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『兵士』について〜戦行って何か食うもん探してくるべ〜

 戦国時代の『兵士』と言えば皆さんどんな想像をされますでしょうか?



 真田幸村の『赤備え』なんてすごく有名ですよね。

 

 彼らは兵士として立派な甲冑を身にまとい、武器を手に敵陣へと突撃していく――

 

 

 しかし、そんな戦国時代の兵隊さんのほとんどは『農民』であった、なんてこと信じられますでしょうか!?

 

 

 そんな訳で今回は日本の『兵士』について、少しだけ掘り下げてみてみましょう。

 

 遡ること戦国時代よりもずっと前……

 

 なんと奈良飛鳥時代から平安時代初期、つまり『武士』の概念が生まれるずっと前から『兵士』は日本に存在しておりました!

 

 ……って、ある意味当たり前ですね。

 

 戦争はどの時代にも等しくあった訳ですから。

 

 ではこの時代の『兵士』たちはどのような存在だったかと言えば、

 それは『傭兵』と『徴兵』でした。

 

 

 まずは『傭兵』について。

 簡単に言えば、お金で雇われていたんです。(もちろん米の時もあります!)

 

 つまり戦争が起こりそうな時に、お金が欲しくて仕事のない人々、今では「ニ○ト」な人々に、


――引き籠ってゲームばっかりしないでたまには仕事しなさいっ!


 って感じで、アルバイトとして雇ったわけです。

 そして戦争が終われば、即解散。

 

 お金の切れ目が縁の切れ目――

 

 せちがない人の縁とは、今も昔も変わらないもので、『傭兵』だった人々は、

 アルバイトが終われば、元の引き籠りの毎日に戻ったのです。

 

 

 そして『徴兵』。

 

 こちらは『傭兵』だけでは足りない大きな軍事行動を政府が行う際に行われました。

 

 「発兵勅符」と呼ばれているものです。

 

 これが発せられると、施政官たちは農民たちの家を回って、「健児」……つまり健康な男子を兵士としてかっさらっていったのです!

 

 つまり平安期の頃から既に農民たちが『兵士』として戦う歴史は始まっていたのですね。

 

 

 脱線しますが、強制的に徴兵された農民たちは、たまったものではありません。

 だって大抵は大事な家族の大黒柱だったのですから……

 

 すると農民たちは戦が始まりそうになると、逃げ出す者が後を絶たなかったようです。

 そして、空家が出来れば……

 

 そこには盗賊も現れるのは、必然ですね。

 

 こうして日本の農村は荒れに荒れていったわけです。

 

 そこに現れたのが「軍事貴族」と呼ばれるマッチョたち。

 

 彼らは農民たちが逃げ出さないように監視し、盗賊が悪さをしないように村を守りました。

 

 その代わりに『みかじめ料』をもらう。

 さらに政府からも管理費をもらう。

 

 この「軍事貴族」が「武士」の起源とも言われているようですよ。

 ※「武士」の起源は、各種あるので割愛します

 

 

 

 さて、『兵士』のことに話を戻しましょう。

 

 

 武芸を専業とし、腕っ節一つで終身雇用を勝ち取った、脳筋……(以下、自重)

 のことを「武士」と呼びます。

 

 実は彼らの数はそう多くはないんです。

 

 彼らは「足軽」と呼ばれ、合戦においては重装備で臨んでおりました。

 作戦は『命をたいせつ』にね!

 

 しかし彼らを終身雇用し続けるには、彼らの給与となる『土地』が必要となります。

 

 つまり多くの足軽を雇う為には、多くの土地が必要となるわけです。

 

 土地の広さに限界のある大名たちにとっては、これは頭の痛い悩みでした。

 つまり多くの足軽を終身雇用するのは厳しかったのです。

 

 かと言って、隣国と戦争になれば『兵の動員数』は、勝敗の一番の決め手となります。

 

 

 そうなると……

 

 

 出てきた答えはただ一つ。

 

 

 『傭兵』を雇うことでした。

 

 

 しかし特に地方において、そうそうニ○トが見つかるものでもない。

 そもそもニ○トは……(以下、自重)

 

 ……ということで、大名たちが白羽の矢を立てたのは『農民』たちだったという訳です。

 

 

 この頃日本は(というよりも世界は)、今では考えにくい「寒冷期」に入っておりました。

 地球と太陽の位置関係ってやつですね!(以下、省略)

 

 そこで干ばつや水害やらが続き、

 そりゃあ目も塞ぎたくなるほどの不作の年が続いたとされております。

 

 そこで農民たちは畑を耕し、収穫をする時期以外は、

 アルバイトでもしないと生きていけなかった。

 

 

 大名たちに、札束でペチペチされれば、戦争は嫌でも乗らざるを得なかった、ということですな。

 

 

 こうして戦国時代の兵士たちの多くは『傭兵』であり、なおかつ『農民』だったいうことになるのです。

 

 

 しかし、わずかな金で雇われた上、足軽と比べれば粗末な防具と武器で戦わねばならない。

 そして何よりも作戦は『命をたいせつに』なのです。

 

 

 こうなれば結果は目に見えてますね……

 

 

――農民兵たちはにげだした!



 となることが……

 

 

 つまり、ちょっとでも自分たちが属している軍勢が不利と分かれば、

 彼らはとにかく逃げました。

 

 元より『傭兵』は戦争が終わればバイバイの身です。

 勝ち負け関係ないわけですから、

 負けそうになれば逃げ出すのは当たり前ですね!

 

 なので実は戦場で兵たちの亡骸が死屍累々と積み上がるなんてことは、滅多になかったのです。

 

 だって、ちょっとでも不利になれば、

 

 そこに誰もいなくなった

 

 のですから。

 

 

 さらに言えば、

 彼ら『傭兵』は、例え戦に勝っても報酬を得ることはありませんでした。

 

 しかし生死をともにした足軽たちは、莫大な報酬を得ます。

 

 こうなると『傭兵』たちは納得いきませんよね!

 

 もうげきおこプンプン丸です!

 

 

 そして気付いちゃうのです。

 

 

――報酬がもらえないなら、自分たちで強奪すればいいじゃないか~い!(←古い)



 こうして始まったのが『乱取り』と呼ばれるもの……

 

 つまり村を襲って略奪行為をすることでした。

 

 

 戦争のたびに荒らされる村々。

 

 折角戦争に勝っても、村が荒らされれば、収穫にも影響が出ます。

 

 

 それはまずい!

 

 

 ならば変えてしまえばいい!

 

 

 社会の仕組みっちゅうやつを!

 

 

 と、とんでもない改革を起こしちゃうお方が現れるのです。

 

 

 それが織田信長――

 

 

 

 さてさて、話はだいぶそれましたが、

 『兵士』と農民の関係はご理解いただけましたでしょうか。

 

 

 次回は『呼び名』についてお送りしたいと思います!

 


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