112「ハコロクも忍術使い」
『ハコロクも忍術使い』という、ヨウジロウの何気ない一言はカシロウを動揺させるのに十分だった。
しかしカシロウはハコロクの技を目の当たりにした事はない。
「ヨウジロウは見たのか? その、ハコロク殿の忍術を」
「見たでござるよ。あれが忍術だったならでござるが」
「どんなだった?」
「どんなって――」
ヨウジロウが見たハコロクの技とは、特別に戦闘に特化したものではなかったらしい。
天井に貼り付いて気配を消したり、小さなナイフ一つで壁をくり抜いて見せたり、高い所から飛び降りても平気だったりという、カシロウが前世で見聞きした忍び像に近いもの。
それというのも当時トノは忍びを雇ってはいなかったが、トノの殿には子飼いの忍びがいるというのが公然の噂であったから。
「――っていう感じでござるよ」
「……そうか。そう、だよな」
王城の中は柿渋襲撃とリストル暗殺以来は平和なもの。
ハコロクの技を見る機会は当然ない。
「それがどうかしたでござるか?」
「いやな、オーヤ嬢の技がな……、柿渋の技に似ていると感じたのだ」
オーヤが使った忍術は、背の低い方の柿渋の技によく似ていた気がしていた。
そして剣術の方は、まだまだ甘いとは言え、柿渋の背の高い方の使ったものに似ている気もした。
「でもオーヤさんは女で、柿渋は男でござろ? あ、でも柿渋が男かどうかは分からんでござるか」
「いや違うんだ。オーヤ嬢を疑っている訳ではない。ただ忍術について知ることが柿渋を追う手掛かりにならぬかとな、そう思っただけなのだ」
「なるほど、そういう事でしたら――」
ポンと手を打ったヨウジロウが提案する。
「明日にでもオーヤさん連れてハコロクさんに話を聞いたらどうでござろう?」
● ● ●
翌日、目を覚ましたカシロウの腹の上で再びトノが仁王立ちしていた。
「トノ、おはようございます。あと三日ですね」
『………………』
「えぇ、心穏やかに過ごすよう努めます」
そのやり取りだけを済ませ、トノはすぅっとカシロウの腹へ姿を消した。
どうやら随分とトノに心配を掛けているらしいと気付き、カシロウは己れの頬をパンと両掌で叩いて気を引き締めた。
カシロウはてきぱきと身繕いと朝食を済ませ、忘れずに天狗の丸薬も飲んでいつも通りの苦味に悶絶した。
朝二つの鐘が鳴る少し前、部屋に現れたハルに言伝を頼み、そしてビスツグの下へ向かうヨウジロウにも言伝を頼み、王城一階の階段下で別れて現場へ向かって歩き出した。
今日のカシロウは本来ならば非番である。
しかし、十日サボって一日だけ道場に出てまた休むのが気が引けて、邪魔にならない程度にボアの手伝いをしようというつもりであった。
「おや、おんぶ下天殿、今日は休みじゃねぇんですかい?」
「いやぁ、長くサボった事だし、一昨日も打ち合わせだけだったし、昼で上がるがなんぞ雑用でもしようと思ってな」
「雑用と言ったって、今日は特別おんぶ下天殿にやって貰う様な事ぁ――」
それはそうだろう。
ボアにとってカシロウは至って良好な上司ではあるが、来ぬと思った上司が急に現れれば扱いに困るというもの。
しかしそれを感じられぬカシロウではない。
「いや私の事は気にせぬで良いのだ。皆と一緒に土嚢運びなどするゆえ」
そうは言っても河川工事。
かなりの人数が作業をしており、カシロウ一人分の労働力で特別楽になるものでもない。
しかし、末端で従事する者たちの士気は上がる。
現場の指揮官たるボアのさらに上、総指揮官たるカシロウが、共にもっこを担いで額に汗する姿は、現場の者達にとってはそれを目にするだけで価値がある。
噴き上がるような士気の高さに、カシロウは冷静に、たまにはこうやって働くのも良いかも知れぬと、思い至った。
己れが働いたこれしきの労働でこの士気ならば、明らかに安い対価だと考えたカシロウは、ちょこちょこコレをやろうと考えた。
そして正午を知らせる朝三つの鐘と共に上がり、王城自室に急ぎ戻って汗を洗い流して服を替え、軽く昼食を取った。
そうこうしていると、ハルに託した言伝通りにオーヤが顔を見せた。
「お呼びに馳せ参じましたわ、ヤマオ様」
「ありがとう、助かるよ」
初めて入る王城にオーヤは少し緊張していた。
今朝、王城に行った筈のハルが割りと直ぐに帰ってきて、『昼一つの鐘の鳴る四半刻前、王城一階のヤマオ邸に来て欲しい』と。
ハルが言うには、魔王ビスツグの護衛に忍術を使う者が居る。
どうやらそれに、忍術について話を聞く会を持つらしいということ。
● ● ●
一方その頃、ビスツグの私室でも緊張している者がいた。
しかも二人、魔王ビスツグとハコロクだ。
今朝出勤してきたヨウジロウが持ってきた、ハコロク宛てのカシロウの言伝。
『忍術について話を聞かせて貰いたい。昼一つの鐘と共に伺うゆえ、お時間少々割いて頂きたい』
それを聞いた二人は嫌な予感を抱いて朝から冷や汗が止まらない。
しかしヨウジロウが居るゆえ相談もできず、時は既に昼一つの鐘が鳴る頃。
三人は王の間に場所を移してカシロウを待つ。
そして王城警護の者からカシロウの訪問を聞き、ビスツグはそれを許す。
王の間に入って来たのはカシロウと見慣れぬ女。
「……ハ、ハコミ姉やん――!?」
皆の視線が、そう口走ったハコロクを凝視した。




