126「苛つくイチロワ」
「ディエスさんも行ってね?」
「けど、あれって効いてんですか?」
「効いてないよ?」
緊迫のシーンである筈なのに、惚けた声で言う天狗にディエスはコケる。
「なら、やったって……」
「良いから良いから。ディエスさんは西側からガンガンやっちゃってよ。とにかくイチロワさんの気を散らしたいんだ」
「ま、そう仰るなら何かお考えがあるって事ね。大人しく従うとしますよ」
そしてディエスもイチロワ牽制に向けて駆け出した。
「じゃ今度はヤマオさん」
「はい!」
ヨウジロウを取り戻す為の戦いに、己れ一人がただ茫然と待つのは辛かったカシロウ、ようやく出番とばかりに大きく返事を返した。
「やる気充分だね。でもまだもう少し辛抱で」
少し肩透かしを食らったカシロウ、それでも口を挟まず話を聞く。
「これから僕は魔術陣を刻む。それが仕上がる前にきっとイチロワさんはみんなを攻撃し始めるから、それまでは待機ね」
「その後は?」
「一気にヨウジロウさんとこ行って、なんとかして意識を取り戻して欲しいんだ」
「一気に……」
カシロウは王城へ視線を遣る。
大きく塒を巻く様に王城を締め上げる竜、その鎌首の下、魔王の間のあった三階に立ち、ブラドらの攻撃を見ては手を叩いてケラケラと笑うヨウジロウの姿。
その姿を焼き付ける様にじっと見詰め、そして再び天狗へと向き直って頷いた。
「分かりました。何とかします」
「タイミングは合図するけど方法は任せるから。それまでどこかに潜んで準備しといて」
そう言った天狗は両掌を合わせてモニョモニョと何事かを呟き始め、その身を白虎の神力で満たす。
天狗の足元を蛇が這い回るかの様に、神力の線が何かを象り形を成してゆく。
カシロウはそれをエスード商会で見た。
「転送術式ですか?」
「一つはね。けど二つ同時進行でやってるからさ、ちょっと話すのキツいんだ」
「あ、申し訳ない」
「ほら、ヤマオさんも早く行きな」
「はい、よろしくお願いします!」
その場を後にするカシロウの背を見遣り、天狗が一つ吐息を溢した。
「ふぅ、二つ同時はちょっと大変だね。けどもうちょっと、この機会を逃す訳にはいかないんだから――」
イチロワはケラケラと笑って見ていた。
笑ってはいたが、少し苛つき始めていた。
一つ、魔王国の連中が思った以上に優秀なこと。
自ら作り出した竜の体をちまちま削られ、痛くも痒くもないと言ってもほんの少しずつ神力も減る。
とは言えそれは些細なことで、自国の者どもより明らかに使える連中だと言うのが最も苛ついていた。
二つ、思った以上に魔王城が頑丈なこと。
内側からは神力弾で簡単に穴を開けられたのに、外からいくら締め付けても未だに軋むばかりで砕けない。
これも魔王城を作った天の狗の仕業だろうと当たりは付くし、いざともなればこんな効率の悪い竜の姿を作るよりも、巨大な神力弾を一発放てば全てを破壊できる自信もある。
しかし、せっかくビビらせようと作った竜を仕舞うのもカッコが付かんと締め付けを強めるしかない自分にも苛立っていた。
『ジッとしているのももう飽きたわ』
苛立ちを紛らわせるつもりで、イチロワは締め付けを少し緩めて竜の尾を力一杯振るってみた。
「ぬぉっ!? このワシとサシでやる気じゃな!?」
太さ半間はあろうかという尾に抱きついていた筋骨隆々の巨体爺いを地面に叩きつけようと尾を振るったが、生意気にもクルリと体を回して着地、雄叫びとともに堪えてみせた。
「甘いわぁっ!」
イチロワはヨウジロウの指から、小さいが鋭い神力弾を二つ三つと放った。
「ぬぅっ!? 殺気じゃ!」
空を飛び回る厳つい顔の爺いは、己れの足下の板を華麗に立てて盾として、カインカインと全て弾き返してみせた。
「ふん、つまらん!」
結果、イチロワの苛立ちはより強く募った。
『もぉぉぅ良い! 貴様らと遊ぶのもお終いにするぁぁ!』
イチロワはそう叫び、ヨウジロウの体を自ら抱くようにギュッと縮め、そして勢いよく両手を開いた。
王城に巻き付いた竜の体から、ブラドらを目掛けて幾つもの何かが飛び出した。
「なんじゃこれは!?」
「小さな竜じゃと?」
「小さいったってこりゃ……」
「俺らより断然デカいすよ」
「この竜じゃったら儂の竜の方が大きいわ」
タロウの竜よりは断然小さいが、そうは言っても人の身と比べれば大層デカい。
太さは二尺ほどだが、長さは五間ほど。
それが合わせて十匹ほど、それぞれへと向かって牙を剥いた。
「皆の者! とにかく死なぬ事を優先せよ! その中で余裕があれば忘れずにデカい方も撃て!」
空を飛び回るブラドから大声で指示が飛び、おおよ! と皆が返事を返す。
しかし、五人が五人ともに、小竜への対応で精一杯、竜への攻撃までは手が回らない。
そしてそれは、イチロワも同じだった。
ヨウジロウの体は目を閉じて、小竜の操作に集中しているらしかった。
そしてその時、天狗の魔術陣が仕上がった。
『ヤマオさん、今! 一気に行って!』
天狗がカシロウへ向けて念を飛ばす。
イチロワが何かに反応し、ヨウジロウの身体は頭上へと視線を向けた。
その視線の先に、力強く羽ばたく鷹。
そしてそれにぶら下がる何者か。
「……ヨウジロぉぉおおお!」
真っ直ぐにヨウジロウ目掛けて急降下するカシロウの叫び声が響き渡る。
『ふん、貴様か……愚か者めが。ただの的でしかないわぁぁ!』
イチロワはそう呟いて、カシロウへと神力の刃を無数に飛ばす。
しかしカシロウの全身はすでに、蒸気を上げるほどに真っ赤。
さらに両手には鷹の刃も握られている。
王城上空、トノとカシロウは真っ直ぐヨウジロウへと向かい、飛びくるヨウジロウの刃を二刀を以て弾いてゆく。
幾つもの刃がカシロウの体を掠めてその身を薄く裂くが、二人は少しも頓着せずに突っ込んで、トノの脚を離れたカシロウがズザっと僅かに雪駄を滑らせ着地した。
そこはもう、手を伸ばせばヨウジロウに届く距離。
カシロウは二刀を消し去り、ギュウっと強くヨウジロウを抱き締めた。




