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四大剣聖魔術師が奏でる組曲  作者: 剣の杜
風が奏でる序奏曲
3/4

第3話 連鎖する災禍

彼女の言った住所まで車を走らせているとき、1台の消防車がサイレンを鳴らして脇を追い抜いていった。


「火事なのかな…?」


月夜が不安げな声でつぶやいた。バックミラーに移る彼女の顔は怯えがはっきりと浮かんでいる。

行く先はどうやら同じ。総司も言いようもない悪寒を感じた。無意識にアクセルを踏み、スピードを上げる。


(嫌な予感が消えない。無性にヤバイ感じがする)


脳裏に浮かぶのは運転中にした彼女との会話。それは彼女の家族の話だった。


(今は妹との二人暮し。しかもその妹は今体調を崩して寝込んでいる。そして、今は家に1人きり)


再び、消防車がけたたましいサイレンを伴って脇をすり抜けていった。そしてそれは2台、3台と続いていく。

次々と追い抜いていく消防車。サイレンに反応して遠吠えをする犬の声が新たなサイレンでかき消されていく。


「急ぎなさい、総司」


黙っていたタバサが、鋭い声で告げた。額には緑色に輝く文字。その顔には人懐っこい笑みは浮かんでいない。浮かんでいるのは怒りと焦り。


「消防車の向かっている先、彼女の家だわ。奴ら、先手を打ってきた」



第3話―― 連鎖する災禍 ――



総司たちが現場に到着したときには、消防車からの放水は始まっていた。しかし、その場には異様な緊張感が満ちていた。

消防士も、野次馬もありえないものでも見ているかのような目で、燃え盛る月夜の家を見ている。


「クソッ、何で火の勢いが衰えないんだッ! 普通ならこれだけ浴びせりゃ、少しは弱まるものなのにっっ!!」


1人の消防士のあせりに満ちた声が総司や野次馬たちの耳に届く。そう、どれだけ水を浴びせても火勢が衰えようとしないのだ。

弱まったように見えても、次の瞬間には倍以上の勢いで燃え始める。


「妹は…、香苗は……」


燃える自分の家を見ながら、月夜が泣きそうな顔で呟く。総司ははじかれたような勢いで、近くをホースを持って駆け抜けようとした消防士を掴んだ。


「あの家から、少女を1人助け出していないか?」

「無茶を言うな! あんな火勢の中に入っていったんじゃ、防火服も持たん!!」


掴まれた消防士は荒々しくそう告げると、大急ぎで放水を始める。しかし、やはり火勢は衰えようとはしない。

燃え盛る炎を睨む総司の隣で、月夜が脱力したかのように座り込んだ。


「そんな、香苗…。香苗まで……」

「まだ、あきらめるな!」


絶望に満ちた声で呟く月夜に、活を入れるように強い声で総司は言った。総司の視線は燃え盛る炎のある一点を見つめ続けていた。


「おそらくまだ生きている。だけど、長くは持たない」

「どういう…」

「防御用の結界が起動している場所があるんだ。大きさはちょうど部屋1つ分より少し小さいくらい。だけど、少しずつ結界が小さくなっていっている」


総司がこの場に到着したとき、即座に2種類の違和感に気づいた。1つは炎、もう1つは炎の中のある一角。どちらにも魔力が宿っているのだ。

正しく言えば、炎には魔力を持った何かが憑いている状態なのだ。故に炎はこの世の炎ではなくなり、普通の方法では消えなくなってしまっている。


「結界って…、どういう――」

「詳しい話は妹さんの無事を確認してからだ。俺が助けに行く。桃井さんはここで待っていてくれ」


言うが早いか、総司は炎が噴出している玄関へと駆けていく。


「紫藤さんっ!!」


追いすがろうとする月夜をタバサが止める。


「あたしの息子を信じなさい。あなたは妹が出てきたときにかける言葉でも考えてるくらいでいいわ」





「オイッ! 無茶だ、アンタ! 焼け死んじまうぞ!!」


玄関近くの消火を行っている消防士が、玄関へと向かっていく総司を呼び止めようとする。

だがそれを無視して、総司はホースからの放水を浴びると、炎の壁と化した玄関へと飛び込んだ。


「ちぃっ! さすがに結界のない場所は火の海か!!」


飛び込んだ途端に肺を焼く熱気が総司に襲いかかる。目の前は文字通り火の海。燃えていない物がないほどだ。

さらに、その炎の中に目の釣りあがった髭の長い老人の姿を見た。纏っているのは赤々と燃える炎のマント、手にしているのも炎の杖だ。


「火霊スヴァギロッチか。そりゃ火が収まるはずがないな。だが――」


総司の火霊を見据える視線と、火霊の獲物を捕らえようとする視線が交わった。お互いに殺気をぶつけ合う。


「コイツにご退場願わなければ、救出も困難だ――! 回路接続(コネクト)水の精の(レクイエム オブ)鎮魂歌(ウンディーネ)!! 形成せ(メイキング)水流の鞭(ストリームウィップ)


