12「四十年前の爺さん」
分かりゃいいんだよ、と小さく言って女将が空いていた座布団に腰を下ろし、徳利を取り上げてカシロウの猪口に酌をした。
「ほらトミー、赤ちゃんをお寄越し」
「女将、そりゃないでヤンスよ。ヤマオは様付けでワテクシは呼び捨てでヤンスか?」
ブツクサと文句を言いながらも、優しい手付きでヨウジロウを手渡すトミー・トミーオ。
「なぁに言ってんの。いくら偉くなってもアタシにとっちゃぁ、鼻垂れワンちゃんのトミーでしかないわよ。ヤマオ様、この子、お名前は?」
「陽士郎と言います」
「ならヤマオ・ヨウジロウ・トクホルムになるのかしらね? 転生者のお子様のお名前はどうなるんだったかしら」
ヨウジロウを抱く女将の手付きは流石に手慣れたものだった。横幅のある体つきもさらに安心感を与えているが、それについては口には出さない方が良いとカシロウはぼんやり思った。
「ウチの転生者様は、いつんなったら孫の顔を見せてくれるのかしらねー」
そう言いながら、女将は三分粥を匙で掬い取ってはヨウジロウの口へと運ぶ。
その様子を見てカシロウは思う。
出汁のレベルを下げたとは言うが、明らかにヨウジロウの食い付きが違う。我が家で作る粥より断然美味いようだ、と。
「へぇへぇ、いつまでも独り身で悪うござんした」
「でもこうやってると、ロサンジが赤ちゃんだった頃を思い出すよ。短かったけどね」
女将が昔を思い出すかのように、遠い目で言った。
「短かったとは?」
「いやそれがね、この子ったら一歳の誕生日に急に喋り出したのさね。『もう我慢ならねぇ、俺ぁロサンジなんて名じゃねぇ! 俺ぁウナバラ・ユウゾウだ!』なんつってねぇ」
これは俗に言う「転生者あるある」と呼ばれるもの。
肉体も脳も全てが赤子ではあるが、二周目の魂に刻まれた記憶と経験を保持しているが為、普通よりも「心」の成長が早いのだ。
「身近に転生者なんて居なかったからね、もう夫婦揃っててんてこ舞いさ。この子は頭がおかしいか、はたまた狐に憑かれたか、ってね」
「それでどうされたんです?」
「それがたまたまお客さんに詳しい人がいらっしゃってね。『この子は転生者、ロサンジ・ヴィショップであってウナバラ・ユウゾウでもある、心配する必要はない』って仰ったのさ」
「ロサンジ、あんたは覚えてない?」
「ほぼ四十年前でヤンスよ? さすがのユウゾウでもそれは覚えてないでヤンスよ」
そう言ってトミーオが笑うが、普通ならば今年四十の男に一歳の頃の記憶があるわけないが、転生者、中でもこのウナバラに於いてはあり得ない事ではない。
「ん? ん〜〜?」
瞼の裏に書かれた何かを読む様に、斜め上に視線をやったウナバラが小さく唸り、数秒ほどそうした後に視線を女将に向けた。
「おぉ、俺、覚えてたわ。白髪で、顎に白い髭の爺さんだ」
「そうそう! そのお爺さんだよ!」
「確か……、なんかこうやって……」
ウナバラが両掌で丸を作ってみせる。
「顔を覗き込まれたんだっけかな」
「そうそう、確かにそんなのやってたね」
マジでそんなん覚えてるでヤンスか? そんな驚きの顔を隠さないトミー・トミーオ。
「どうする山尾? その爺さんなら陽士郎氏の不思議な力、何か分かるかも知んねえぜ?」
「いやでも四十年前でヤンスよ?」
「なんだ疑うのか。覚えてるもんはしょうがないだろうよ」
「いやそうじゃなくて、四十年前に爺さんだったらもう死んでるでヤンスよ」
人族ならば概ね七、八十年が平均寿命、たとえ魔人だとしても――「太古の魔人」ならいざ知らず――せいぜい百二、三十年が限界である。
しかし、たとえ魔人だとしても魔人は青年期と中年期が長いため、四十年前に見た目が老人だったならば恐らく当時百歳越え、すでに亡くなっていると思うトミーオが正しい。
現に、大体同い年くらいに見える序列二位ブラド(魔人)と三位グラス(人)の二人を比べてみると、グラスは見た目の通り七十歳弱だがブラドは百を少し過ぎたところである。
「いやぁ、見た目は人族だったけどよ、生きてんじゃなぇかな。なぁ女将?」
「そうさねぇ。あの時たしか――」
「そうそう、齢聞いてビックリしたよな」
「いくつだったんです?」
ウナバラと女将が声を揃えて言った。
「「二百五十歳だって」」
「……それってこの国の建国より前に生まれたって事でヤンスよ?」
「ま、そうなるわなー」
トミーオとカシロウは顔を見合わせ、この話を信じられるかどうか、目と目で一瞬相談した。
即時、カシロウは決断する。
「その老人の居所を教えて頂きたい」
「あぁ。もちろん教えてやるが、ちょっと遠いぜ?」
「我が子のためならば、距離などどうという事はありませぬ」
「分かった。明朝リストル様の下へ参ろう。今夜はもう遅いから、王への報告も兼ねて続きは明日にしようじゃねぇか」
そう言ってウナバラは顎をしゃくって視線を促した。
すっかり腹が膨れた様子のヨウジロウを、女将が胸に抱いて背中をトントンと叩く。
けぷっ、と可愛いゲップを一つ、瞬く間にヨウジロウが眠りに落ちた。
カシロウはその後、ヨウジロウが食べきれなかった粥の味を見、ウナバラからヴィショップ倶楽部流の『手抜き三分粥』のレシピを教えて貰った。
確かに大人が口にするには味が弱いと思いはしたが、感じるか感じないかの上品な出汁の風味、生米からトロトロと炊き上げたであろう米の甘味。
最高の出来栄えだとカシロウは感じた。
が。
「……これをウチで作るのか……、十分大変だぞ、これは……。昨日までの普通の粥はもう、食ってくれんだろうな……」




