42「分かった、もういい」
元来そう不器用な方ではないカシロウだが、神力の扱いに至っては相当に不器用だった。
魔術が使えないのも同様で、目で見えない不思議なもの、魔力や神力などを扱う能力が極端に低いのが原因らしい。
あの日、トノがその姿を現したのを見て、確かに己に不思議な力があるのを確信し、漸くその力を扱える様になった。
それは二年の修行を経た今でも同様で、トノが己から遠く離れてしまうと、あっさりと以前に逆戻り、その神力の全てが使えないのだ。
皆に地味だ地味だと言われた『鷹の目』さえ、当然、先日ウナバラに言った少し派手なこの『鷹の剣』も、トノが近くに居なければ使えないカシロウであった。
「怪我で済むと思うなよ」
カシロウは両手の剣の峰を返し、ギラリとその刃をハコジに向けた。
「やれるもんならやってみい。オマエ殺してそのガキ殺して、そんで終いや」
お互いに踏み込み剣を振るう。
袈裟に斬り下ろしたハコジの剣を淡く輝く二尺で受け、口から飛んだ針を首を傾けて躱し、カシロウは二尺二寸の柄尻でその頬の辺りをぶん殴った。
「ぐぁっ!」
殴られた勢いに身を任せて横へ飛ぶハコジ、体を傾けたままで小さな刃をビスツグ目掛けて飛ばしたが、
「甘い」
地を這うように飛んだ刃をカシロウが、バンッと雪駄で踏み付けて止めた。
如何に動きが速かろうとも、今のカシロウにはその全てが鮮明に目に見えている。裏をかかれようが何をされようが、全て余裕を持って対応できる。
「忠告してやろう」
片手を地について即座に立ち上がって剣を構えたハコジに向けてカシロウが言う。
「私に集中しろ。ま、集中したとて最早お主に勝ち目はないがな」
「うぅるせぇ! 黙って死に晒せや!」
ハコジが叫びながら突きに来る。
それを左の二尺ではね上げて、続く兼定を横薙ぎに、剣を握ったハコジの右腕、肘の少し先から斬り飛ばした。
「っっぎゃぁぁぁっ!」
腕の断面から血飛沫を噴き上げて、喉奥からは絶叫を上げるハコジであったが、それでも左腕を振って手首に巻いた細い鎖をカシロウの喉元目掛けて投げて寄越した。
「無駄な事をするな。お主にやれる事はもうない」
カシロウは慌てる事なく二尺二寸で鎖を受けて、刀身に巻きついたそれを二尺で切り裂いた。
それでもハコジは右腕の痛みを堪えて、今度はビスツグへと顔を向けて頬を膨らませ――
「……分かった。もういい、…………逝け」
凍りついた様な表情のカシロウ、そう言って掲げた二尺二寸を、ハコジの首を目掛けて振り下ろした――
● ● ●
ハコロクは全力で駆けていた。
城下の大通り、細道、塀の上に屋根の上、所構わず駆けて駆けて駆け通していた。
(なんでや! なんでガキの一人が引き離せんのや!)
