05 幻獣と【聖女】。
鼻を啜って、目元を擦る。
「ごめんなさい。笑って、泣いて、すみません」
「えっ? その、えっと……いいよ。その」
仕方なく笑って見せると、レッドさんが歩み寄った。
何故か、頬が紅潮している。びしょ濡れになったから、風邪でも引いたのか。それにしては熱が出るのが早すぎる。
「可愛い笑顔だと思うよ、オレ!」
そわそわしたレッドさんは、それだけを言うと離れた。
可愛い、か。それはありがとう。
「乾かしましょう」
グリーンドさんは微笑むと、炎を操って私を囲った。熱風に包まれる。
火花が散るようにして、炎は消えた。大分乾いたけれど、髪の毛が広がってしまっている。撫で付けて整えながら「ありがとうございます」とお礼を伝えた。
「異世界人も色々大変なんだろう。ガス抜きは大事だぜ」
バシッと喝を入れるみたいに背中を叩くのは、ブラックさん。中々痛い。
事情を察してくれるのは、ありがたいけれども。痛い。
「我々と共も戦ってくださり、ありがとうございます。ノラさん」
「こちらこそ、ありがとうございます。グリーンドさん、ブラックさん、レッドさん、ブルーノさん」
「いえいえ。我々のことは、アルコバレーノと呼んでください」
「!」
アルコバレーノ。それはイタリア語で虹を意味する。
驚いたのは、そのことではない。
アルコバレーノは、王から直属に命が下るほどの力強い集まりだと聞いたことがある。女亭主ターニャさんが「この国一番の冒険者さ!」と自慢げに言っていた。
最強の集まり。だから名前に聞き覚えがあったのだ。
私ってばそんな人達に誘われて、一緒に戦ってしまったのか。
「えっ。まさか……この依頼って……」
「国から直属の依頼ですよ。聞いていなかったのですか?」
「……聞いていない」
全然聞いていない。
「そう青ざめてどうしたのですか?」
グリーンドさんは、おかしそうにクスクスと笑う。
「いえ、私……身の程知らずだな、と思って。私みたいな初心者が参加してすみません」
「え!? なんで!? ノラ、すっごい強いよ! 十分だよ!」
レッドさんが、ブラックさんの後ろでフォローしてくれた。
何故距離があるのでしょうか。
「そうだよ。卑下しなくてもいい。オレ達の足を引っ張るどころか、いい魔法のチョイスだよ。まぁ君の戦闘スタイルが、偶然合っていただけのことだろうけど」
次にブルーノさんはフォローしてきた。
確かに私の行動が邪魔にならなかっただけ。偶然。
「しかし、あのモンスターに臆さずに戦えていたのですから」
「おう。そんじゃそこらの冒険者とは一際違うわ! 自信持っていい!」
「……かの有名なアルコバレーノ一行の皆さんにそう言ってもらえると、自信が持てます」
「謙虚だなぁ、ノラは」
ブラックさんは、笑い退ける。
謙虚だとは言われても、普通だと思う。
「今日は本当にありがとうございます。いい経験が出来ました」
「いい経験だなんて、さみしいことを言わないでください。また一緒に戦いましょう」
グリーンドさんが、柔和な笑みで言ってくれた。
社交辞令だと思っておこう。
「今日の報酬は、山分けです。報酬を受け取りに戻りましょうか」
そう言うので、私はグリーンドさんに近付く。
レッドさん達も集まると、グリーンドさんの足元から白い光が広がって、私達を飲み込んだ。
光が収まれば、街の外にいた。そのままぞろぞろ歩いて、ギルド会館に向かう。
レッドさんはそわそわしていて、私のそばを歩くエメに触れることを試みた。でもエメは許可せずに、唸って見せる。
エメも人見知り病だったのかな。
「ね、ねぇ! ノラ」
「はい?」
そのそわそわしているレッドさんが、覗き込んだ。
「夕食、一緒にどう? 乾杯しようよ」
「あー……」
食事も一緒だなんて、注目浴びて嫌だ。先ずはそう思ったが、手遅れだろう。ギルド会館でも注目を浴びたし、アルコバレーノと仕事をしたことはもう広まってしまっているに違いない。
「でも私、毎晩同じ店で食事をしてまして」
「知ってる!」
ええっ?
