29「珍しい客」
「あっという間の四日間だったなぁ」
空になった酒瓶を眺めて天狗がそう言った。
「お酒もあっという間に無くなっちゃったし」
「そりゃあ、あんなペースで呑めば無くなるでしょう」
カシロウはさすがに初日以外は遠慮したが、初日の宴会に留まらず、続く三夜ともに天狗はがぶ飲みであった。
「あぁぁぁ頭痛い」
「そんな事になるのになんでお酒を飲むでござる?」
「大人ってのはそういうものなのさ。ヨウジロウさんにはまだ難しいかなー」
そういうものでござるか? そう呟いてヨウジロウがカシロウへ視線を向けるが、
「そういう大人も確かにいる」
カシロウはあっさりと、『天狗と自分は違う』とやんわり示した。
「では天狗どの、この昼食が済みましたら里へ降り、一両日中にはトザシブへと戻ります」
碗を置き、卓袱台から体をずらし天狗に向かって整った姿勢で頭を下げた。
「修練は厳しくとも、貴方と過ごした十二年、何ものにも変えがたいものとなりました。誠にありがとうございました」
父の姿を見て、慌ててムグムグと口のものを飲み下したヨウジロウも後に倣う。
「ありがとうございましたでござる!」
「二人とも頭を上げて。こんな事言っちゃなんだけど……、二人がいたこの十二年、僕ぁとっても楽しかったよ。この三百年で一番楽しかった」
天狗どの……、目頭を熱くし、そう呟いたヤマオ親子にそれぞれ天狗が言葉をかけた。
「ヤマオさん、十二年間、お疲れ様。ヤマオさんなら今後何が起こっても大丈夫。きっと乗り越えられるさ」
「…………はい。ありがとうございます」
「ヨウジロウさん、どれほど強大な力を持つ宿り神であってもきっと飲み込まれずに打ち克てる。強い力は魅力的だけど、もっともっと大事なものを、ヨウジロウさんなら見失わない筈さ」
七年前、ヨウジロウをこちらに連れて来た際、カシロウと天狗は幼いヨウジロウに、魂に強大な力を持った竜が棲むこと、それを悪用するような事があれば父自ら剣を持って迎え討つこと、その全てをヨウジロウに説明すべきか悩んだ。
散々悩み相談した結果、ありのままを伝え、折に触れてその話題を持ち出した。
天狗の案――重すぎる問題だと感じない様に普段から話題に出す――に則って。
そして今、ヨウジロウは竜の力を理解した上でハッキリと返事をする。
「お任せくだされ! 父上にも、母上にも、天狗様にも、恥をかかせるような生き方は致さぬでござる! 竜の力なぞ、良い様に使ってやるでござるよ!」
若干、楽天的に過ぎるかも知れないが、ヨウジロウはまだ十二歳、間違いなく真っ直ぐに育っている今はこれで十分だと、カシロウも天狗もホッと胸を撫で下ろしていた。
小麦粉を捏ねて極細に延ばして乾燥させたものを湯掻いた麺、天狗特製・自慢の素麺を味わい尽くして天狗の住まいでの最後の食事とした。
「もう二、三日は里にいてるでしょ? 僕も一回顔出すから」
そして午後、二刻ほどかけてカシロウとヨウジロウは天狗の里へ舞い戻った。
「ただいま。留守番ご苦労だったな」
「ただいまでござる!」
「カシロウ様にヨウジロウ様、お勤めお疲れ様でやんした」
「何か変わったことは……、って珍しい奴が来てるな」
「ええ。ディエス様がお見えです」
ハルに声を掛けたカシロウの目に飛び込んできたのは、全身黒衣の男、ディエス。
「よっ、邪魔ぁしてるぜ」
立てた二本の指を額に寄せて、ビッとカシロウ親子に向けて振ったディエスがにこやかにそう言った。
「邪魔するのは構わんがな。なぜ来る度にウチの飯を喰うんだお前は」
囲炉裏端で「ご馳走さま」と手を合わせたディエスの向かいに腰を下ろしたカシロウ。その手にすかさずハルが椀と箸を手渡した。
「なぜって何言ってんだ。ハル殿の飯が旨いからに決まってるだろ」
カシロウもヨウジロウも料理はするが、二人は主に食べる方が専門。
ほぼ一手で七年の間の台所を務めたハルの料理の腕は、今では玄人跣のレベルである。
「それは認める。確かにハルの飯は旨い。だがな、お前はウチで寛ぎ過ぎだ」
「ははははっ! 俺もそれは認める。しかしここの居心地が良過ぎるのが悪いんだぜ」
そう言って笑うディエスを尻目に、ハルがカシロウに声を掛けた。
「そろそろお帰りだろうと思いやして、ディエス様のも入れて四人分用意してありやすんで」
そう言われてハルに労いを告げ、鍋に箸を入れたカシロウが声を上げた。
「ほう? 珍しい、今夜は麺か?」
そう言ったカシロウが椀に装った麺は真っ白で幅広の麺。
「具沢山の饂飩か……。少し暑さも落ち着いてきたところに丁度良いな」
「そうでやしょ? 追加の麺もありやすんで」
そう言ってハルが台所へ立つ。
二食続けての麺類に少し思う所はあるが、折角作ってくれたハルに悪い為、そんな事は噯にも出さずにカシロウが椀に装ったウドンを口へ入れる。
頂きます! と元気よく手を合わせたヨウジロウも後に続く。
「お、旨いな」
「ハルさん美味しいでござるよ!」
「そうだろうそうだろう。まだいっぱいある。たんと食え」
「バカ。お前が言うんじゃない」
この浅黒い肌に遊ばせた前髪の、気安くも馴れ馴れしいディエスという男、カシロウが十天に上がる以前に所属していた人影時代の同僚である。ちなみに同い年の独身。
「で? わざわざ天影の十席様がわざわざお越しとは何かあったのか?」
そしてカシロウ程ではないが、ディエスも順調に昇進し、今では魔王直属の天影の第十席を担っている。
「いや? 別になんて事はない。いつものやつだ」
「そうか。ま、そうだろうとは思ったがな」
年に二、三度、魔王リストルの命を受けた者がここに訪れる。
修行の進捗状況とトザシブに戻る時期をリストルが知りたがる為だ。
とは言え、ディエス程の者が来るのは稀である。
「リストル様は寂しいんだろうぜ。お前はお気に入りだからな」
「有難いことだ。私の様な穀潰しを……」
カシロウはこの十二年、変わらず十天の十位を担っている。
しかし、当然全く仕事をしていない。
間違いなく穀潰し、普通ならば十天からの除籍が当然である。
が、リストルの図らいで、この天狗の下での修行はリストルの命による出向扱いとなっていた。
「まぁぶっちゃけその通りだな。お前は穀潰し以外の何者でもない」
そうはっきりと言い放ったディエスをジトっと見詰めるカシロウ、さらに厳しい目付きで睨むハルとヨウジロウ。
単にその通りなのが分かっているカシロウ、それでも主人を貶められて不満なハル、自らに宿る竜のせいで父が仕事を出来ないことを気に病むヨウジロウ。
三者三様の視線を浴びたディエスは、んほん、と空咳一つ挟んでこう続けた。
「……で、どうなんだ? もう一年くらいか?」
「いや、修行は今日で終わった。もう数日でここを離れてトザシブへ帰る」
そう言い切ったカシロウは再び饂飩を口に運んでこう言った。
「やっぱり旨い。以前トザシブで流行っていたコシが強いばっかりの饂飩と違って、喉ごしだけでなくもっちりとした麺を噛み切る際の歯応えが最高だな」
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