どうなさったの!」
顔も含めて、肌全体が真っ白の病人である。
いまは横に真っ直ぐ寝かされており、両足の足首まで石になっている。
明らかに病気を通り越した異常事態だった。
「何があったのか、よくわからないけれど、ナムコルおじ様が何かの呪いにかけられたみたいなの。本当にこれからどうしたらいいのか……」
ティターニアが蒼白な表情で、アクアマリンに事情を説明した。劇場の掃除人のお爺さんが執務室の掃除の時間になったため、執務室を訪れたところ、部屋の奥で倒れているナムコル支配人の姿を見つけたということだった。
掃除人のお爺さんから報告を受けた吟遊詩人スペルシャとティターニアは、すぐに執務室に赴き、目にした光景に仰天した。詳細は不明なものの、明らかに異常事態である。
ティターニアはひと目見て、或る対応策を実施することを思いついた。
そうして〈精霊通信〉の魔法を使って、アクアマリンを呼び出したのだった。
「ティターニア様、ナムコル様は大丈夫でしょうか? 何かの病気なのじゃろうか?」
掃除人のお爺さんが、とても心配そうな顔でティターニアに聞いた。
小柄な背丈の真面目そうな老人である。
いつもバケツとモップを持って、劇場中を掃除して回っている誠実な掃除係だった。
「そうですね、大丈夫とは言い難いです。でも、何とか対処しなければ……」
「ティターニアお姉様、すぐに高司祭ニトール様をお呼びしましょう。ニトール様なら、きっとナムコルおじ様を治療することができますわ」
アクアマリンは想定外の事態に戸惑いつつ、そう提案した。高司祭ニトールは実の父だけれど、いまは精霊の乙女に変装しているため、正体を気取られないよう言葉には気を使っていた。
「そうですとも。精霊巨神の神殿へ早速、人をやって呼びに行きましょう」
吟遊詩人スペルシャがアクアマリンの提案に賛同し、伝令の担当者を呼ぼうとした。
「待ってください。ニトール様を呼ぶ前に確認したいことがあります。皆さん、一度この部屋から退出して各自持ち場に戻ってください。アクアマリンはこの場に残ってね」
「はあ、しかし……」
「スペルシャさん、この場はわたしにお任せください。どうか信用してください」
「そうですか……では、わかりました」
吟遊詩人スペルシャは戸惑いの色を見せたものの、ティターニアの双眸に強い意思の光があるのを見て取り、小さく頷いて了承した。
ティターニアはただのリーダーではなく、ナムコル支配人からエレメンタルシスターズ運営の代理権限を付与されている。そして、その立場以上の責務を背負っているのだった。
「では、ティターニア様、何かありましたらお呼びください。すぐに駆けつけます」
吟遊詩人スペルシャは厳かな面持ちでそう言うと、不安げな様子の劇場の関係者たちと一緒に、ナムコル支配人の執務室を出て行った。執務室に残っているのは、二人の精霊の乙女だけである。
「アクアマリン、念のため、鍵を閉めておいて」
「わかりました、お姉様」
アクアマリンはドアに駆け寄って施錠した。
これで誰も執務室の中に入ってくることはできない。さらに、ドアに耳を付けて外の様子を探る。
劇場の関係者たちは、それぞれの仕事場に戻ったようだ。アクアマリンはティターニアに向かって、小さく目配せした。準備OKの意味である。二人は同時に呪文を詠唱した。
青白いオーラパワーの光が精霊の乙女たちの全身を包み込む。まばゆい光が消失すると、二人は別の姿になっていた。
〈アイドル変化〉の魔法を解除したのだ。
そこに立っているのは、精霊巨神の巫女ティラミスとミルフィアだった。ティターニアの正体は、筆頭巫女のティラミスだったのである。
まとっていたアイドル衣装も精霊巨神の巫女の服に戻っていた。〈アイドル変化〉の魔法で、衣服も含めて変化させていたのだ。
「ティラミスお姉様、ナムコルおじ様は一体どうしたのかしら?」
「これは暗黒魔力の忌まわしい呪いよ。目的はわからないけど、暗黒魔法師の仕業ね。このまま呪いが進行したら、ナムコルおじ様は、全身が石になって死んでしまうわ」
「そ、そんな……じゃあ、早く救わないと……!」
「わかっているわ。だから、ミルフィアを呼んだの。二人で力を合わせて〈浄化〉の魔法を使用して、ナムコルおじ様の呪いを浄化しましょう」
「はい、ティラミスお姉様」
二人の精霊巨神の巫女は、胸の前に提げた銀色の聖印を握り締め、厳かな仕草で祈りのポーズを取った。そして、目を静かに閉じると、祈りの呪文を詠唱した。二人が握り締める聖印から、純白のまばゆい光が発生した。
暗黒魔力のような不浄の存在を消滅させる〈浄化〉の魔法の聖なる光である。二人の精霊巨神の巫女が行っているのは、共同魔法の儀式だった。
祈りの儀式を共鳴させて、二倍以上の効果を引き出すことができるのだ。特に巫女同士は親和性が高いので、相当高い増幅作用を期待できる。
二人の精霊巨神の巫女は、祈りの呪文を紡ぎ終わると、同時に聖印を突き出し〈浄化〉のまばゆい光をナムコル支配人に向けて照射した。
ビビビビビッ!
浄化のオーラパワーがナムコル支配人を包む呪いの暗黒魔力と衝突した。
途端にナムコル支配人の体から暗黒魔力が噴出し、浄化の光を押し返そうとした。
二つの相反する力は一瞬、互角の勢いのように見えたけれど、すぐに暗黒魔力の黒い霧がオーラパワーの光を押し返し、聖なる光は霧散した。
二人の共同魔法は、失敗したのだ。
「増幅した〈浄化〉の魔法が全然効かないわ! ティラミスお姉様、どうするの?」
「そうね、ここまで強力な呪いだとは思わなかったわ。わたしとミルフィアが力を合わせて増幅した〈浄化〉の魔法を使っても、呪いを浄化できないなんて……一体どうなっているのかしら……」
呆然とした表情でつぶやきながら、ティラミスはナムコル支配人の容体を観察した。
足の先の石化状態が進んで、すでに足首まで完全に石になっている。全身は完全に真っ白で、生気は一切感じられない。非常に恐ろしい呪いに侵されているのは、明白だった。