総司の両の手の甲に青白く輝く文字が浮かび上がる。すると、総司の体を浸していた水が瞬時に両手に集まり、鞭の形を成した。

代わりに魔術回路を起動させた分、行動が遅れる。

先手を取ったのは火霊。火霊の揺らめく赤眼が怪しく輝くと、炎が大蛇のようにうねり総司へと向かってきた。

真正面から獲物を絡めとろうと螺旋状に空を駆けながら、炎が総司へと迫る。だが――、


「ノロい」


鞭を持つ手がぶれたかと思うと、炎が切り分けられた。切り分けられた炎はそのまま消え去る。消火されたということなのだろう。

手の動きも見えなければ、鞭の動きも見えない。まさに目にも留まらぬ早業。

消えた己の炎をみて、表情が見えるはずのない火霊の目に驚愕の色が浮かび、動きが止まった。その隙を総司は見逃さない。

火霊に向かって走りながら、両の腕の鞭を振るう。狙いは杖を持つ腕と炎を操る媒介となる眼。

鞭の形をした高圧の水流はしなりながら、狙い通りに火霊の眼を抉り、杖を持つ手を切り落とす。


オオォォォォォ―――


低く高く、遠吠えのような悲鳴を火霊があげる。しかし、火霊はまだ消えてはいない。火霊をこの場から消さない限りは、この炎が治まることはまずない。

止めを刺すため、もがき苦しむ火霊の顔面に水の鞭をまとった右のストレートを叩き込んだ。高圧水流をまとったその拳はドリルと何の代わりはない。

その圧力に火霊の顔がこぶしを中心にゆがんだかと思うと、盛大にはじけとんだ。その破片が火の粉となって降りそそぐ。

遭遇からわずか数十秒、瞬殺である。だが、さらに総司は補助呪文をつむぎ始めた。


「我、この世の穢れを厭うもの。穢れを清め、浄化を求めるものなり。法則をたどりて浄化の聖水よ、我が眼前に顕現せよ!!」


詠唱終了と同時に首元と額、そして背中に新たに青白い文字列が浮かび上がる。

光が強くなると鞭を形成していた水が、一気にその量を倍増させた。水は生き物のようにうねりながら屋内の炎へと食らいついていく。

総司は内側の消火を行っているのだ。外側の火は消防士たちに任せればいいが、中の火まで消すのを待っているほど悠長にしている場合じゃない。

結界の気配を感じるのは2階。そこまでの通路を最優先で消火させると、残りの炎をうごめいている水に任せ、総司は階段を飛び越え2階へと上がった。

2階の炎もあらかた消え去っているが、真っ黒に焼け焦げた廊下を見て総司に焦りが浮かんだ。


(まずい、建物がもたなくなってきている)


当然のことながら、木は炭化してしまえばもろくなる。もろくなってしまえば、自重に耐えれずにそのまま崩壊するのは明らかだ。

総司が救出を急いでいた本当の理由はこれだ。魔力の混じったものを防いでいても、物理的な衝撃に対して防御能力があるかとは限らない。

炎に巻かれることを防げても、崩壊に巻き込まれてしまっては助かるはずがない。

総司は確かめるように黒焦げの床に1歩足を踏み出す。同時にビキリ、という硬いものが砕ける音が響き、踏み出した足の床がぼろぼろに崩れ落ちた。


(一刻の猶予もないな)


崩壊まで時間がないことを悟り、総司は魔術回路を切り替えた。


接続変更(シフト)風精の祝福(ブレス オブ シルフ)


