38「呪いと、これからと」
「カシロウも知っての通り、ビスツグの母、つまり余の先妻はビスツグを生んで一年後に死んだ。これはユーコーに聞いたかも知れぬが、三年前に当時の側仕え、今の妃を後妻に迎え入れたのだ」
昨夜確かにユーコーからそう聞いた。
リストルは正真正銘の魔王とは言え、多数の側室を抱えるタイプではなく、先妻にあたる妃とは仲睦まじい夫婦であった故、てっきり後妻は迎えぬものとカシロウは思っていた。
しかし百年を越す魔人族の寿命を考えるとそれも自然な流れかと思い改めたものだ。
「魔王の子は常に一人。これはな、呪いなのだ」
「……は? 呪い?」
「言い方は悪いが確かに呪いだ。我々王族に対してのな」
そう言えば随分と前、ウナバラからも呪いの話を聞いた事をカシロウは思い出した。
あれは、『魔属の全ての者どもがなんの疑問も持たずに王に忠誠を誓う事』だった。
「そしてな、魔王国国民にかけられたもう一つの呪いが、今二人が頭に描いたソレだ」
「やはり呪い……、そうじゃねぇかな、とは思ってたんです」
ウナバラがすっかり納得した表情で言い、さらに続けた。
「俺は先代の魔王、ビスツグ四世を死ぬほどに敬愛してた。山尾が空から降って来る数日前、ビスツグ様が亡くなる瞬間までだ」
うむうむと頷くのみで、リストルは口を挟まずに耳を傾けている。
「ところがだ。今だから言いますが、それまでただ魔王の子としか思ってなかったリストル様がよ、唐突に俺の中で、いきなり、魔王になったのさ」
カシロウにはよく分からない。
先代魔王に会ったこともないし、見たこともない。
ただ、物心つく頃にはリストルへの忠誠を誓っていた自分を思い起こすのみだ。
「そうらしい。当時すでに下天のメンバーだったブラドやグラスもそう申しておった。どうやら先代への忠誠が強い者ほどその傾向にあるそうだ」
ビスツグ崩御の知らせよりも早く、ビスツグ崩御の瞬間からそうだったらしい。
「初代魔王がこの国を平定した際にな、魔王の右腕と言われる男がいた。詳細は一切伝わっておらぬが、その男が施した呪いだそうだ」
「何故そのような呪いを?」
「この魔王国を末長く守るためらしい。現にこれまで謀反やお家騒動などは一度も起こっておらん」
確かにそう。
魔王国は建国以来、他国との争いは幾度もあったが、一度の謀反も跡目争いもない。平和なものである。
「それが余の代において一つの呪いが崩れた訳だ。まさか今の妃との間に子を成すとは思いもしなかったわ」
「……するってぇと……、直截な物言いで申し訳ないですが、仮にリストル様が亡くなった際の、次代の魔王はどちらに……?」
「分からんのだ。だから頭を抱えておるのだ」
先程のリストルの溜息はここに繋がるのかとカシロウもようやく腑に落ちた。
「その件、ブラド翁やグラス翁はなんと?」
「……二人は恬然としたものよ。『どうせその頃には我ら先に死んでおる、ウナバラにでも相談下され』だとさ」
はぁぁ、とリストルとウナバラが深い溜息をついた。
「……ま、考えたって分かんねえものは分かんねえ」
「その通りだ。試しに死んでみるという訳にもいかぬしな。この話は一旦これで終いにして、カシロウ親子の話をしよう」
なかなかに重い話題をあっさりと脇に除け、普段の声音でリストルがそう言ってカシロウに視線を向けた。
「カシロウの方は、大体は以前の通りやってくれ。工事の方は……、なんと言ったか猪の獣人の……」
「ボアでございますか?」
カシロウはこの十二年、自分の事ばかりに頭が行っていて、正直に言ってその名を思い出す事もなかった。
「そう、そのボアだ。奴がお前に代わって実質的な差配をしてくれているそうだ。そうだなウナバラ?」
