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Courtship ritualー求愛儀式ー  作者: 高尾 結
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六角形の部屋


 そこは古い屋敷の中に増築された、ガラス窓に囲まれた小さな六角形の洋間だった。真冬でも暖かいこの部屋は床がタイル貼りということもあり、温室替わりに使われていた。シンピジュームや胡蝶蘭が所狭しと置かれている。緑に埋もれるように、大振りなロッキングチェアが部屋の中央で場所を占めていた。

 長い間、椅子は誰にも座られることなく、しかし年代物としての価値もあるため捨てられることもなく、家人には忘れ去られた存在として有り続けたが、最近になって、本来の役割を果たすようになっていた。

 大きな背もたれに身を任せ、織江は眠っていた。    

 足下の床には参考書と蛍光ペンが落ちている。暖かな空気に包まれているうちに睡魔に負けたらしい。長い髪が顔を半分隠し、肩先まで流れている。垣間見える頬や首筋が白く発光しているように見えた。

 寝息も聞こえてこないほど、静かな眠りだった。一之は跪き、ゆっくりと顔を近づけた。長い睫毛も、薄く血管が透けて見える瞼も全く揺れ動かない。一之は織江の顔にかかる髪をそっと耳にかけてやった。それでも織江の様子に変化はなかった。よほど深い眠りについているらしい。

 一之は長い間、露わになった織江の顔を見つめていた。こうやって動かずにいると、小さな唇も、細い鼻筋も、丁寧に作り込まれた人形のようだ。派手過ぎない、端正な顔立ちは彼女の母親によく似ていた。

 眼を開かないだろうか

一之は織江の様子を伺った。自分の姿を目の当たりにすれば狼狽するのは分かっている。それでも織江に目を覚まして欲しかった。

 最近、織江と一緒に過ごす時間が急激に少なくなっていた。研究が忙しくなり、生活リズムが乱れていることが主な原因だ。織江自身も受験勉強でほとんど自室に閉じこもっている。気分転換のためなのか、六角形の部屋に時折出入りしていることを知ったのは、つい最近だった。

 織江が目を覚ます気配はない。

一之は織江の膝にそっと額を乗せた。やはり目を覚まさない。

「このままずっと」

一之は低く、小さな声でつぶやいた。

「側にいてくれ」

もちろん返事はなかった。まだ織江は静かな眠りの中にいる。

細い肩に自分が着ていたカーディガンを掛けてやると、一之は立ち上がった。来年の大学受験を控え、寝る間も惜しんで勉強している少女を起こすのは、やはり忍びなかった。そして物音を立てないように注意しながら六角形の部屋を後にした。

 

 日がゆるやかに傾き始めた。窓から差し込む光がわずかづつ赤みを増していく。織江はゆっくりと目を開けた。耳を澄まし、周囲から物音が聞こえてこないことを確認すると、椅子の上で膝を抱え直し、顔を埋めた。

 体が細かく震えている。呼吸が浅くなっていることに気づき、深く深呼吸をしてみたが、息苦しさは収まらなかった。

 半分眠りにつきながら、しかしかなり早い段階で織江は誰かが部屋に入ってきたことに気付いた。来訪者が従兄弟の一之であることもすぐに分かった。だが波のように押し寄せる眠気に身を任せる方が気持ちよく、目を開けることすら億劫になって、そのまま寝たふりを決め込んだのだ。

 髪に触れる大きな手、膝に乗せられた頭の重さと熱さ。

『このままずっと』

低く囁くような一之の声が耳に届いた頃には、眠気はとうに吹き飛んでいた。

『側にいてくれ』


「逃げなきゃ」

自分に言い聞かせるように、織江は震える声でつぶやいた。

 まだ逃げられるうちに。何も知らなかった事にできるうちに。

 眼を見ながら同じ言葉を聞いてしまったら、きっと走り去ることができなくなってしまう。それだけは避けなければいけない。

 一之の手を取ることは、加藤の家に囚われることを意味するのだから。

 


 

 

 

 




 


 


 

 


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