56「それぞれの昼食」
朝二つの鐘が鳴る少し前、ビスツグの下へ向かうヨウジロウと入れ替わりに、カシロウは自宅に戻り少しだけ横になった。
一向に訪れない眠気を探りつつ、結局そのまま正午を示す朝三つの鐘を聞いた。
さらにこれまた訪れる事のない食欲にはなんとか抗い、ユーコーが用意してくれた湯漬けを少し口に入れた。
「お疲れですね」
「……そうだな。ゆうべは少し疲れたよ」
何があったかユーコーは問わないでいてくれた。
二人は食卓に腰掛け無言で過ごし、久しぶりにゆったりした時間を持った。
四半刻ほどそうした後、徐にカシロウが口を開いて昨夜のことを語った。
己れの慢心ゆえに、三人の若者が死んだこと、トビサの腕が斬り飛ばされたこと、天狗が居なければそれも繋がらなかったこと、ゆっくりと全てを語った。
黙って全てを聞いたユーコーが、
「……分かった。とりあえず貴方は……、ヒゲを剃りなさい!」
ビシィっ! とカシロウの顔を指差しそう言った。
キョトンとするカシロウに向かって尚も言い募る。
「人は失敗する生き物。だからその失敗をどう補うか、それが人にとって最も大事なの」
「あ、あぁ、それは分かるが――」
「だからヒゲを剃りなさい!」
一晩中動き回ったカシロウのヒゲは月代と違って確かに伸びた。
しかしそれとヒゲがどう関係するのかと、問おうとするカシロウを目顔で制したユーコーが言う。
「どうしようもない事は誰にでも訪れるし、それを嘆く事も悔やむ事も必要です。
でも……、それでも人はしっかりと前を向いて歩を進めるのです。進めねばならないのです」
背を伸ばし胸を張り、凛としたユーコーがさらに言う。
「それには先ず出来ることから、自分を整えなきゃいけないの」
「……だから先ずは、ヒゲを剃れ、か?」
ええ、とニッコリ、ユーコーが微笑んだ。
「……そうか、そうかも知れん。ならそうするか」
洗面台へ向かい、鏡に写った己れを見詰めるカシロウ。
第一印象はそう、酷い、に尽きた。
無精髭は伸び、髷も鬢(耳周りの髪)もほつれ、目の下にははっきりとクマを拵えていた。
丁寧に髭を剃り、髷も解いて結い直した。
「先ほど残した湯漬けはまだあるか?」
「ありますけど、作り直しますよ」
「いや、それで良い」
カシロウは先ほど大半を残した湯漬けをかき込み、碗に残った冷めた湯を飲み干した。
「本当だ。身も心も引き締まったよ。ありがとうユーコー」
クマだけはどうしようもないが、髷も表情も、すっかりいつものカシロウらしさを取り戻していた。
「よし。では出てくる」
「もうお出掛けですか?」
「ああ、トビサの様子を見にいかねばならん。帰りは深夜か明け方だろう。気にせず先に寝んでくれ」
● ● ●
同時刻、部屋で昼食を摂るビスツグとヨウジロウの陰で、ハコロクもビスツグの部屋のクローゼットの中で握り飯を頬張っていた。
ハコロクは昨夜、ウノに腹を刺されながらも堀へと逃げ、そしてそのまま浮かび上がらず敢えて沈み、兄ハコジの遺骸と対面したあの部屋を目指し泳いだ。
毎日の探索が功を奏したか、速やかに堀と部屋を繋ぐスリットを発見。
背に負った小太刀を突き刺し僅かに開き、流れ込む堀の水を堰き止めるようにその隙間へ顔を突っ込んだ。
ぷはぁっ、と部屋内のカビ臭い空気を肺に取り入れ、そして再びふっくらボディに戻っていた体に喝を入れ、身を細めてぬるりと侵入を果たす。
速やかにスリットを閉じて水の流入を止め、壁にもたれてずりずりと音を立てて尻餅をついた。
「よぉ。ハコジの兄貴、久しぶり。顔色宜しいやん」
魚に啄まれ、すっかり綺麗な骨と化し辺りに散乱するハコジへそう声を掛け、ホッと一息つく。
(まだ水抜いてなかったらヤバかったわ)
柿渋装束を脱ぎ去り、腹を見遣って再び吐息を漏らしたハコロク。
「ほんまビビったで……。何ともないっつう事はないけど、こんくらいやったらまぁ平気なうちやな」
首から下の胴体にグルグルと巻かれた二寸(≒六cm)幅ほどの黒い帯を解くと、ブルンと肉が溢れて再び元の小太りに戻る。
丈夫な獣の皮で作った帯、これをギュッときつく絞る事で体型を変化させるハコロク独自の術。
その帯は重要な臓器を守る役割もあり、浅くはないウノに刺された腹も、致命傷から守ってくれていた。
「♪いくらぁ脂肪でもぉ〜刺されりゃ痛いんやーで〜♪」