悪態を心で口で呟きつつ、研ぎ澄ませた五感を信じて時折り横に前に上に跳び跳ねて、
ゴバンと叩きつけられる衝撃をなんとか躱して駆け続けた。
(こんままやったらジリ貧や。せやかてワイはタイマンには向いてへん。こうなったら――)
ハコロクはあてもなく西へ西へと駆けていたが、不意に城下南へと方角を変えた。
(まだ昼三つの鐘には間ぁがある。けどそろそろやろ)
ハコロクは再び細道を行き屋根を行く。
その間も依然として、鬼の形相のヨウジロウを撒けないままで。
「……はぁ、はぁ、はぁ、もうアカン、疲れた」
ハコロクが息も絶え絶え疲れ果てた頃、ようやく待望の南町に辿り着いた。
繁華な城下南町、日暮れも近い今時分には人の往来も多い。
ハコロクは一瞬建物の影に隠れ、素早く身形を改めて、堂々と往来を歩き始めた。
先程までの柿渋色の着物から一転して、覆面の下から現れたやや垂れた眉、紺の筒袖の服に黒い薄汚れたズボン、首に手拭いを掛け、一見すると朝からずっと建築工事に従事していた様子である。
驚く事に背丈は少しだけ高くなり、体はふっくら、見るからに別人であった。
(どや、こんであのクソ餓鬼に見つからんやろ)
シシシとほくそ笑んだハコロクが、人混みに紛れてやり過ごそうとしていたその頃、ヨウジロウはと言うと……
● ● ●
「離せ! 離すでござる! それがしはあの者を追わねばならんでござる! 頼むから離すでござるよ! ビスツグさまが……、ビスツグさまが死んでしまうでござるよ!」
涙と鼻水で顔をグシャグシャにしながら叫んでいた。
● ● ●
「おねーさん、お酒もう一本つけたってぇな」
ハコロクは空になった銚子を振り振りしつつ、女中におかわりを頼んだ。
「酒もヤキトリも……、んぐ、こっちの方が旨いやん」
串に刺さった焼いた鳥、魔王国でも人気の肴を咀嚼しながらそう呟いた。
「ねぇ兄さん。ここ良いかい?」
ハコロクは辺りを見回して、
「なんや爺さん。回りナンボでも席空いてるやないか」
串で空席を示し、相席を願い出た老爺にそう告げた。
「まぁ良いじゃないの。お代は一緒にするからさ」
すでにそこそこ呑み食いしていたハコロク、頭の中で支払いをササッと計算し、悩む素振りを少し見せて頷いた。
「ほなエエやろ。座りぃや」
「ありがと。おねーさん、僕にもお酒とヤキトリ盛り合わせよろしくね」
老爺はニコニコと、届いた新しい銚子を摘み上げてハコロクの猪口を酒で満たした。
「兄さん、生まれは西かい?」
一瞬ハコロクが剣呑な気配を滲ませたが、すぐに察して笑顔を取り繕った。
「せや、よう分からはったな」
「そりゃ分かるさ。ダグリズルでも一部だもんね、その訛り」
「そないな事よう知ってはんな。ってもワイはダグリズル行った事ないから全然知らんけどな。親父がそこ生まれってだけやねん」
ここで言う「西」とは、魔王国ディンバラから見て北西に位置する『民王国ダグリズル』の事である。
決してカシロウやウナバラの前世における「西」ではない。
「ところで知ってる?」
「何をや?」
老爺が顔を寄せ、声を落として後を続ける。
「王子さまが毒矢で打たれたらしいよ」
ドキッ! とハコロクの心臓が跳ねる、が、ハコロクもそこらのサンピンじゃぁない。
シレッと常の顔を作って驚いてみせつつ応える。
「へぇ! 大変やないの。ほんで王子はんどないなったん?」
「それがもう……、びっくりだけど、何ともないらしいよ」
「…………え、嘘やろ⁉︎ あの毒喰らうて何ともない訳――」
ガタン、と椅子から腰を上げたハコロクが、うっかり動揺した口振りで言った。
「あの毒?」
「……いや? 『その』毒、て言うたんや」
「あそう? それがさ、天影の人? その人が治癒魔術を得意な下天の人? を連れて来たらしくってさ。もう全然なんともないらしいよ」
「…………そうでっか。そいつぁ……良かったでんな……」
「ふふふふ。なんだか残念そうだね?」
老爺は新しく運ばれた酒を、自ら注いで喉を潤した。
「そそそそないな事ありまへんがな」
「あぁ、ちなみに一人には逃げられたらしいけど、もう一人の賊はね、死んだらしいよ」
「ううう嘘やろ!?」
「ううん、嘘じゃない。間違いなく死んだよ」
「爺ィ! オマエ何者や!」
クイッと猪口を開け、ぷふぅと酒臭い息を吐いて惚けた声でこう言った。
「僕? 僕はそう、天狗って皆んなからは呼ばれてるね」
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