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「オヤカタ様」って間違ってます&『呼び名』についての補足

mein_kaiser様より補足をいただきましたので、コピペいたします!


「平朝臣織田右大臣三郎信長」うん。あっているようで間違っている・・・間違っているようであっている・・・微妙なところですねww

平朝臣・・・これが問題。一次史料では織田氏は本来中臣氏と対を成した神祇官の一氏たる忌部(斎部とも)氏の後裔である可能性が高く、信長の父信秀の代に藤原氏を称し、信長時代中期頃に桓武平氏を称したそうです。福井県越前町織田に劔神社と云う神社がありますが、個々の通称は織田神社と云い、織田氏の氏神でもありますね。

武家は名族の後裔を称する事が流行したらしく、徳川氏などは賀茂氏→清和源氏→藤原氏→吉良氏→新田氏系得河氏→清和源氏と目まぐるしく氏が変わっていますw

上記の「平朝臣織田右大臣三郎信長」は実は間違っているのです。

何が違うのか・・・

『平』 … 氏

『朝臣』… 姓

『織田』… 名字

『右大臣』… 官職

『三郎』… 仮名

『信長』… 諱

これに足らないものがあります。それは・・・位階です!

本能寺直前ではこうなります。

『前右大臣正二位平朝臣織田上総介三郎信長』長っつ!

信長の右大臣在任は四か月と少ししかありません。

天正六年中盤時点ですでに『前右大臣さきのうだいじん』となります。

つまり、正確には

『平』 … 氏

『朝臣』… 姓

『織田』… 名字

『右大臣』… 官職

『三郎』… 仮名

『信長』… 諱

  ↓

『前右大臣』… 官職

『正二位』…位階

『平』 … 氏

『朝臣』… カバネ(國史学者はカナを使用します)

『織田』… 名字

『上総介』…通称

『三郎』… 仮名

『信長』… 諱

と、なります。こんがらがってくるーww

それから、『カバネ』はヤマト王権以前から存在します。古事記に登場(鬼灯の冷徹にも出てきますw)する大室山の化身『イワナガビメ』の『ビメ』が『カバネ』なのです。

天武天皇十三年(西暦684年)に制定された八色の姓(この頃からカバネに姓の字が当てられますが、現在の姓とこんがらがってしまう為、我々國史を学んだものはカバネを使用します)により「真人・朝臣・宿禰・忌寸・道師・臣・連・稲置」の8姓が誕生しますが、平安以降も残った末裔のカバネは大半が『朝臣』になってしまいましたが、実は宿禰や臣・連を使用している大名や公家・神官・僧侶等もいたのです。

そういえば秀吉の異母弟秀長と異母妹朝日ですが、実は実弟・実妹の可能性が高いことが解っています。秀吉の父木下弥右衛門と継父竹阿弥は同一人物だとも言われています。

史料では弥右衛門死去時に秀長は3歳・朝日は1歳であり、仮に別の人物だとしても秀吉姉兄弟妹は同父同母である事がうかがえます。

秀吉の場合は『太政大臣前関白従一位豊臣朝臣羽柴筑前守秀吉』となります。

ここで一つ。ご存知の事とは思いますが、官位には『唐名』があてられます。

『豊太閤』『羽柴博陸』や『豊臣相国』、『織田前右府』、『小早川金吾』『水戸黄門』などがそれですね。

太閤は関白であった者が後裔にその職を譲った者を指します。敬称は『殿下』です。

博陸は関白の唐名です。

相国は太政大臣を唐の官職にあてはめたモノですね。右府は右大臣、金吾は左衛門督、黄門は中納言の事ですね。小早川秀秋は当時から阿呆と陰口をたたかれていたとも言われ、『金吾中納言』と呼ばれていましたがこれには『中納言ではあるものの実質的には左衛門督程度の人間でしかない』の意味でもあったそうです。

黒田長政の『秀頼様』ですが、これはわざと諱で呼んでいると考えられます。黒田長政と云えば秀吉没後に家康にすり寄ったことで有名ですよね。家康を指すときは『上様・大御所様・源内府、源右府等』と書いているのに対し、秀頼には『秀頼様』と書いています。秀頼は慶長8年4月~慶長10年4月まで内大臣、慶長10年4月~同12年1月まで右大臣でしたので『豊内府又は豊右府』と呼ばれているはず。実際に他の大名や公家の書状にはそのように書かれているモノがあります。一概に諱を呼ばせていたと断ずるのは危険なのです。

⑤室町時代前期~中期に『屋形号』を持っていたのは

斯波氏(武衛家 尾張足利氏の事。斯波義統等)・畠山氏(金吾家)・細川氏(京兆家)・山名氏(本宗家)・一色氏(本宗家)・畠山氏(匠作家)・細川氏(讃州家)・赤松氏(本宗家)・京極氏(本宗家)・大内氏・斯波氏(大野家)・土岐氏(西池田家)・六角氏・細川氏(上和泉家)・細川氏(下和泉家)・今川氏・山名氏(伯耆家)・山名氏(石見家)・武田氏(豆州家)・富樫氏・細川氏(奥州家)・京極氏(加州家)の20家だけでした。

『屋形号』以外には上位に『御所号』や『公方号』と云うものもあります。

『公方号』を持っていて戦国時代に有名なのは『古河公方』足利晴氏・義氏父子、伊勢宗瑞(北条早雲の事です。早雲は生涯一度も北条姓を名乗っていません)に滅ぼされた『堀越公方』足利茶々丸、喜連川足利氏の祖『小弓公方』足利義明、『堺公方(後阿波公方又は平島公方)』足利義維(14代将軍足利義栄の父)等ですかね?

『御所号』では土佐一条家の『中村御所』一条兼定、『斯波御所』や『雫石御所』・『猪去御所』で有名な奥州斯波氏の斯波詮真と叔父の雫石詮貞・猪去詮義兄弟でしょうか。

『山形御所』は最上氏の『御所号』で、『最上義光』も『御所様』と呼ばせています。

奥州では『浪岡御所』も有名です。浪岡北畠氏(北畠顕家後裔)ですね。

他には伊勢北畠氏の『多芸御所(霧山御所とも)』剣豪大名北畠具教が有名ですかね??その一族の『木造御所』『田丸御所』『大河内御所』『坂内御所』なども『御所号』ですね。

中期以降になると幕府の財政悪化の為、『屋形号』免許の売買がおこなわれるようになりました。長尾為景や武田信玄・織田信秀等もこれに該当します。

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