30「コツが分からない」
「今日で終わったっつったか?」
「ああ。そう言った」
ディエスにそう返事を返しつつも、うどんを食べる手を止めないカシロウ。
ヨウジロウも負けじと食べ続ける。
「ハル殿! ハル殿も早く食べなきゃ無くなっちまうぞ!」
「大丈夫でやす。自分の分はちゃんと取ってありやすから」
毎度の事なのでハルに抜かりはない。
二食続けての麺類ながら、やはりそこはカシロウ、旨いものには目がない男である。
結局は腹一杯に喰らった。
「ハル、今夜も美味かった。ありがとう」
「お粗末様でございやした」
ヤマオ親子の食べっぷりを黙って見ていたディエスが久しぶりに口を開く。
「しかしあれだな。オメエ相変わらず麺が啜れん――」
そうディエスが言い終わらないウチに、ギラリと殺気を孕んだ視線を送るカシロウ。
しかしそんな事を気にするディエスではない。
「――のだな。いい歳した大人が麺をアムアム食う様はみっともねぇってよりも、もう『可愛らしい』って感じだぜ」
依然としてディエスを睨みつけるカシロウ。
「なぁ、ヨウジロウもそう思うだろ?」
チュルルンと最後のウドンを啜ったヨウジロウ、急に話を振られたものの、
「誰にでも得手不得手があるでござる。みんな違ってみんな良いでござるよ」
少しの動揺も見せずにそう答えたヨウジロウを見、荒んだ殺気をカシロウが急速に萎ませた。
「……そうなのだ。相変わらず一向に啜れない。なんと言うかな、コツが分からんのだ。啜れる意味が分からん」
「ま、一個くらい出来ねえ事が有っても良いじゃねえの。オメエは優等生過ぎていけねえよ」
自らを優等生だとは思っていないカシロウは首を捻るが、それでもこの全く肩肘張らなくて済む男が言うのだから、『まぁ良いか』とそんな軽い気持ちでこの話を済ませられた。
普段ならばこの話題は、カシロウの機嫌が激しく悪くなる所であるのだが。
「まだ日暮れまで少しあるな」
食後、開け放たれた縁側から空の様子を覗いたディエスがそう呟いた。
「なんだ。もう行くのか?」
「ああ、明日の出発でも良いんだがな、なんと言っても吉報だ。リストル様が喜ぶだろうと思うとな、急いで帰っても良いかなってな、思うだろ?」
下天も天影も、さらにほとんど全ての国民がリストルを敬愛して止まない。
これはリストルの治世が優れていることももちろんあるが、自らを魔属と自認する者どもには何故か、心の底の方に、当代の魔王に忠誠を誓う気持ちが芽生える。
『魔王に忠誠を誓わねばならない』などと言った教育は一切為されていない。しかしながら、皆自ずと忠誠を誓う。
以前ウナバラが語った推測だが、この魔属に芽生える気持ち、これはある意味で『呪いの様なもの』ではないか、と。
だからと言って誰かが困るという事もないため誰も気にしないが。
「思う。しかし今夜は泊まって明日帰れ。森には山賊が出るぞ」
「ふむ、山賊な。……それ誰に言ってる? まさか俺に言ってる?」
ディエスは一度両手を広げ、再び両手を胸の前に戻して掌で自分を指し示した。
「まぁお前に言ってるが……、そうだな、天影の十席に投げる言葉ではなかったな」
「分かれば宜しい」
天影のメンバーは皆総じて強い。
しかし、御前試合に出場はしない。
リストル直属の暗部であるため基本的にはメンバーになると共に、対外的には本名さえ名乗る事を許されない。
ディエスという名も、単に『十席』という意味の言葉らしく、過去に在籍した転生者が母国の言葉で筆頭から十席までのコードネームとして決めたものだそうだ。
仮に御前試合に出場すれば、筆頭のウノに至ってはカシロウに勝るとも劣らぬと、実しやかに囁かれている。
当然、その十席であるディエス、山賊ごときに遅れを取るものではない。
「ま、お前の事だ。心配いらんだろうが用心しろ。もう随分と前だから今さら此処らをウロウロしてないかも知れんが、魔術を使う山賊に苦労したのだ」
「魔術の一つや二つ、なんて事ぁない」
ディエスが体術も魔術も存分にイケる口なのを知っているカシロウは頷く。
「だろうな」
ディエスは日暮れが迫る中、「早くトザシブに戻れよ」そう言い置いて出発した。
「もうすぐ夜なのにディエスさんは平気でござろうか?」
「心配いらんだろ。ああ見えてあいつもかなりの腕だ」
心配そうな顔のヨウジロウに、カシロウは続けて言う。
「明日からは里の者への挨拶と引越しの準備だ。今日はもう寝むぞ」
● ● ●
「何度来てもホントこいつは関心するねぇ」
ディエスは天狗の里の、来る者を拒み出る者を拒まない仕掛けを見遣りそう呟いた。
そして速やかにその場を離れてトザシブへの道を走る。
幾ばくも行かぬ内にザワザワと騒ぐ声を耳にし、さては噂の山賊かと思い当たった。
気付かれぬ間に素通りする事も容易であったが、結局は好奇心に負けた。
音もなく忍び寄って様子を伺うディエス。
「もう止しましょうよお頭ぁ」
「何言ってやがる馬鹿野郎ども!」
「だってもうあれから十二年ですぜ。ウチらもすっかり数が減っちまって三人しかいねえんですぜ」
「うるせぇ! あの野郎が最後に言った言葉を忘れたのかよ!」
頭から布を被って顎の下で結んだ、薄汚れた形の男が三人、ギャーギャーと騒いでいた。
「なんつってたっけチョンマゲ」
「いや覚えてねぇなぁ」
「馬鹿野郎どもが!」
チョンマゲというキーワード、やはり噂の山賊だったかと予想が当たり、ニヤリと微笑んだディエス。
「おい、山賊ども。チョンマゲを捜しているのか?」
「あぁん!? 誰でぇ! 姿を見せやがれ!」
「ここだよ」
一間半程の大きな岩の上、その天辺に胡座をかいて座ったディエスが姿を現した。
誰だぁ! 降りてこいこらぁ! と下っ端山賊が声を上げるのを髭面の山賊親分が遮った。
「誰でもいい! 貴様、チョンマゲがどこ居るか知ってるのか!?」
鼻から下を黒い布で覆ったディエスが答える。
「知ってるが、オマエらアレが誰だか知ってるのか?」
「知ぃってらぁ! 十天のヤマオ・カシロウだろうが。トザシブには居ねえらしんだ。どこだ、教えろ!」
「何だか知らんが用があるって事だな。しかし教えても見つけられんぞ?」
「うるせ! 黙って教えりゃ良いんだ!」
ディエスが遊ばせた前髪を指で摘む。
面白いと感じる時の、幼い頃からの癖だ。
「安心しろ。もう二、三日もすればここを通る。ここで待ってりゃ良いさ」
「……二、三日……」
「待てるか?」
「馬鹿言うな。オラっちは十二年も捜したんだ。今さら二、三日がなんだってんだ!」
「それなら良い。健闘を祈る」
ディエスはそう言い置いて姿を消した。
山賊子分どもが、消えた! 消えたっす! と騒ぐがなんて事はない。日暮れのタイミングに合わせて闇魔法を一瞬使って夜闇に紛れ込んだだけ。
そしてディエスは駆けながら面頬をずり下げる。
その顔はニヤニヤと、遊ばせた前髪によく似合うチャラついた笑顔だった。
しかし彼に悪意はない。
『面白そう』『カシロウなら余裕』と単純にそう思っているだけなのだった。




