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Courtship ritualー求愛儀式ー  作者: 高尾 結
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三回忌 (1)

「今日は一緒に晩ご飯食べに行こうよ」

喪服を脱ぎながら、伯母の圭子が弾んだ声で言った。

「男どもは置いてさ。織江、なにが食べたい?」

突然の提案に、由布子は少し戸惑ったような顔を見せた。

「でもお兄さんや一君は・・」

「子供じゃないんだから何とかするでしょ。だいたい由布ちゃんが来る前は男所帯だったんだから平気よ。少し時間があるから食事の前に買い物しようか。栄の街も久し振りに歩いてみたいし」

亡父の記憶に沈みがちになっていた気分が、圭子の明るい口調で少し浮き立ってくるような気がした。

「イタリアンがいいな。窯焼きのピザが食べたい」

織江が答えると由布子が少し睨んできたが、すぐに肩をすくめて笑顔になった。

「そうよね、3人で食事なんて、そうないことだものね」

早々にパンツスーツに着替え終わると、圭子はトレンチコートを小脇に抱えて部屋を出て行った。

「じゃあ、兄さんに言ってくるわ。遅くなってもぶつくさ言わないように釘を刺しておかなきゃ」

 東京で建築士として働いている圭子は昔から由布子と仲が良く、織江のことも幼い頃から可愛がってくれていた。普段は籠もりがちな二人を外に連れ出そうと気遣ってくれているのは明らかだった。クローゼットの中を物色している由布子の背中を見ながら、こんな風に着飾る母の姿を見るのは本当に久し振りだということに、織江は改めて思い至った。


 父・敦の三回忌は身内だけでささやかに行われた。父方の瀬名の親族を合わせても列席者は10人足らず、自分の身寄りの少なさを織江は痛感した。

 だが高校教師をしていた父の葬儀の際には、教え子も含め多くの弔問客が訪れたらしい。らしい、というのは、この頃の記憶が織江の中ではひどく曖昧で、断片的になっているからだ。

 高校受験対策の冬期講習を受けていた冬休みの土曜日、警察から両親の乗った車が衝突事故にあった、という連絡が入った。塾の事務員に連れられ病院に駆けつけた時、父はもう白い布を顔に掛けられた状態で横たわっていた。母の由布子はICUで人工呼吸器を付けていて、話すこともできなかった。誰か大人に連絡を取るようにと言われ、伯母の圭子に電話をした。ここまでは何とか覚えているのだが、伯父たちが病院に来たあたりから何がどうなったのかよく分からなくなるのだ。

 大丈夫だから、何も心配しなくていいから。

 従兄弟の一之に抱えられるようにして、覚王山にある加藤家に一緒に連れて行かれた。まだ祖母が生きていた頃、母と共に数回訪れたことがあるだけで、ほとんど馴染みのない場所だった。夜中に目を覚ますと、圭子が同じ布団に横たわっていた。圭子は織江を抱きしめ、嗚咽した。

「どうしてこんなことに・・どうして・・」

抱きしめられた胸に、圭子の泣き声が振動になって伝わってくる。織江は改めて、恐ろしい出来事が起きたということを思い知った。喉元から大きな塊がせり上がって、引き裂くような悲鳴が口からあふれ出る。圭子と抱き合いながら、織江は慟哭し続けた。

 由布子は一命を取り留めた。ベットに横たわり、身体に沢山の管を付け、目から涙が点滴の液のように規則的に落ち続けていた。葬儀に参列できる状態ではなく、喪主は織江が務めた。初七日の夜、織江は圭子に傍らに付いてもらいながら、伯父の弘之から自分たち母娘が置かれた現在の状況の説明を受けた。

 母は1ヶ月ほど入院が必要で、おそらく右足に少し後遺症が残ること。保険や入院費、その他事務的な諸々の手続きは弘之が処理するということ。今まで住んでいた住居は教職員住宅で、父の死後は住み続けることができないこと。織江達母娘は由布子の退院後、この家に住むことになったこと。今は入院中の祖父もそれを強く望んでいること。高校受験が迫っているので、特別な配慮により中学は転校せず、そのまま卒業まで通えること。通学に関しては伯父の会社の車で送り迎えすること。通いの家政婦がいるので家事や身の廻りのことは心配しなくてもいいということ。・・・

 何もかもが大人達によってお膳立てされていて、織江が口を挟む余地は無かった。祖母が亡くなってから、加藤の家とは疎遠になっていた。伯父の弘之も従兄弟の一之も数年ぶりに会ったのに、いきなり同居といわれてもどうすればいいのか分からなかった。母が退院してくるのは1ヶ月後で、それまでは他人同然の親戚に囲まれて暮らさなくてはいけない。織江はうつむきながら圭子の手を固く握った。

「大丈夫?」

圭子が心配そうに顔をのぞき込む。

「大丈夫だよ、すぐに慣れるから」

優しく、言い含めるように声をかけたのは一之だった。

 だがその言葉の通りにはならなかった。邸内は広く、人の手がよく入っていたが、どこか空虚で寒々しかった。母が料理をする音や、父の本の匂い、家族の気配がすぐ側にあった小さなかつての家を思い出すと、織江は胸が潰れそうになった。由布子が退院してきた時は心底ほっとしたが、次第に伯父と母との間で諍いが増えてくると、さらに身の置き所がなくなった。

 ここは自分のいる場所ではない

 織江が強くそう思うようになるまで、時間はかからなかった。


 



 

 


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