39「日常、非日常」
翌朝からヨウジロウは大体毎日、朝二つの鐘が鳴る頃にビスツグの下を訪れ、昼二つの鐘が鳴る頃に部屋に戻る生活となった。
この大陸では日の出から日の入りまでを七つに分ける。
日の出の鐘はならないが、朝一つ、朝二つ、朝三つの鐘で正午、昼一つ、昼二つ、昼三つの鐘で日の入り。
季節の差で昼の長さが異なるが、カシロウの前世、さらに現代で考えれかばおおよそ、十時から十六時までをビスツグと共に過ごす事となる。
ヨウジロウは至って楽しそうに通ってはいるのだが、これに不満を唱えたのは祖母であるフミリエ。
もっと一緒に遊びたかったのに! だそう。
カシロウの方も滞りなく引き継ぎも済み、元の仕事へと戻って生活を送り始めた。
カシロウ達がトザシブへ戻ったのは晩夏、すっかり秋めいて来た頃、非番でのんびり夫婦で過ごしていた昼二つ過ぎ、浮かない顔のヨウジロウが部屋へ戻って来た。
夫婦は顔を見合わせて、珍しく溜息など吐くヨウジロウへ声を掛けた。
「どうした? ビスツグ様と喧嘩でもしたか?」
「喧嘩などは割りとしょっちゅうでござるが……」
臣下の身でありながら喧嘩などして許される筈がないのだが、お互いがお互いを親友と呼び合う若い二人、それもしょうがないかとスルーしたカシロウ。
「今日はお妃様に初めて会ったでござるよ」
「あぁ、リストル様の」
「そうでござる」
実はカシロウもいまだ会ったことはない。
魔王城の三階、その一画にある魔王の広間、その更に奥と最上階になる四階にリストルら王族の私室が並ぶ。
魔王リストルの現在の妃、キリコ・ニーマはそこから出る事はないらしい。
リストルの次子、ミスドルが産まれる前はそうでもなかったそうだが、産後は完全に姿を見せなくなった。
「どの様なお方だった?」
「綺麗な人でござる。けれど……、底冷えがする様な冷たい目をした人でござった」
妃キリコは元々、親戚のコネで魔王城で勤める事となった。
あわよくば、という程ではなく、もしかしたら万が一、その程度の淡い期待を抱いてはいたが、その万が一が見事に当たってリストルの手が付いた。
見事に魔王の後妻の立場を手に入れたキリコ。
それは万が一の思いを抱いていたキリコにとっては青天の霹靂。しかし、コネを使ってキリコを魔王城にねじ込んだ親戚は狙ってやったに違いない、そう巷では噂されていた。
容姿から所作から、リストルの好みにズドンだったからだ。
「そのお妃さまの目が……、ビスツグ様を見る目が……、びっくりするくらい冷たいのでござる……」
まぁそうだろうな、カシロウの抱いた想いはそうだった。
前世においても腐るほど耳にした御家騒動、そうならぬ道理がない。
そうなってみると、王族にかけられた呪いというのは実に有効なものだったのだと実感した。
「まぁなんだ、お前はあまり気にするな。冷たい様に聞こえるかも知れんが、臣下が気にするべきことではない」
「……しかし! 血は繋がっていないとは言え、親子でござる! アレはあんまりでござるよ!」
思っていたよりも大声が出たらしく、声を出したヨウジロウが驚いた顔でキョロキョロと落ち着かぬ素振りをしている。
「お前の言い分も分かる。そうだな、ビスツグ様さえ良ければ気分転換にウチへ遊びに来て貰え。ウチと言っても城内だし、誰も煩い事は言わんだろ」
● ● ●
その日のカシロウは道場に出ていた。
カシロウ不在の十二年間、序列三位のグラス・チェスターが稽古をつけてくれていたお陰で、カシロウが教える剣術とは別種の武術を身につけたものが幾人もいて面白い。
棒や棍、刃引きの鎖鎌を振り回す者までいる。
練習相手にはなってやれるが、カシロウでは教えようがない為、時々はグラスが顔を出して教えてくれている。