謎の鼻唄を口ずさみつつ、患部に不気味な色の軟膏を塗り再び黒い帯を体に巻き付けてゆく。
そして、カシロウとは違って己れの魔力操作ぐらいは余裕でこなすハコロク、以前ここを案内された際に見て覚えた手順で扉に魔力を流す。
速やかに扉を開き、あちこちに準備した抜け道を駆使してビスツグの部屋へと帰還を果たし、今に至る。
ビスツグには細かいことを伝えずに、とにかく自分は一晩中ここにいた、その様に口裏を合わすのみとした。
もし、あのウノに問い質されたとしたら、ビスツグがあっさり吐くイメージしか湧かなかったから。
そして今、毎日支給される昼食の握り飯を腹に納め、頭の中で今夜の作戦を煮詰めにかかった。
● ● ●
昼一つの鐘が鳴る頃、カシロウは『お宿エアラ』を訪れた。
右手に箸、左手に素麺の入った小鉢を持った天狗に招き入れられ土間を抜け、板間の床に敷かれた布団に横たえられたトビサの顔を見た。
眠ってはいたがその顔に赤味が差しているのを確認し、ホッと胸を撫で下ろした。
立ったままで小鉢に残った素麺を啜り上げた天狗が言う。
「今朝より随分良い顔になったね」
「これも天狗殿のお陰にございます。誠にありがとうございました」
「トビサさんの事じゃなかったんだけど、まぁ良いか」
まぁお上がりなさいよ、そう付け加えて天狗が先に板間へ上がり、奥の部屋へとカシロウを誘った。
『お宿エアラ』は揚げ屋であるが、通りに面した一階と二階を店舗にし、奥は普通にエアラの住まいとなっている。
絨毯を敷いた居間へ通され、直に座った天狗に倣い、カシロウもマントを脱ぎ兼定を鞘ごと抜いて腰を下ろした。
「ゆうべの事、聞いて良い?」
カシロウが返事を返す前に、バサリと羽を一打ちし、トノがその姿を現しフワリと絨毯に降り立った。
『………………』
「同席するそうです」
「あそう? まぁその方が良いかな? 分かんないけど」
微に入り細に入り、事細かに昨夜の顛末について天狗に説明し、トビサの腕が斬り飛ばされた件で遂に、最大の問題『トノが鳥目らしい問題』を議題に挙げた。
「へぇ、トノが鳥目……、でも鷹って鳥目じゃないよ? この世界でもヤマオさんが元居た世界でも」
『「……え、そうなんですか?」』
「トノなんだって?」
「私と全く同じ事です。口調は違いますが」
「あそう。さすが元主従だね」
カシロウもトノも、鳥は鳥目だと思って生きてきた。
しかし天狗が言うには、夜目が利かない鳥の方が少ないらしい。
代表的なのが、人と関係の近い鶏がそうだと言う。
「だからトノもちゃんと認識を改めて訓練なりすれば、夜でも『鷹の目』使えると思うよ。多分だけど」
器用に胸の前で翼を組み、トノが斜め上を見遣って考え込んで、少しして嘴を開いた。
『……………………』
「いや、さすがに今夜までには難しいでしょう。第一、夜になるまで訓練のしようがない」
「え? トノなんだって?」
「今夜の夜回りまでに訓練しようと仰ってるんです。しかしカーテンを閉めたとて夜闇には程遠いですし」
「できるよ? やって見せようか?」
そう言うや否や、返事も聞かずに天狗が片方の掌を開いて上へ向け、その掌のすぐ上に拳大の黒い球を作り出した。
その球がググっと縮み、一気に膨張して弾け飛び、三人のいた居間は、夜闇よりも暗い暗闇に包まれた。
「この中で僕の姿が見えたら合格だね」
鷹の目を使わないカシロウの目であれば、闇に目が慣れさえすれば天狗の姿をぼんやりながら確認できる。
しかし、一度鷹の目を発動させると一転、すっかりその姿が見えなくなった。
小さな灯りでもあれば姿ぐらいは目視できる様だが、その状態で剣を見切るなど到底無理な話である。
結局、昼二つの鐘が鳴るまで目を凝らしていたが、これっぱかしも天狗の姿をその目にする事が出来ない二人だった。
「せっかくお骨折り頂いたのに申し訳ない」
「ま、しょうがないよ。そんなすぐに見えると思ってなかったし」
『……………………。……………………⁉︎』
「お、長いね。トノなんだって?」
「私も全くもって同じ思いですが、『協力頂いたのにすまぬ。しかしこの力と言い、知識と言い、お主は何者なのだ⁉︎』だそうです」
「何者って……、ただのお節介な長生き転生者お爺ちゃんだよ」
次回、天狗の過去を少し公開!