青白い文字列が消え、今度は背中と膝下全体に緑色の文字列が浮かび上がる。起動している魔術は重力軽減と跳躍の2種類。

重力軽減は文字通り、重力の影響を軽くする術である。一方跳躍は、どこであろうが(・・・・・・・)跳躍を可能にする術である。

総司は足元の床が崩れないように注意しながら、ほんの10数cmジャンプする。

普通ならほんの1~2秒で地に足が着くところだが魔術の効果のため、羽が舞うようにゆっくりと落ちていく。

そして体が宙に浮いている状態から、今度は深く屈みこみ、強く宙を蹴った。天井すれすれを飛び込むように跳躍。

勢いが弱くなり、床が近づいてくると再び宙を蹴り跳躍する。それを繰り返し、結界の気配を強く感じる部屋まで進んで行った。

部屋のドアはすでに炎で焼かれて崩れ落ちており、中からは結界と思しき青い輝きがもれている。総司は、迷わずその部屋に飛び込んだ。

目的の少女は探すまでもなくすぐに見つかった。部屋の窓際に置かれているベッドの上、苦しそうに呼吸をしながら倒れこんでいた。

すぐにそばへと行くと、少女の容態を確認する。幸い火傷は負ってないようだったが、煙を吸ったのか、呼吸がつらそうだ。


(どうやら間に合ったか。とはいえ、引き返していくのはあんまり得策じゃないな)


