金木犀は残酷だ
金木犀は残酷だ。
秋が来ると常々思う。
夏が終わり、秋の訪れと共にやって来るあいつは、自分を主張するかのように町を匂いで支配する。
それを好む人もいるし、嫌う人もいる。
金木犀は残酷だと書いたけど、私はこの匂いが好きだ。何となく鼻について、でもどことなくもの悲しさを感じさせてくれる。
数年前の秋、私は彼と一緒に金木犀の下で二人座っていた。
いい匂いだね、と笑っていた。
骨ばっていて、大きいけど痩せた手で私の小さな手を包み込んでいた。
私は、うん、と言って笑った。
笑っていた。
来年も、一緒にこの匂いを楽しめるかな。
心ではそう思っていたけど
私はそれを声に出さず笑っていた。
しばらく黙ったまま、二人で金木犀を楽しんでいた。
来年も一緒にこの木の下で転がろうね。
私がそう言うと、彼は困ったような笑顔で
うん
と言った。
それから、初秋とはいえ寒くなったので、私は帰り、彼は病室へ戻った。
帰り道、私はずっと
来年も彼と一緒に金木犀の下で笑っている
彼はきっと元気になる
彼はずっと笑って私のそばにいる
帰りの電車の中でただそれを願っていた
それから1年後、夏の終わり、彼は金木犀を見ることなくいなくなった。
私は一年間家から出なかった。
彼と出会った場所、デートした場所、告白された場所、病院、彼との思い出が外に詰まっていたから。
もう彼は遠くに行って、届かないから、無理矢理思い出を塞ごうとした。
家にいても、彼をずっと想っていた。四六時中想っていた。
季節を忘れた頃、私は珍しく窓を開けた。何となくそうしなきゃいけない気がしたから。
外の匂いなんて気にしたことなかったけど、今はこんな雑多な匂いなんだ、と意外に思う。そして、季節がわからなかった私は気づかなかった。
今がちょうど、金木犀が咲く季節だったことを。
金木犀の匂いが鼻に通り、彼との思い出を思い出す。
彼の大きくて骨ばった手、ぬくもり、目が線になる笑顔。笑顔の時にできるえくぼ。
私は思わず嗚咽する。
こんな時に。
こんな辛いことを思い出させて。
金木犀は残酷だ。
今いない彼のことを無理矢理思い出させた。
もう届かない人を
触れられない人を
胸が苦しい
私は失った
永遠に
永遠を
夢の中、誰かに呼ばれたような気がした。
私は声の方へ行く。
でも届かない。
掴めない。
私は呼ぶ
彼の名を呼ぶ。
そこから金木犀の匂いが鼻につく。
目を覚ますと、窓が開いていた。どうりで金木犀の匂いがするわけだ。
ふと、その匂いに刺激されたせいか、彼が最後言っていたことを
記憶を封じ込めていたことを
記憶の窓を開けた。
負けるな
元気でいてほしい
笑顔が好きだ
笑って送って
私は大声で泣いた。今までで一番泣いた。
これ以上ないくらい泣いた。親がやってきて、背中をさすってくれた。
辛かったね、と。
うん、辛かったよ。
そう言いたかったけど
今はただ泣いていたかった。
季節がわかるようになった。
春になり、私は専門学校に入った。
ずっと前から夢があった。
誰かを助けられる人になりたかった。
彼を失って、ますますそう思うようになった。
その上で親も承知してくれて、応援もしてくれた。
恋愛は当面できそうにない。
彼がまだ心を占めているから。
いつか、いつの日か
何年か、何十年後か
好きな人ができたら、まずあなたに報告するね。
その時は
嫉妬しないで聞いてね。
あなたの言った言葉を胸に抱いて
負けるな
元気でいてほしい
その言葉で私は
前に進む。
大丈夫。
私は元気だよ