「ええ。トミーオからそう聞いています」
「トミーオ殿から?」
聞けばカシロウが担っていた仕事の内、工事の差配は下天の序列六位トミー・トミーオが、道場の方は序列三位グラス・チェスターが担ってくれていたそうだ。
御歳八十歳のグラスはああ見えて武道の達人ではあるが、トミーオの方はそうは行かない。
土木工事などさっぱりである為、当時カシロウの直下で現場監督をしていたボアが実質の頭であった。
「トミーオにも三朱天として市井の声を聞く仕事がある。元通りに工事の差配と道場を任せる」
「はっ。畏まりました」
カシロウ、少しホッとした。
十二年も離れていた為、もしやロクに仕事が無いのではないかと抱いてもいたからだ。
「で、だ。ヨウジロウなんだがな」
「ヨウジロウがなにか?」
「ビスツグに付けたい。どう思う」
ビスツグに付ける――
少し意味が分からぬカシロウはウナバラに視線をやった。
「側仕えとか、小姓とか、まぁそんなもんだ」
「小姓……、私の一存だけではなんとも言えませぬが……」
「まぁそうだな。戻ったらヨウジロウの意向も聞かねばな。なに、難しい事はない。ビスツグには歳の近い友人がおらぬ。毎日共に遊んで学んでくれれば良いのだ」
「……ですが。その……」
朗らかに言うリストルと打って変わって、強い憂いを滲ませるカシロウが言い淀む。
「竜の力の事であろう? 里へ赴いたディエスら天影の者どもからは、一度も暴走させた事はないらしいと聞いたが?」
実際その通りなのだ。
ヨウジロウはあれから、ヴォーグを斬り殺したあの晩以来、一度も力を暴走させる事はなかった。
それでも、それでもまだカシロウの脳裏には、あの巨大な竜の姿と、ヴォーグの最後の表情が思い浮かぶ。
「何を悩むカシロウ。ヨウジロウはお前とユーコーの子ではないか。最悪の場合に備えるのも親の務め、同時に信用してやるのも親の務めではないか?」
「…………そう、かも知れません……いや、確かにそう、でございますね」
頭でも心でも、カシロウも当然ヨウジロウの事を信用している。
親の自分が言うのもなんだが、アレは強く、賢く、そして誰よりも優しい、とそう思っている。
「……そうですね。私も本音ではアレを信用しております。ヨウジロウの意思に任せましょう」
それから暫くはこの十二年の話、天狗の修行、トザシブでの出来事、などなどお互いに披露しあった。
中でも、カシロウが崖から突き落とされて初めてトノが姿を見せた件と、序列七位ヴェラ・クルスと八位リオ・デパウロ・ヘリウスが昨年結婚した件は大いに盛り上がった。
そうこうしていると、正午を告げる鐘の予鐘がカカカンッと鳴り響き、しばらくして本鐘がカァンカァンカァンと三度鳴る。
それが鳴り止む寸前、バタバタと扉を開いて駆け込んだビスツグとヨウジロウの二人。
「ふーっ。何とか昼に間に合ったでござるな、ビスツグ様」
「はぁ、はぁ、ヨウジロウは足が速いんだね。驚いちゃったよ」
あっさりと打ち解けた様子の二人を見てリストルが声を掛けた。
「どうだヨウジロウ、明日から毎日ビスツグと共に、友として遊んだり学んだりせぬか?」
「友として、でござるか? 配下なのにでござるか?」
うーん? と唸って首を捻るヨウジロウ。
「何だかよく分からんでござるがそれは――」
「「それは?」」
「親友でござるな! 父上とハルさんみたいに!」
ニッコリと微笑んだヨウジロウがビスツグの手を取り、
「不束者でござるが、よろしくお願いしますでござる!」
握った手をブンブンと振ってそう言い、
「こちらこそよろしく、ヨウジロウ」
ビスツグもにこやかにそう言った。




