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『大名』 ~大名って色々な種類があるの!?~

 戦国時代を舞台にした小説・ドラマで当たり前のように出てくる単語のうちの一つに、

 

 『大名』

 

 なるものがあります。

 

 私はこの『大名』という言葉を聞けば、

 

 『国を治める領主で、多くの家臣や軍事力を抱えている人のこと』

 

 と、思い浮かべておりました。

 どうやらその認識自体は……

 

 

 おおむね間違ってはいないようです。

 

 

 ただ『大名』にも色々と種類があるようなのです!!

 

 これを知っておくと、戦国時代を舞台にした歴史小説を書く(読む)のに非常に役に立ちそう!

 

 ……ということで、長い前置きを終えて綴っていきたいと思います。

 

 まず前提として今からお話しするのは、

 『室町時代末期』の頃の認識になります。

 (『江戸時代』になると『大名』の定義は微妙に変化していったそうなので、それはまたの機会に)

 


◇大名の種類◇

 1)守護大名

 2)守護代大名

 3)国衆・国人領主

 4)その他

 


 そもそも『守護』とは何ぞや。

 ということですが、以下Wikipediaからの抜粋です。


 「守護しゅごは、日本の鎌倉幕府・室町幕府が置いた武家の職制で、国単位で設置された軍事指揮官・行政官である。」

 (wikipedia「守護」より抜粋)


 つまり戦国期においては、室町幕府から直々に国の経営を任された人のこと。



 では『守護代』とは何ぞや。


 「守護代しゅごだいとは、鎌倉時代と室町時代に守護の下に置かれた役職である。」

 (wikipedia「守護代」より抜粋)


 つまり「守護」の子分で、「守護」の代わりとなって国を統治していた人々のこと。



 最後に「国衆・国人領主」とは?



 これはwikiに端的に示す箇所がなかったので、私のオリジナルで。


 「国衆・国人領主とは、独自の軍事力を持ち、農民たちを支配・統治する実質的な領主のこと」




 

 室町前期においては足利将軍家の影響力は絶大なものであり、結果として幕府から直々に国の経営を任された「守護」の力も絶大なものでした。

 しかし「守護」は京につめて幕府の仕事に従事するなど、実際には領地の統治は行っていなかった者もいたようです。

 そこで彼らはピンチヒッターである「守護代」を指名して、実際の統治は彼ら「守護代」に任せていたという訳です。

 さらに言えば「守護代」の中でも、地元の有力者である「国衆」に警備や年貢の取り立てなどを任せていた人もいた。



 しかし室町幕府の力が急速に衰え始めると、「守護」という肩書(「格式」と言われていた)を持つ人よりも、実質的に土地を支配している人々の方が「力」を持ち始めるのです。

 なぜなら先ほどの通りに「守護」の多くは中央につめており、彼らは統治すべき土地に十分な軍事力を備えていなかったからです。

(「守護」でもしっかりと地元に根付き、ちゃんと統治を行っていた人も多いことも事実です!甲斐の武田氏などは良い例かもしれませんね!)



 ではなぜ「守護」は軍事力を持っていなかったのでしょう。



 形式の上では、「守護に対して守護代や国人領主が反抗した場合、室町幕府より討伐軍を派遣する」ということになっていたようで、守護は幕府の傘に守られている為に自ら軍事力を持つ必要がなかったということですね。

 もちろん軍事力を持つということは、兵を雇い、武器や兵糧を調達することになりますから、ものすごくコストがかかったわけです。

 いざとなれば幕府が助けてくれることになっていれば、わざわざそんなコストを自腹を切って払わなくてもよい……ということでしょうか。(あくまで私の推測です)



 しかしご存じの通り、もはや将軍職そのものがお飾りとなってしまった室町末期では、例え上記のような反乱が起こっても幕府から討伐軍が出せるはずもなかったのです。


 そうなると名前だけの「守護」ではなく、強力な軍事力を背景に、実質的に領地経営を行っていた「守護代」や「国人領主」の方が領主としての影響力が強くなっていきます。


 こうして「守護」という役職が全く機能せず、中央集権であるはずの室町幕府の影響力が地方に全くおよばなくなると、軍事力の高い領主が広い領土を統治するようになった……



 これが『戦国大名』の登場です。




 しかしそれでも「守護」という肩書の持つ、いわゆる「その土地を統治する大義名分」は、室町幕府が続く限りは存在し続けました。

 

 その為『戦国大名』たちは名ばかりの「守護」という肩書きを得たいが為に、京にいる将軍に直接頼みにいったのですね。

 いわゆる『袖の下』を持っていって……



ーー越後屋、お主も悪よのう……



 のリアル版ですな。


 もちろんこれだけの理由ではないのですが、

 京に上って将軍や朝廷に働きかけて、箔をつけることを『上洛』と呼びます。



 少し話はそれましたが、『戦国大名』と一口にいっても色々と種類があるという訳でございます。



 ちなみに『守護大名』にあたるのは……


・甲斐など、武田氏

(安芸など分散して存在しております)

・尾張など、斯波氏

・駿河など、今川氏

・越後など、上杉氏


 などなど。



 『守護代大名』は……


・尾張、織田氏

・越後、長尾氏


 などなど。



 『国衆・国人領主』は……


・毛利氏(守護大名とすることも)

・長宗我部氏



 『その他』

 ・北条氏(後北条氏)

 ・豊臣氏


 などなど。



 むむっ!?


 『その他』って何よ!?


 実は彼らは少々レアなケースでして、話すと長いので詳細は割愛いたします……



 最後に、『守護』や『守護代』が領主として機能していない国では、隣国の領主同士が激しくぶつかり合いました。


 もちろん領有権を争った訳ですね。


 そのうちの一つが『信濃』を巡る戦い……


 つまり上杉謙信と武田信玄が激しく戦った『川中島の戦い』なのです。


 なお武田信玄は第三次川中島の戦いの停戦の条件として、『信濃国守護を補任』をゲットします。


 これにより信玄公の信濃国侵攻が正当化され、一層の領土拡大へと繋がったという訳です。

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