119「ヨウジロウの拳」
どこかおかしいとは言え、さすがに我が子に対して刃を向けるカシロウではなかった。
右手にぶら下げた二尺二寸の峰を返し、しかし問答無用で踏み込んで斬り上げた。
ここの所、父カシロウの何かがおかしいと、当然ヨウジロウも気付いていた。
『人を斬った事はない』と、天狗の里を出た日にそう言った父は柿渋男の襲撃以降、幾人かを斬った。
ヨウジロウなりに考えた結果、父にこれ以上の人斬りをさせるべきではないと、そう思った結果こうなった。
カシロウが斬り上げた二尺二寸を、ヨウジロウは半歩下がってスレスレで躱す。
そして振り上げた二尺二寸を掻い潜り、カシロウの胸へと掌底を叩き込むべく懐へと潜ったその時、左肩へ強い衝撃を受けて蹈鞴を踏んだ。
「なっておらんなヨウジロウ。そんな有様でこの父を、しかも無手で止めようとはな」
慌てて飛び退いたヨウジロウ。
打たれた肩の感じから、どうやら柄尻を落とされた様だと理解したが、それはつまり、カシロウの動きを目で追えなかったという事。
「兼定か『竜の力』か、どちらか使え。使わぬのであればもう帰れ。時間の無駄だ」
「ならば竜の力を使うでござるぞ!」
そう返したヨウジロウは、その小さな全身へ竜の神力を漲らせてゆく。
全身に漲らせた竜の神力、それはヨウジロウのあらゆる能力を底上げする。
特に気張る事もなくやってのけるヨウジロウだが、それは、カシロウが十二年掛けて身につけた『鷹の翼』と同様のもの。
我が子の成長を目の当たりにし、眩しいやら疎ましいやら、カシロウの心は複雑であった。
やぁ、と掛け声を上げたヨウジロウが拳を振るう。
今度はそれをスイと体を沈めて躱したカシロウが、ヨウジロウの胴を目掛けて二尺二寸を横薙ぎに斬りつけた。
「――!」
峰打ちとは言えそれを、ヨウジロウはあろう事か膝で受けてみせた。
ガツンと硬質な音を立てて二尺二寸を弾き、そしてそのままカシロウの顔面目掛けて拳を振り抜いた。
「――ちっ!」
僅かに頬を拳が掠めたが、なんとか上体を捻って直撃を避けたカシロウ。
後ろへ大きく一歩跳んで距離を取る。
「ヨウジロウ……、兼定を手放したのは……」
「もうバレたでござるか」
悪戯が見つかった子供の様に、ヨウジロウはペロリと舌を出して言う。
「父上とチャンバラをしたんじゃ勝ち目がないでござるからな。ここは竜の神力でごり押しでござる!」
ヨウジロウは全身からより一層の、濃密な神力を噴き出して、そしてそれをその身に纏わせた。
「父上こそ! もう帰って寝た方が良いでござるぞ!」
ヨウジロウの体から、数え切れぬほどの神力弾が放たれた。
――以前、天狗から聞いた話をカシロウは思い出していた。
ヨウジロウの竜の神力は、質や大きさを比較したとしたら、カシロウのトノのおよそ数百人分だと。
その数百人分の神力による弾幕を前にし、カシロウは二尺二寸の峰を返した。
ズドンズドンと音を立ててカシロウを襲い、たちどころに煙に包まれた橋の上。
橋の長さは大体二十間、幅はおよそ四間。
城側南門にはハコロク、中央より北にヨウジロウ、カシロウを包む煙は中央よりやや南。
ヨウジロウからの弾幕が止んで少し、徐々に晴れゆく煙。
「いや厳ついでんなぁ。これさすがにヤマオはんでも死んでまへんか?」
「それがしの父上でござるぞ? あれしきの事で参るようなら苦労はないでござるよ」
警戒を解かずに煙の中を窺うヨウジロウに対し、さすがに無傷は有り得ないとタカを括ったハコロク。
ヨウジロウの言葉に応えるように、全く無傷のカシロウがまだ残る煙から勢い良く飛び出して駆けた。
「時間が惜しい! とにかくお主だけは斬る!」
「わわわわワイでっか!?」
カシロウは橋の端、欄干を蹴ってヨウジロウを避けて跳び、一目散にハコロク目掛けて駆ける。
そして振れば切っ先の届く距離まで間合いを詰めたカシロウは、何の躊躇いもなく二尺二寸をハコロクへと振り下ろし――
「父上ぇぇっ!」
――割って入ったヨウジロウが掲げ上げたその腕で、ガィンとカシロウ渾身の一振りを受け止めてみせた。
「――ヨウジロウはん!」
「させんでござるよ!」
カシロウは背にゾクリとしたものを感じて飛び退いた。
ゾクリとした理由――
――割って入ったヨウジロウの動きが目で追えなかった事。
――ヨウジロウが素手で受け止めて見せた事。
――受け止められなかったら、愛する息子を叩き斬ってしまう所だった事。
カシロウは、ハコロクを斬る事を諦めないが、この我が子が最も強大な壁だと改めて認識した。
カシロウはぎらりと刃を向けたままの二尺二寸の峰を返さない。
「退けヨウジロウ!」
「退かんでござる!」
カシロウは今唯一使える『鷹の目』を全力で発動させて、ヨウジロウの動きに備えた上でハコロクを狙う。
しかしカシロウ、攻め込めない。
「……ヨウジロウ、もう一度言う。此奴はリストル様を殺したのだ。退け」
「退かんでござる!」
そしてヨウジロウは踏み込んだ。
その体から無数の神力の刃をともに飛ばしながら。
「ぬぅりゃぁぁ!」
カシロウも声を荒げ、二尺二寸を振ってそれに対処して、あの頃の様に斬り裂かれる事もなく、全ての刃を叩き落として見せた。
――が。
「父上ぇぇぇぇ!」
カシロウはヨウジロウの繰り出した拳を、完全に目で捉えたにも関わらず、ガツンと頬に喰らって弾き飛ばされた。
ドカァンと欄干に叩きつけられて止まったカシロウは、痛む頬と背中を堪えて直ぐに立ち上がる。
「やるじゃないかヨウジロウ」
そう言って再び二尺二寸を構えたカシロウの頭の中は、絞り出した言葉とは裏腹に大混乱の真っ只中。
――見えてはいた。
しかし全く反応できなかった……?




