『呼び名』について ~「信長さまぁぁ」「無礼者!」~
「オヤカタ様! 敵襲でございます! 」
小姓が城主の間でくつろいでいる織田信長に報せる。
まさに風雲急を告げた大一番が近づいているというのに、信長はあぐらをかいたまま動こうとはしない。
そんな彼に側にいた池田恒興が大声で問いただした。
「信長様! もう今川の大軍勢がすぐそこまで押し寄せているのですぞ! このまま手をこまねいていては、織田家は飲み込まれてしまいます! どうかご出陣を! 」
しかし信長は目を閉じたまま、まるで聞こえないかのようにじっとして動かない。
そんな時だった……
「申し上げます! 今川義元は田楽狭間にて幕を張り、戦勝の前祝いを催すとのこと! 」
と、大きな声で報せが入ったのだ。
その瞬間、カッと目を見開いた信長は雷のような声で外にいる者へ指示した。
「猿!! 馬を用意しろ!! 出陣じゃ! 」
「はっ! かしこまりました! 信長公!! 」
「敵は田楽狭間!! 狙いは義元の首ただ一つ!! 行くぞ!! 」
………
……
突然ではありましたが、よく目にしたことのあるシーンですよね。
そうそう、いわゆる「桶狭間の戦い」の出陣のシーンですね。
しかし……
このシーン、「当時の常識」では『呼び名』に誤りがある、ということにお気付きだったでしょうか?
え……?
全然、違和感なかったんですけどぉ……
そりゃそうですね。
なぜなら私たちは「現代人」ですから。。。
では、『呼び名』の前に、『名前』について知っておきましょう!
ところでみなさん、「織田信長」のフルネームをご存じでしょうか?
え……?
「織田信長」は「織田信長」じゃないの!?
そう思われるのも「現代人」の常識にはまっているからなんです!
実は「織田信長」のフルネームは……
『平朝臣織田右大臣三郎信長』
※「右大臣」は変化します
ながっ! 長すぎる!!
ど…どういうことなのぉぉぉぉ?
では一つ一つについて見ていきましょう。
『平朝臣織田上総守三郎信長』は以下のように分けることが出来ます。
『平』 … 氏
『朝臣』… 姓
『織田』… 名字
『右大臣』… 官職
『三郎』… 仮名
『信長』… 諱
むむむっ!?
「氏名」「姓名」「名字と名前」というくらいだから「氏」「姓」「名字」は一緒じゃないの!?
実は違うんです!!
こんな時のwiki先生ですね!!
早速聞いてみましょう!!
「氏」とは…
氏(うじ、ウジ)とは、事実上または系譜上、祖先を同じくする同族集団、すなわち氏族を指す。
(wikipediaより抜粋)
つまり、簡単に言えば「ルーツ」とか「起源」とかいうものにあたります。
すなわち織田信長であれば「平」がルーツだということです。
ちなみに徳川家康は「源」がルーツであり「氏」になります。
古代日本においては「氏」だけあれば、自分が所属する集団がどこなのかが判断できました。
そして相手の「氏」を知れば、いわば「敵なのか味方なのか」ということが分かったということですね。
しかしそれでは『身分の高低』と『血縁関係』が判断出来なくて困っちゃいます。
そこで平安時代になると『姓』(かばね)と『名字』が出来たのです!!
すなわち『姓』とは、『天皇から与えられた役職』を示し、それによってどんな身分の出自なのか分かった訳です。
そして『名字』とは、『血縁者を区別するもの』となりました。
実はこの『名字』、勝手に自分で変更することが出来たんです!!
代表的なのは「豊臣秀吉」でしょうか。
彼は元々「木下」という名字でした。しかし城持ちにまで昇進した際に「羽柴」と名字を変えます。
最後はご存じの通り「豊臣」になったわけです。
↓
訂正します!
豊臣秀吉の本名は…
豊臣朝臣羽柴関白藤吉郎秀吉
※最終的には「太政大臣」ですが……
です!!
豊臣は「氏」です!!
失礼しました!
では、次に『名前』にあたる部分を見ていきましょう。
まずは「官職」。
これはいわば『天皇から与えられた役職』になります。
むむっ!?
『姓』とは何が違うの!?
と思われるでしょう。
これは簡単に言えば「家柄」か「本人」か、という点が異なります。
つまり織田信長で言えば「右大臣」というのが、織田信長本人の役職であったということを示しているのです。
では次に『仮名』(けみょうと呼びます)ですね。
こちらは別名『通称』と呼ばれるものです。
実はこの『仮名』こそが、『通称』という名の通り『呼び名』として使われていたんです!
では『信長』にあたる『諱』とはなんぞや?
これは『死後に与える称号』とか『生前の徳を名前に表した実名』といったものでした。
つまり簡単に言えば「その人が死んだ後に名づけられる予定の名前」ということです。
……ということは……
「信長さまぁぁぁ!」
「ばかもの!! われはまだ死んでおらん! 実名で呼ぶな!! 」
ということになるのですね!
このことから「忌み名」(いみな)と言われておりました。
どうしても「諱」を書などに書かなくてはならない時は「字画」をあえて間違ったりするほどに避けていたと言われております。
つまり……
織田信長のことを「信長」と口にした時点で、「無礼者!! 」と首を切られてもおかしくなかった、というわけです。
ではどんな風に呼ばれていたのか。
もちろん『通称』すなわち、『仮名』で呼ばれていることもありました。
しかしそれはあくまで「官職がない間」のことで、等しく天皇の元で生きる人である以上、「官職」で呼ばれることが多かったようです。
これは実は現代でも同じなんです!
分かりやすく言えば「会社の中」です!
例えばファーストフード店でアルバイトをしているとします。
織田三郎さんという人が店長だとするならば、「三郎さん」と店内で呼んだらどうなるでしょうか……
――こいつらデキてんのか……?
と、疑われても仕方ないですよね。
この時は素直に「店長」と、役職で呼ぶのが普通であり、礼儀というものでしょう。
特に当時の武家社会は「官職」が役職として使われておりました。
もっとも全員が全員、天皇より下賜されたものとは限りませんでしたが……
※このあたりは今は割愛します
ではまとめますと……
戦国時代における『呼び名』は『諱』は極力避けられておりました。
『官職』がないうち、ないしは親しい間柄の場合は『仮名』で、
そうでない場合は『官職』で呼んでいた。
……というのが「通説」です。
しかし実際は……
『諱』で呼ぶことが絶対になかったのか、と問われれば答えは「ノー」です!
つまり『諱』を敬称として利用していたことの指摘が何点か見つかっているのも事実なのです。
「諱で呼ばせているからあの作品は情緒に欠けるよなぁ」
とは絶対にならないでいただきたい。
当時の呼び方がどんなものであったのか、
それは今の私たちには知ることは出来ません。
だからこそ、そこに自由な発想と創作が出来るのです。
作品の本質は『呼び名』では決まりません。
多少違和感を感じても、中身を見てあげてほしい。
中身が合う合わないは確かにあるとは思います。
それは仕方のないことです。
でも『呼び名』にこだわって、本質を見ずに、その作品が本来持つ魅力に気づかなければ、それは本当にもったないことなんです!
さて次回は「オヤカタ様」っていうの間違ってますってお話です。