98「魔王国の呪い」
「お帰りクィントラ。気分はどうだ?」
クィントラはカシロウの言葉に応えずに、虚な視線を少し彷徨わせ、そっと胸元に手をやった。
そこにあるべき首飾りはすでになく、クィントラの指は何も摘むことはできない。
「……あァ、そうか。我が神は去っタのか――」
クィントラの腹は幾らか萎んだが、継ぎ接ぎだらけの体も、明後日を向いた右目も、しゃくれてしまった下顎も、元の整った容姿とは大きく異なったまま。
唯一髪色だけは、元の淡い髪色に戻っていた。
「奴はもう居ない。安心してくれ」
カシロウの言葉にクィントラが首を捻る。
「ソれは? どうイう意味だ?」
今度はカシロウが首を捻る。
「操られていたんだろう? あのイチロワとかいう神様に」
少しの沈黙を置き、口の端を持ち上げたクィントラが口を開く。
「勘違イするな。僕は僕の意思デ神王国の勇者になったんだ」
「何故だ? お前は魔王国を守る下天の一人ではないか――」
「オ前のせいダ!」
「なに――? 私の?」
カシロウとクィントラの仲は昔から良くはない。
良くないどころか、傍目には犬猿の仲という言葉がしっくりくる程。
「オ前を殺ス為に力を求めたんだ!」
それでもカシロウは、一方的に嫌われているだけで、このクィントラの言葉には驚いた。
「昔かラ僕はオ前が気に入らなかっタ。何も出来ナいくせに『無から生まれた転生者』だったといウだけではないか! ナのに、ナのに――」
「なのにユーコーに選ばれた、か?」
「ソうだ! ユーコーさんには僕こそが相応シい!」
つい先日、初めて二人で飲みに行った夜もその話題になった。
しかしだからと言ってどうせよと言うのだと、カシロウは思う。
己れだとてユーコーにベタ惚れなのに、はい分かりました、とユーコーと別れよと。
そんな事する訳がない。
「それについては諦めろ。ユーコーを誰かに渡す気はない」
「オ前が死ねば良イんだ」
「私が死んだとてユーコーはお前を選ばんよ」
「イや、選ブ。選バせる。だって僕は魔王になるんダから」
「……は? 魔王? お前は人族ではないか」
確かに魔王国は種族を選ばずに人材を登用する。
現に下天には魔人族も人族も獣人もなんでもいる。
しかしこれまでの魔王においては魔人族しかいない。世襲制なのだから当然である。
「僕の髪ヲ見ろ。魔人族の血も入っていル」
「いやそうかも知れぬが……」
「それニ――」
たっぷりと間を置いて、しゃくれた顎でニヤついたクィントラが続ける。
「――魔王国の『呪い』が、僕ヲ選ぶ筈ダ』
「な……? それはどういう――」
歪な笑みを深めたクィントラ。
ニタァと笑いさらに続けて言う。
「魔王国ノ呪いをどう考エる?」
「どう……。リストル様からは、魔王国を末長く護るためのものと聞いたが……」
カシロウは前魔王リストルからそう聞いた。
現にこれまで謀反もお家騒動もなかったと。
「僕はこう考エる――」
クィントラは首を振ってこう続けた。
「――誰にデも魔王になれる可能性のある、便利な代物ダとな」
クィントラの考えはこうだった。
魔王国の呪いは二つ、『魔王の子は常に一人』、『魔属の全ての者どもが魔王に忠誠を誓う』。
まず第一に、『魔王の子は常に一人』、これが既に破綻している。
先代リストル・ディンバラ四世が魔王になったのは当時十五歳の時、この時の魔王の子は0人。
もし仮に、この時リストルが死ねばどうなる?
『魔王国の呪い』が選ぶべき次代の魔王である後継ぎは存在しない、ならば呪いは魔王を選ばないか?
否、『魔王国の呪い』は、『魔王国を護るため』に存在し、『魔王一族を護るため』に存在する訳ではない。
ならばどこから選ぶ?
さすがにランダムという事はないだろうと考える。
血縁は完全に途絶えたとなると、ポジションしかない。
魔王国のトップである下天の中からか?
可能性はなくはない。
しかし、仮に序列二位の者が選ばれたとすれば、それは他の下天にとって妬みのタネとなり、第二の呪いがあるとは言え、謀反という花が咲く可能性も0ではない。
では唯一無二のポジションとは――
「唯一無二の…………」
「――王母ダ」
「王母……キリコ様が魔王? そんな事が……」
カシロウには分からない。それが本当にそうなるのか、クィントラの妄想に過ぎないのか。
「……いや、しかし今仮にビスツグ様が亡くなられたとしても、王弟ミスドル様がいらっしゃるではないか」
「当然そうダ。ならばミスドルも死んだら?」
「……そうなれば……キリコ様が魔王……もあり得る……のか?」
混乱する自分を、カシロウは自分でも分かっている。しかしなんとか理解せねばと、クィントラの話に集中している。
少し離れて話を聞いていたタロウとヨウジロウ。
タロウはすでに思考停止、ヨウジロウに至っても理解は追いついていなかった。
「いや、しかしそれでは、魔王になるのはお前ではなくキリコ様ではないか」
フンと鼻を鳴らしたクィントラが言う。
「モし、その後キリコが死んダ時、キリコにすでに後添いの夫がいたら、どうなルと思う?」
「……んん? どうなるんだ? 『王母』はディンバラを名乗るが、魔王夫人はディンバラを名乗らない……。しかし唯一無二のポジションではある……?」
「そうダ。そこからはどうなるのカ、僕にももう分からなイ」
もう分からないと言いつつも、しかし、と一つ挟んでクィントラがさらに言う。
「魔王キリコの母はすでに死んでいルが、父であるタントラ・エスードは生きていル」
王母キリコは、クィントラの父であるタントラ・エスードが魔人族の女に産ませた子。
「魔王キリコが誕生した時、僕ハ立場上『王兄』となル」
「そレに、現在の王弟ミスドル、あれは僕の子だ。魔王ミスドルが誕生した時には、僕ハ『王父』にも当たル」
驚いた顔のカシロウが、じっとクィントラを見詰めて固まった。
簡単に言ったクィントラの言葉が、あまりにも衝撃的過ぎて、思考が止まってしまった。
「……どういう意味……だ? キリコ様は……リストル様の奥方様で……。ミスドル様は当然リストル様の……」
「リストルは僕の子を孕んだキリコを妃にしたんダ。間違いない、僕の子ダよ」
簡単にそう言ったクィントラだが、余りにも衝撃的な言葉にカシロウは色を失った。
何を言えば、何をすれば良いのか、全く分からない。
カシロウら下天の者は、『魔属』の筆頭の様なもの、『魔王国に属する者』を自認する者には、呪いも相まって魔王に忠誠を誓うはず。
なのに、この目の前の下天、序列九位の男は、魔王を騙し、裏切った。
「お、お前……、魔属――」
「魔属? アハははは、僕は自分ヲ魔属だなんて思った事はなイよ。いつだって僕は僕サ」
アハははははハハハ! と高らかに笑うクィントラの声を破ったのはあの人の声。
「いやーごめんごめん、遅くなっちゃった。高笑いのとこ悪いんだけど、『呪い』さ、あれもう無いんだ」