足を軽く踏み出しただけで崩れた床のことを考えると、1階を通るのは危険度が高い。さらに、床が抜ける危険性のある廊下を通るのも利口ではない。

そうなれば、脱出口は唯1つ。ベッドのそばの窓から飛び出すしかない。


「あまり目立ったことをやりたくはないんだが仕方がない・・・」


一言ぼやくと来ていたコートを脱いだ。それで少女の体を保護するようにくるむとあごを肩に乗せるように抱きかかえた。

次は邪魔なものを排除しなければならない。


「セッ!」


呼気を吐き出し、歪んで開かないガラス窓を蹴破る。きれいにガラス部分が粉砕されたのを確認。

そして、勢いをつけるために3歩下がり、


「はっ!!」


ベッドを飛び越えて、外へと飛び出した。




ガシャン、というガラスの割れる音で外にいた野次馬たちの視線は、その音源へと向いた。

彼らの目に映ったのは、ガラスを蹴破り引っ込む足のみ。だが次の瞬間、目にした光景に歓声とも悲鳴ともつかない声が沸きあがった。




空中で総司は、飛び込むように投げ出された体を1回転させてバランスを整えると、静かに地面へと着地した。

衝撃を逃がすための膝をたわめた座り込むような着地の姿勢から、体を起こすと周囲からどっと歓声が沸きあがった。


「紫藤さん! 香苗!」


野次馬の間を縫うようにして月夜が駆け寄ってくる。総司は少女の顔が見えるように、抱き方を変えてやった。

月夜は少女の、少し煤で汚れてしまった顔を不安そうに覗き込む。


「ちょっとばかり煙を吸ってるけど、命に別状はなさそうだ」

「よかった…、よかったぁぁ……」


総司の言葉と少女の落ち着いた寝顔に、月夜は涙声でそう呟いてその場にへたり込んでしまった。

誘拐と火事、2つの災難が立った数時間の間に重なったのだ。緊張が完全に解けて、気が抜けてしまったのだろう。

総司は抱えていた少女を慌ててやってきた救急隊員へと預けると、月夜の手をとった。


「ほら、一緒についていってあげな」


そう言って立たせると、少しせかすように背中をぽんと押してやった。月夜は深く一礼をすると、救急隊員のあとを追っていった。

それを見送って、総司は緊張を緩めるようにため息をついた。火も鎮火の兆しが見え、野次馬たちも1人、また1人と我が家へとかえって行く。

とりあえず、この場は何とかなったといえるだろう。しかし、緊張を緩めた先から背後から厳しい声が飛んできた。


「な~~に、気を緩めてるのかねぇ、馬鹿息子?」


その声に振り返ると、いきなり頭をわしづかみにされた。タバサの右の五指がこめかみにめり込んでいく。

俗に言うアイアンクロー。頭蓋骨を攻めるこれまたポピュラーなプロレス技である。単純に見えてかなり痛いのが特徴だ。


「い゛っ!!?」


一瞬の圧迫の後、メリメリという頭蓋骨がきしむ音が骨を伝わって直に響いてくる。悲鳴はたったの一言。

それ以上は言葉にも出来ないような痛みが、ダイレクトに脳に伝わってくる。


「~~~~ッ!!@#&%$??!!*!?」

「あんたは人の話をよく聞いてないみたいだねぇ? あたしは、ここに来る前に『奴ら、先手を打ってきた』っていったはずよねぇ?」


いらだたしげな声に比例して、頭蓋骨にかかる負荷も上がっていく。


「あの娘たちが狙われてるって、まだ気づいてないとはいわないわよねぇ、馬鹿息子――?」


しまいには、総司の足が地面から離れた。タバサは右腕一本で総司の体を吊り上げているのだ。

吊り上げるための腕力もとんでもないものがあるが、頭をつかみ続けている握力も驚異的といえる。まぁ、その握力が総司を苦しめているのだが…。

吊り上げられたことで不本意ながら自由になった足がつられた魚のごとく、びったんびったんとのたうつ。

だが1分も絶たないうちにその動きは弱々しくなり、終いには――、


「がっ………」


――止まった。まるで首吊りのような姿勢。見方によればまるで絞首刑のようにも見えるかもしれない

動きが止まったのを見て、タバサはようやく総司から手を離した。


「お仕置きは終わりよ。とっととあの子達の乗った救急車を追いかけなさい」

「っ痛ぅ~~~~~~~っ! 分かったけど、母さんは?」

「あたしはここに残って、警察の手伝いをしておく。零課にも連絡が行くようにしとくわ」


タバサの視線は焼け落ちた月夜の家に向いている。火は収まっているものの、ほぼ全焼といえる状況である。

普通でない火事、それと月夜の誘拐未遂。共通点は被害者が同じ家族ということと、人ならざるものが介入していること。

偶発的ともとれるが、少なくともタバサの中ではそうではなかった。現時点での情報でも、確実に月夜と香苗を狙っているものだと確信していた。

タバサは視線を総司に戻す。


「あと分かってると思うけど、最低3日は彼女たちについていて上げなさい。零課を動かそうと思うとそれくらいはどうしてもかかるわ。

それに、事情聴取があるからとか言って出歩かないようにもさせること。 あたしたちの『目』の届く範囲でないと、何かあっても助けることができない」

「――そこまで面倒を見る必要があるのか?」

「事情は状況が落ち着き次第話してやるから、とにかく今は行け」


過保護すぎる処置に総司がいぶかしむ。だが、タバサはそれ以上のことを言おうとはしなかった。

そして、総司もそれ以上は聞こうとはしなかった。彼女がそう言う以上は、今は決して話そうとはしない。少なくとも、今は。

ここで食い下がったとしても、ただ時間の無駄になるだけである。


「了解だ」


一言だけそう告げて、総司は自分の車へと駆けていった。

残ったタバサは、物憂げにため息をひとつ吐く。状況が彼女の考えている通りであれば、事件はまだ増える可能性が十分にある。

彼女はその被害を最小限にとどめる義務があった。そう、それは紫藤総司を引き取った人間が果たさなければならない義務なのだ。





総司の乗った車は、月夜と香苗を乗せた救急車にはすぐに追いついていた。

その過程で1発免停確実なほどのスピード違反をやってはいるが、あの処刑といっても過言でないアイアンクローをくらうよりは幾分もましだ。