私は驚愕してしまった。何故知られてしまっているのだ。
「ターニャさんの店だよね! たまに見かけてた!」
「ノラさんの行きつけの店にしましょうか。構いませんか?」
「……ええ、皆さんがいいのなら」
「決まりですね」
誰かと一緒に食事か。それも久しくて、また泣いてしまわないようにしなくては。
ターニャさんの店に行くと、今日は団体で驚かれた。いつもは一人と一匹だからだろう。それともアルコバレーノ一行といるからだろうか。きっと後者だ。
私はチェリー酒。他はビールを頼んで、乾杯をした。
討伐の成功祝い。
根掘り葉掘り尋ねられることもなく、普通に食事をするだけですんだ。
「私はこれで失礼します」
「おや、送りますよ」
「おお、そうだぜ。異世界人のアパートだよな」
帰ってシャワーを浴びなくてはいけない。
そう言い出せば、グリーンドさん達も席を立った。
「お気遣い、ありがとうございます」
住んでいる場所を知られるのはちょっと不安だけれども、異世界人が与えられているアパートは周知。それに魔法道具をぶら下げている冒険者をどうこうしようなんて、考える輩ではないだろう。
いざって時は、全力で抵抗する。エメもいるし。
「まいどあり!」
ターニャさんの豪快な笑いで見送られて、アパートに戻った。
「ありがとうございました」
「こちらこそ、今日はありがとうございました」
「そうかしこまるなって、気楽でいようぜ」
「そうそう! また今度な! ノラ!」
「じゃあね」
部屋の前まで送るということは遠慮してくれて、アパートの前で手を振られる。私も一礼してから、手を振り返した。
部屋に戻ったら。
「……ただいま」
そう呟いてみる。
ここが私の帰る家だ。そう心で受け止めて、私はエメに笑いかけた。
ピアスとペンダントを外して、棚の上に置く。剣は立てかけた。
「シャワー、浴びようか」
バスルームに入って、エメとシャワーを浴びる。
すっきりしたところで、軽くストレッチ。そして、ベッドに横になる。すぐ隣には、エメが潜り込む。それを微笑んで見てから、瞼を閉じた。
暫くして、何かの気配を感じて、目が覚める。
目の前にいたのは、緑の犬なんかではなかった。
むっすりとした顔の男の人だったものだから、飛び起きる。
「何故オレの前では泣かなかったのに、あやつらの前で泣いたのだ?」
「は!? えっ!?」
棚の上のピアスを取ろうかと戸惑っていれば、見付けてしまう。
男の人の頭の上にある獣耳。暗闇でもわかる。ピンッと立った獣耳。
まさかと思い、視線を落とす。彼の後ろにはもふもふの尻尾があった。
「獣人……?」
「エメだ!」
「エメぇ!?」
獣人だけでも驚きなのに、名乗られてさらに驚く。
エメがいない。彼がエメ。エメが男の人になった。
犬みたいに見える耳はピンと立っていて、Vネックの長袖のシャツを着ていて、ズボンも穿いている。
「エメ! 獣人だったの!?」
「オレは幻獣の類だ。さっきから驚きすぎだろうが」
「驚くわ!」
声を上げてしまったけれども、アパートの壁がそう厚くはないと思い出す。近所迷惑だ。口を押さえる。
「幻獣……てか、なんで今まで喋れない振りをしていたの? 一緒にシャワー浴びたじゃない」
「……」
エメと名乗る男の人の視線が、私の身体に向けられた。次は僅かに月明かりが射し込む窓に移動する。
「エメぇえ!」
「ノラが勝手に裸になっただけだろうが」
「エメ!!」
「ええい、オレが話したいのはそのことじゃない」
エメの顎を鷲掴みにした。だが、すぐに振り払われる。
逸らしても、私の裸を見た事実は消えない。
「何故、野郎共の前であんなに笑って泣いたんだ?」
「……笑いのツボに入って、色々押し寄せてきて涙が出てきた」
「……そうか」
あのアルコバレーノ一行と行動させたのはエメじゃないか。
そう思っていれば、フリフリともふりっとした尻尾が揺れた。
私はそれに手を伸ばして掴んだ。エメはビクリッと震え上がった。
「触らせないとは言わせないわよ」
「っ……」
鋭く視線をよこせば、エメは私の裸を毎日見ていた負い目がある。