門下の者のほとんどは警察機構に当たる人影に所属する者たち、それに割合は少ないが一般の町人たちである。
あの、元山賊のケーブらもその内だ。
「なぁカシロウ……様よ、その反りのある刀ってどこで買えんだよ?」
稽古中の休憩時間、カシロウに声を掛けたのは、髭を剃り、全体的に髪を短くしたのに何故か額から襟足にかけてだけは綺麗に剃ったままにしたケーブ。
「なに? 割りとどこででも売ってると思うぞ」
「売ってねぇんだよ。ハル兄貴んちらへんの店いくつか覗いたんだけどよ」
「あぁ、あそこは北町の内だからな。西町の方へ行かねばならん」
ケーブらは結局、ハルの家で居候をしながら土木工事に従事している。
ハルの母ザワノの鶴の一声でそうなった。
『部屋は余ってるんだからここに住めば良いじゃない』
仕えるフミリエに良く似た細かい事を気にしない性格のザワノ、ケーブらに初めて会った日にそう決めたそうだ。
「西町ならば武具屋も多数あるから今度覗いてみろ。ただし買っても許可を取らねば持ち歩けぬぞ」
「なんでぇ、そんなのいるのかよ」
「当然だ。町人の武装は基本的に禁止、平和な世の中なのだからな」
「じゃあいらねぇ。木刀ぶら下げてる方がマシだわな」
「木刀なら規制外、無難なところだな」
● ● ●
昼二つの鐘の後、カシロウが道場を閉めて魔王城へと歩く道すがら、全身黒衣の男に声を掛けられた。
「よぉ、今帰り?」
「城には戻るが事務所だ。明日以降の工事のことでな」
「そいつはご苦労、ま、頑張って働いてくれ」
「……そりゃ働くが、お前は昼日中から素顔晒して街なかをうろついてて良いのか? 天影の十席様ともあろうものが」
「良いんだよ俺は。これも仕事の内なのよ」
遊ばせた前髪を指で弾いたディエスがそう嘯いた。
「所でよ。天狗の爺さままだ来ねえのよ。なんかあったかな?」
あの時リストルの命を受けて駆けたディエス、四日ほどのち、『秋らしくなった頃にはそっち行くよ』と天狗の伝言を持って戻った。
「まぁ、じきにお見えになるだろう。あのお人に限って山賊に襲われたという事もないだろうさ」
そんな事を話しながら歩を進め、王城を囲む堀に突き当たる二人。
堀を渡るには南北に掛かる橋を渡らなければならないため、今いる東側から北へ向かって堀端を歩いていると、堀の向こう、大人二人分の高さはある塀の中から竹刀の音と掛け声が聞こえた。
「二人の若君は中庭で剣術稽古の様だな」
「二人の若君……、って一人はウチのヨウジロウだぞ?」
「トクホルム家の若君には違いないじゃないの」
間違ってはいないがな、と続けようとしたが、塀の内側で見慣れぬ柿渋色が一瞬飛び上がったのがカシロウの目に入った。
「……今のは……。トノ! お出で下され!」
その声に応えたトノがカシロウの腹の辺りから飛び出した。
バサリと羽を一打ちさせて一気に飛び、堀を越えて塀を越え、王城外壁に足を着いて再びカシロウの元へと飛び戻って、
『……………………!』
何事かを叫び、そのままカシロウの頭上を越えて飛び過ぎた。
「ディエス! 賊だ! 柿渋色の二人組!」
そう叫んだカシロウが堀へ向かって駆け出した。
「お、おお、おい! バカやめろ、飛び越えられる訳がねえ!」
堀の幅、およそ二十間(36m強)。
しかしディエスの言葉に一切耳を貸さず、カシロウ駆ける。
堀の手摺りに足を掛けて跳ぶも、ディエスが見る限り明らかに飛距離が足りない。
しかしカシロウが堀に落ちることはなかった。
跳んだカシロウの背、旋回し加速したトノが舞い戻ってガッシと掴み舞い上がった。
はい、とってもキリが悪いんですが、毎日更新は今日までとなります。
次回は来週頭か中頃には上げたいと思います。
申し訳ありませんが、よろしくお願い致します。