今度はスピードに気をつけながら、無言で車を走らせること5分。救急車が病院のほうへと入っていった。

総司もそのあとを追って、病院へと入った。



総司は駐車場に車を止めると、救急患者の搬送口へと走っていった。

香苗は救急車から降ろされているのか、月夜だけが1人降りてきた。


「あれ…紫藤さん?」


総司の姿を見つけて、月夜が不思議そうに呟いた。


「事情を聞くついでに、被害者の様子を見に来たようなものだと思ってくれ」


実際にはそこまでの権利は条件付でしか行使できないのだが、そこのとこはうっちゃっておいて総司はそう答えた。


「それで、妹さんは?」

「今、処置室に運ばれたところです。目立った外傷はないけど、1通り検査はしておくそうです」

「そうか・・・。とりあえず、中で検査結果待っていようか」

「はい」


不安げな表情の月夜を落ち着かせるように、背中に手を回してゆっくりと総司は病院内へと入っていった。



処置室は病院内に入ってすぐ、時間外受付のすぐそばにあった。とっくに消灯時間を過ぎていることもあり、病院全体が薄暗い雰囲気に包まれている。

わずかに蛍光灯が照らす処置室前の長いすに2人は腰掛け、ともに無言でただ医者が呼びに来るのを待っていた。

しんと静まった院内で聞こえてくるのは、医師や看護士の声とあわただしい足音、それに医療機器が生み出す電子音だけ。

総司がやっていることとはまったく逆のベクトルでの命のやり取り。それを、ぼうっと聞きながらただ待ち続けた。

なんとはなしに壁にかかっている時計を見ると、23時を回ろうとしているところだった。香苗が運び込まれてから30分がたとうとしている。

そこで、ふと月夜の呼吸が妙に落ち着いていることに気づいた。深呼吸にも似た深い呼吸を、ゆっくりと繰り返している。

隣を見てみると予想通り。目蓋が半分落ちかけて、ゆらゆらと舟をこいでいる月夜がいた。


「眠いんだったら、横になってたほうがいい。呼びに来たらちゃんと起こしてあげるから」

「あぅ、でもいもーとが大変なときに姉のわたしがねむっちゃったら……」


よほど眠いのか舌足らずな口調で月夜は答える。落ちかける目を必死に開こうとするその姿は、まるで夜更かししようとする小学生だ。

その無防備な表情に少し心乱されながらも、総司は真剣な表情で月夜に言った。


「妹が大変なときだから、きちんと休んでおくんだ。家族・親族に連絡がつくまでは君が面倒見なくちゃいけないんだから。

 その君が倒れたら話にならない。そうでなくても今日、君自身が犯罪にあっているんだ。参ってないわけがないだろう?」


諭すような口調。彼女の妹のことも確かに気にしなければならないが、彼女自身つい2時間ほど前まで危険な状況にあったのだ。

自覚症状がないとはいえ、精神的な疲労はたまってきている。それを解消するためにも、身体が睡眠をとることを求めている。

それでも、月夜は頑なに起きていようと目をこすりながら睡魔に耐えていた。そこで、総司はこういう場合の取って置きの手段に出ることにした。


「ったく、強情な娘だなぁ」

「え…、あの…?」


呆れたように呟くと、総司は立ち上がって着ていたコートを脱いだ。そして彼女の肩にかけてやると再びいすに座りなおした。

かと、思うと――


「きゃっ」


月夜の肩をつかんで引き倒した。何がおきたのかと、月夜が目を白黒させているとその目を急にふさがれた。

目の前は完全に真っ暗闇。それと彼女の目を覆っているものが発する温もりが、彼女の睡魔への抵抗力を奪っていく。

ぼんやりとしていく頭で、月夜は目をふさいでいるのが総司の手であること、今彼女の頭の下にあるのが総司の太ももであることに気づいた。

そして今の体勢に思い当たった。


(膝枕…)


男女の役割が逆であることはこの際気にしない。総司は彼女に膝枕をして、眠りやすいように目を手で覆っているのだ。

睡魔でぼうっとしていた月夜の頭が、別の意味で熱を帯びてきた。恥ずかしさで思わず、悲鳴じみた声が出てしまう。


「あ、あの…」

「寝ていろ」


「この体勢は恥ずかしいです」と続けようとした月夜を一言で総司は黙らせる。先手必勝かつ一刀両断といったところだろうか。

なんともいえずに、月夜はしゅんとして静かになる。


「俺が襲わないかとか考えているんだったら、心配するな。襲うんだったら、会ったときに襲ってる。第一、そんなことをすれば俺は母さんに死んだほうがマシなくらいに痛めつけられる」


寝やすいように緊張をほぐすための軽い口調。それからまた穏やかな声色に変わる。


「だから、心配しないで寝てろ。医者が着たらちゃんと起こしてやるから。今は、ゆっくり休んでろ」

「……はい」


まだ納得しきっていないのか、返事をした声にはどこか拗ねたような響きがある。しかしどこか幼さの残る反応が、むしろ微笑ましくもあった。

目を覆っているので表情が見られないことをいいことに、総司は小さく笑みを浮かべる。


「本当に…起こしてくださいよ…。香苗が…起き…たら、ちゃんと……起こして……」

「おいおい、医者が呼びにきたらじゃないのかよ」


もう眠気が限界で途切れ途切れになる月夜のお願いに総司は苦笑した。苦笑を浮かべながら、どこか暖かい気持ちになっていた。

彼女は無意識だったのだろうけど、医者のことを彼に一任したのだ。結局それは総司のことを信頼したことに繋がる。

今日、しかも数時間前に会ったばかりの彼女にここまで信頼を寄せてもらえる。これまで経験のなかったことだ。

それに、こんな風に優しく年頃の女の子と接していることも。

そのことが、総司の胸にどことなくむずかゆいような疼きを生まれさせた。


「なんというか…、純真なお嬢様だな」


疼きをごまかすように呟いて、眠り始めた月夜の髪をすく。手のひらに感じる柔らかい髪の感触にまた胸がうずく。

その疼きを感じながら、総司の運命の夜は更けていくのだった。


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