54「トノ、貴方まさか」
ドンドンドンと扉を叩く音、加えて己れの名を呼ぶ声で目を覚ました天狗。
夜もまだ明けぬ頃合いらしいが、どうやら事態は切迫している様子の声音に飛び起きて、
「君はまだ寝てれば良いからね」
共に眠っていたエアラに優しくそう声を掛け、寝巻きの上から半纏を羽織って一階に降りて錠を開けた。
「どうしたのさヤマオさん。朝っぱらから元気だねぇ」
「ちっとも元気ではないのです。とにかくコイツの――トビサの腕を診てやって下さい!」
そうカシロウが言い、背に負った人影らしき若者をこちらに向けた。
「あちゃぁ、こりゃ酷い。分かった、とにかく治癒術だね。ところで斬られた左腕持ってきた?」
「え……、もしや! それがあれば繋がりますか⁉︎」
「やってみなきゃ分かんないけど、繋げられるかもだね」
「すぐに戻ります!」
トビサを天狗に投げる様に渡し、トビサの血が大量に着いたマントを頓着せずに翻し、カシロウがそう叫ぶや否や駆け始めた。
天狗は土間を通ってトビサを床へ敷いた筵の上に横たわらせ、自分は土間に膝をつき、ムムムと唸って両掌にぼんやり輝く光を集める。
そしてその片手をトビサの胸に、もう片方の手をトビサの左肘にそっと触れさせた。
「痛いのは最初だけだから。もうちょっとだけ我慢してね」
天狗の手と同様の淡い輝きが、トビサの胸から順に行き渡ってゆく。すると紙のように白かったトビサの顔に、僅かに赤みが差し始めた。
「……治癒術……ですか?」
「僕なりのね。魔力は使ってないからみんなとはちょっと違うんだけど」
金創(刀傷)というのは焼けるように痛い。
その痛みは長時間引くことはなく、その痛み故にショック死する事さえある。
その痛みに耐えていたトビサの意識はすでに限界に達しており、その痛みが和らぐとともに、トビサはあっさり意識を手放した。
トビサが眠って間もなく、全身ずぶ濡れのカシロウが勢いよく扉を開いて戻ってきた。
「トビサの左腕! お持ち致しました!」
「あらら。ヤマオさんずぶ濡れじゃないの」
「堀割に落ちたのが流れずに引っ掛かってくれておったのです。この様に濡れておっては拙いでしょうか……」
「へぇ、堀割に……。いや、良いよ良いよ。少しでも冷えてなお良いよ」
天狗に指示されるまま眠るトビサの傍らに、その左腕をあるべきはずの所に並べて置いた。
「………………あ、ダメだ」
「――何故です⁉︎」
くっつけた筈のトビサの左腕から、ジワリと赤黒い煙が僅かに立ち昇る。
「ここんとこにさ、その辻斬り犯の『力』が残ってるのよ。それが僕の神力をガッツリ阻害しちゃってる」
天狗が言うには、どうやら辻斬り犯も天狗やカシロウらの様に、覚えた経緯は知らぬが魔力でなく神力を使いこなすらしい。
ガクリと肩を落とすカシロウに対し、天狗がやんわりと言葉を続ける。
「だからそこをさ、ヤマオさんが斬ってよ。五分……、いや二分(≒6ミリ)くらいで良いから」
「斬る……。私が? トビサを?」
「うん、そう。僕がやっても良いけど、一旦治癒を解くからトビサさん痛みで目を覚ましちゃうし」
トビサの斬り飛ばされた腕の断面を、肉屋が肉を薄く切る様に斬り飛ばせと天狗が言う。
そうせねば腕は繋がらぬと。
カシロウが立ち、天狗が器用に治癒を維持したまま床に上がってトビサの向こうへ回る。
「切断面からかっきり二分、それより薄いと悪い力が残るし、厚いと腕の太さが合わなくて不細工。良いね?」
夜が明けたらしく、「お宿エアラ」の玄関土間へ朝日が差し込み始めた。
カシロウはコクリと頷いて、兼定を抜き打って、さらに斬り上げる。
チン、と鍔鳴り一つと共に、血に濡れたトビサの肉の薄切りが二つ舞い上がり、そのままベタリと土間へ落ちた。
「でかした! 直ぐに繋げるよ!」
身動ぎ一つせずにカシロウは天狗の行う治癒を見詰め続け、そして朝一つの鐘が鳴る頃、
「前と同じ様には使えないと思うけど、もう大丈夫、繋がったよ」
少し疲れた顔の天狗がカシロウへそう告げた。
充血した瞳を少し潤ませたカシロウは、忝ないと告げて立ち上がり、また後で顔を出す約束をしてお宿エアラを後にした。
心身共に疲労を抱えた体に鞭打って王城へと歩む。昨夜の出来事を報告せねばならない為だ。
カシロウは歩きながら、順を追って頭の中を整理する。
三人も惨殺され、トビサの腕まで斬り飛ばされ、散々な夜ではあったが、昨夜起こったことの中で最も腑に落ちない点がある。
『鷹の目』全開であったにも関わらず、辻斬りの振るう剣が見えなかった事だ。
「トノ、お尋ねしたいが宜しいか」
『………………』
間髪入れずにトノが姿を現して、カシロウの肩にふわりと乗った。
「トノ……、貴方まさか、『鳥目』などという事はないでしょうな?」
『…………! …………!』
「知らなかったでは済まされませぬ!」
本来、鷹などの猛禽類は夜目が利かないとされる鳥目という事はない。
人よりも遥かに目も良く夜目も利く。
しかしトノは本物の鷹という訳ではなく鷹の姿を象った神。当のカシロウやトノの持つ『鳥は鳥目』というイメージに引っ張られているらしかった。
「…………そうは言っても、これは全て私の慢心が引き起こしたこと。トノのせいではありませぬ」
ギリギリと握り込まれたカシロウの両手から、ぽたりぽたりと血を滴らせた。
『………………』
「鷹の目が使えぬのであれば、他で勝負すれば良いだけです」
「お疲れさん。細けえ事はまだだが大体は聞いてる。ご苦労だったな」
王城南の堀に掛かる橋、そのこちら側にウナバラが一人佇んでいた。
「勝てそうか?」
「…………勝ちます。絶対に」
「勝てるじゃなくて、勝ちます、ね。分あった信じる」
その後、二人並んでリストルの間へ向かい報告を済ませた。
自分がついていながら申し訳ない、と幾度も謝るカシロウに、カシロウでそうなら他の誰でもそうだったろう、とリストルは言う。
カシロウはそう思わない。
ラシャやトミーオでは荷が重いかも知れないが、ウナバラやウノならば倒せたかも知れない。
「……次こそは必ず倒してみせます」
最後にそう言って、二人はリストルの間から引き上げた。
リストルの様子が少し、どことなくおかしい事に気付かない二人だった。
リストルは一つ悩みを抱えていた。
それは、この数日間密かに暗躍するハコロクのせいであった。
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