三回忌(2)
圭子が選んだ店は伏見の駅すぐ近くにあった。大通りに面した2階席の窓からは、煌びやかに輝くクリスマスイルミネーションが良く見える。週末の店内は多くの客で賑わっていた。家族連れも多く、時折子供の泣き声と、それを叱る母親の声が聞こえてくる。愉し気なざわめきが、泡立つように人々を包み込んでいた。
「デザート持ってきてもらおうか?それとも何か追加する?」
「もう満腹。口から出そう」
織江は椅子にもたれかかり、ふざけてお腹をさすってみせた。
「やあね、普段食べさせてないみたい」
笑いながら由布子は食べ終わった皿を重ねていた。
「すみませーん」
圭子は手を上げて店員を呼びとめた。
「コースのデザートとコーヒーを」
「かしこまりました」
店員はにこやかに答え、テーブルの上の皿を片付けていった。
「ちょっとお手洗い行ってくるわ」
由布子は立ち上がり、右足を少し引き摺りながら店の奥に向かった。紺色のシンプルなフレアワンピースは、由布子のしなやかで優美な上半身のラインを際立たせた。通りすがりに何人かの客がその姿を目で追っている。小柄でやや童顔ということもあり、とても18歳の子供がいるようには見えないだろう。実際、高校卒業と同時に結婚し、織江を産んだ由布子は、まだ充分に若く、美しかった。
「申し訳ないわね。あんなに綺麗なのに、病院でお父さんの看病ばかり・・私が近くに住んでいたら、時々は世話を代わって、もう少し外に出してあげられるんだけど」
由布子の日常は病院と家との往復で終始していた。退院後、しばらくリハビリに通っていたが、右足は完全には回復しなかった。やがて末期癌の祖父の世話を由布子が受け持つようになっていった。3年間の間に祖父は何度か入退院を繰し、おそらく今回が最後の入院になるだろうと医者に言われている。
「ねえ織江、今日は由布ちゃんともう少し飲んでいきたいから、悪いけど先に帰ってくれるかな」
「うん、分かった」
「帰りはタクシーを使いなさい」
圭子は財布から一万円札を2枚取り出し、織江に手渡した。織江は驚いて、札を押し戻した。
「こんなにいらないよ。それに地下鉄で帰れるから。駅まで一之さんが迎えに来てくれるし・・」
「一之が?」
聞き咎められ、織江はしまったと思った。
「なに、いつも一之が駅まで迎えにくるの?」
「いつもじゃないから。一之さんも大学で研究が忙しいし。ただ以前、変な人に付きまとわれたことがあって、それから遅くなる時は心配して」
変に言い立てると余計に怪しまれるのではないかと思ったが、黙っていることができなかった。
「織江、まさか一之と付き合ってるの?」
圭子の言葉に、織江は一瞬狼狽えた。
「そんなことあるはずないでしょ。一之さんやさしいから、心配して」
「確かに一之はやさしいけどね・・・」
テーブルにコーヒーとパンナコッタが運ばれてきた。ため息をつきながら、圭子はコーヒーにミルクを垂らした。
「優秀だし、顔も悪くないし、背も高いし、金持ちのぼんぼんだし・・ってめっちゃ優良物件ね。うちの事務所の女の子達だったら、一気に襲いかかりそう」
圭子はおかしそうに笑った。
「でも一之はやめておきなさい」
織江は緊張で指先が冷たくなるのを感じた。
「分かるでしょう?わざわざややこしいのを選ぶことないわ。男なんて、いっぱいいるんんだから」
「そういう関係じゃないから」
「そうね、でも一之の方は怪しいもんだわ」
軽口を叩くような口調だったが、圭子の目は笑っていなかった。
「ずっと織江を目で追ってた。法事の時から、帰ってきてからも、ずっと」
「まさか。何言ってるの?おばさん、どうかしてるよ」
「あれで気付かないなんて、織江の方がどうかしてると思うけどね」
織江は口を噤んで俯いた。最近は意図して一之の方を見ないようにしていた。一之の態度が人目を憚らなくなっていたことに織江は気付かなかった。
圭子は再びねじ込むように2枚の札を織江に握らせた。
「この話はもう止めにしましょう。由布ちゃんが帰って来ちゃうから。とにかく今日はタクシーで帰って」
くしゃくしゃになった札を握りしめながら、織江は小さくつぶやいた。
「お母さん、気付いてるかな?」
「安心しなさい、きっと気付いてないから。由布ちゃんは私の知る限り最強の鈍感女だもん」