22「親父の威厳」
「ところで何がどう凄いんです?」
「いやぁ、ヨウジロウさんの宿り神がね。驚いた事に、白虎なんて目じゃない『竜』なんだよね」
「竜? ってあの……竜ですか?」
「そう、その竜だね。見る?」
天狗が再び腰を上げて、ヨウジロウの頭上に両掌で円を作ってみせた。
カシロウがその円を上から覗き込むと、円の中にはこの世界とは明らかに異なる球状の空間が広がっていた。
その空間の真ん中に、塒を巻く蛇のような体に鰐の様な頭、カシロウが前世の絵草紙で見た、そのままの竜がいた。
カシロウは驚いて頭を上げ、天狗を見る。
コクリと頷いた天狗を目にし、これがヨウジロウの宿り神かと認識した。
再び頭を下げて覗き込むカシロウ。
見れば見るほど竜そのままだった。
「これは……、紛う事なき竜、ですね」
「だろう? 神力の大きさも洒落になんないけど、分かる? 竜のいる球の大きさ」
比較できるものが周りにないにも関わらず、明らかにその竜と球が巨大である事をカシロウは理解していた。
「ええ。竜よりもさらに何倍も大きいですね」
「それ、常人の何百倍もの大きさだよ。それがヨウジロウさんの魂の器なんだ」
「魂の……器……」
「その器が一杯になるまで、この竜は成長するよ」
天狗が手を引っ込めて、畳に手をついて元いた場所にずり下がった。
「こんな塩梅さ。先が思いやられるね」
「…………いやはや、我が子のことながら驚かされました」
青い顔のカシロウに、天狗がいつもの軽さを持って言い放つ。
「ま、神力の大きさだけが全てじゃないさ。ビビることぁ無――」
――その時、盛大に腹の音が鳴った。
「あっ! こ、これは私とした事が……」
「話が長くなっちゃったね。今日はもう晩ご飯にして、続きは明日だね」
障子の外の明るさは、カシロウが目を覚ました時よりも橙色が濃いようだった。
● ● ●
「悪いけど今朝もまだお粥だよ」
「いやぁ、それくらいがちょうどいいです。な、ヨウジロウ」
この数日間、乾飯とヨウジロウが残した三分粥を啜るだけの食事だったカシロウは、昨夜久しぶりに一人前の粥を食べた。
少なめの量だと言うのに、ちょっと涙が出た程の満足感だった。
息を吹きかけて冷ました粥を、匙で掬ってヨウジロウへ。
ヨウジロウもここの粥をお気に召したようだ。
「先日ビショップ倶楽部で粥を食べたのですが、こちらの粥も負けず劣らず美味いですね」
カシロウは改めて粥を掬って眺め見る。
ビショップ倶楽部の粥は、鰹出汁をベースにした昆布出汁との合出汁で生米から炊く。
いま思えば、合出汁とは言え鰹が強く出た動物性の出汁だった。
比べてこちらの粥は、完全に植物性の出汁。
何から出汁を取ったかは実は一目瞭然、茸だ。
細かく刻んだ椎茸が具としても入っているが、出汁との調和が抜群だからだ。
そこまでカシロウが頭の中で考察した時、開いた障子から里長夫人が顔を覗かせた。
「あらあら、ビショップ倶楽部だなんて、そんな大層なものじゃあありませんよ」
布団に座って食事していたカシロウ親子。
カシロウが膳台に茶碗を置くのを見計ったかのように、里長夫人が側に座ってカシロウにしなだれ掛かろうとしたが、
その里長夫人の襟首を天狗が掴み阻止した。
「げふっ――、あらあらまぁまぁ。天狗様ったら嫌ですよぉ」
「嫌ですよぉ、じゃないよ。また里長に叱られても知らないよ?」
「何も浮気しようってんじゃないんです。若くて美しい異性がいれば愛でる、当然でございましょう? 天狗様だってそうでございましょう?」
「……そりゃそうだけど、僕ぁ独り身だからね」
正論を繰り出され、ぐっ、と言葉に詰まる里長夫人の首根っこを天狗が掴み、「退場!」と告げて隣の部屋に放り投げた。
「ごめんごめん。どうにもここは賑やかでいけないねぇ」
「いえいえ。里長殿も奥方様も大変奥ゆかしいご夫婦ですね」
「変わり者夫婦さ」
天狗が肩を竦めてそう纏めた。
「ま、そんな事は本当にどうでも良いんだ。これから先、どうする?」
「その事なんですが。私はどうすれば良いでしょうか……」
カシロウは一晩、様々なことを考えた。
ヨウジロウが歳を重ね、あの巨大な竜の力を使いこなして魔王国を守る想像。
又は、世界を破壊すべく暴れ回る想像。
想像の中のヨウジロウは、そのどちらもが可能な程の力を持っていた。
カシロウはその想像を天狗にそのまま伝えてみた。
「そうだねぇ。どっちも余裕で有り得るねぇ」
「ですよねぇ……」
肩を落としつつも膳台の上の茶碗に手を伸ばしたカシロウ、基本的に美味しいものには目がない男である。
「ヤマオさんの悩みを解消する、というかとりあえず取るべき手が――そうだね、すごく大雑把に言って三つある。聞く?」
「是非に!」
ガチャンと茶碗を置いて、カシロウが藁にもすがる様な表情を天狗に向けた。
天狗が指を一つ立てる。
「その一、ヨウジロウさんを今の内に殺す」
無の表情となったカシロウに、
「あれ? 驚いたりしないの?」
と天狗が尋ねると、
「……まぁ、驚きは、ないです。それが最善かもと、思った事がない事もないですから……」
酷く沈んだカシロウがそう答えた。
「……まぁ、そ、そんなに暗く考えないで」
これだから真面目は! と天狗の苦り切った顔が心の内を伝えていた。慌てた天狗が指を二本立てる。
「その二、とりあえずもう忘れておいて、事が起こってから考える。僕のオススメはこの案」
現状もっとも楽なのはこの案だろうとカシロウも思う。
思うが、しかし、親としてそれはどうかと思わなくもない。
「うーん……」
間髪入れず天狗が指を三本立てる。
「その三、ヤマオさんが強くなる」
ちょっと端的すぎてカシロウの理解が追いつかない。
「……私が、強く? ですか?」
「そう。悪い子に育ったら殴り飛ばせば良いのさ。名付けて『親父の威厳』作戦だね」
(……私に可能だろうか。一歳にも満たないヨウジロウの刃を防ぐだけで精一杯の私に……)
カシロウの表情はそう伝えている。
が、パァンと自らの両頬を挟む様に叩くカシロウ。
(出来るかどうかはこの際問題じゃない、やるかやらないかだ)
カシロウの心はそう決意する。
「その三で行きます、というかそれしかない。私の……、親父の威厳を……、見せつけてやります!」
カシロウがそう、拳を握り締めて高らかに宣言した。
「ヤマオさんならそう言うと思った。なに、きっと大丈夫さ。ヤマオさんの『鷹』も良い宿り神だからさ」