だから大人しくもふもふさせてもらった。もふりやすいように後ろを向いたエメの頭の上に顎を乗せる。そうすれば、頬が左右の耳に挟まれた。もふもふ。幸せ。
毎日手入れをしているから、尻尾の毛はなめらかで掌を擽る。
「逆撫でするな……」
「擽ったい?」
「耳に息を吹きかけるなっ」
そんなつもりはなかったけれども、耳に息を吹きかけてしまった。
ビクンビクンと震える耳が、可愛い。
「ねえ、なんで私についてきたの? 沼から救ったお礼がしたくて、毎日モンスターを見付けてくれたの?」
「は? そんなわけないだろう。オレは仕えてやってるんだ」
ツーンとした態度で、エメは答えた。
「仕えてやってるんだって……エメってばツンデレ?」
「つんでれ? どういう意味だ?」
「態度でツンツンしながらも、尽くしてくれるエメのこと」
すりすりと頬擦りをする。もふもふふふ。
「大体、お前には【聖女】の自覚が足りないんだ」
「……せいじょ?」
「そうだ。お前は【聖女】なんだよ」
ぺちっと立っている耳にビンタされて、エメが振り返ってきた。私を見上げてきた彼を見て、目を瞬かせる。
「……なにそれ?」
私は率直に問う。
「この世界、いやこの国は異世界から人間が召喚される。ほとんどがただの人間だが、召喚された時、精霊達を見たはずだろう?」
「……白い光なら見たけれど」
「それが精霊達だ」
「!?」
あれは、精霊達が浮いていたのか。
エメが言うには、普通の人間では見えないものらしい。
「じゃあ、精霊が私とあなたを引き合わせたのね?」
「ああ、精霊にお前を育てるように言われた」
「……」
私はあぐらをかいて、頬杖をついた。
聖女とは、神の恩寵を受けて奇跡を成し遂げた女性だったり、けがれを知らない神聖な女性のことを指す。
「何故、直接精霊が私と話さないの?」
「今は時期じゃないからだ。【聖女】は世界を救うために、大昔に召喚した神や精霊の恩寵を受けた女のことだ。異世界からの召喚の代償として、異世界と繋がってしまい、時折人間が来るようになった」
「それで日常化してしまったのね」
異世界転移の現象が日常化している原因を知り、納得した。
その聖女の召喚魔法のせいで、大昔に地球とこのキャルークスを繋げてしまったのだろう。
「大昔に世界を覆い尽くそうとした瘴気は、当時の【聖女】が完全に浄化して世界を救った。だが、それでも【聖女】を召喚したから、精霊達は世話をするつもりだ」
「……私、召喚されたけれど、やることないのね」
世界を救うと言う使命がないというのは、ホッとする一方で虚しくもなる。
だから中途半端な笑みを漏らす。
【聖女】なのに、私はやることがないのだ。世界を救うために召喚されたのに、事務的な対応をされて放っておかれたことを怒るところだ。
でもまぁ、精霊は武器選びを手伝ってくれたし、エメとも引き合わせてくらた。少々厳しいけれども、見守ってはくれている。そのことに感謝しよう。
「まぁいいわ。このまま冒険者として活躍する」
「その粋だ。精霊が黙っていたのは、人間に利用されないためだ。世界中がお前を欲しがり戦争を起こしかねない。だから、【聖女】だということは伏せておくんだ」
「それは……面倒そうだし、うん、黙っているわ」
私は面倒ごとには巻き込まれたくないと、苦笑を零す。
「私が他の人と違うのは、どこ?」
「魔力の性質と量だ。けがれなき魔力は膨大にある」
「そうなの。魔法を学ぼうかしら」
「図書館に行けばいい。魔導書の宝庫だ」
「それはいい考えね。でも図書館にあなたは入れないでしょ」
「……」
流石に図書館にペットは入れないはず。
エメはむくれた。その耳や尻尾を外せるものなら、外すと言うだろう。外せないのだ。このもふもふ。
「元に戻って。寝ましょう」
「……おう」
私は手招きして、横たわった。
頷いたエメは煙に包まれたかと思えば、ポンッといつもの子犬サイズの幻獣になって降り立つ。そのまま私に寄り添ったので、タオルケットを被って眠りに落ちた。
20180128