~部員紹介~
野田高校野球部について。
去年の大敗以降、田辺先生が副顧問をする部活動に駆り出されてしまったため、部活動は存続したものの全く部活としての活動がなかった。
もちろん秋の大会も出場していない。
今年は1年8人入り9人そろって試合が出来るという条件を満たしたことから、わずかながら部活動をすることが認められた。
しかし、野田高校にはグラウンドはなく、体育は全て体育館で行う。そのため、部活動も必然的に体育館ですることに。
しかし、演劇部・放送部・吹奏楽部との兼ね合いから毎週水曜日の放課後30分のみ体育館練習が認められた。また、ほかの部の大会の関係もあり、夏の大会までこの方式を採用することになった。
野田高校は顧問が居ないと部活動は行っていけないというルールがある。
しかし、顧問の田辺はほかの部活動もあるため部活動としての活動は基本的に火曜日の30分しかできない。
3年生 主将 選手兼任監督
大田 秀一
ポジション:不明
去年の0-138の悲劇を目の当たりにした学年一の秀才。去年のあの試合以降、野球部設立反対派の生徒や先生から大バッシングを受けるものの、田辺先生を始めとする肯定派の先生と生徒たちに助けられ、辛うじて野球部を存続。しかし部活が全く出来ずに家でもバットを親に振らせてもらえなくてほぼ9ヶ月間野球に触れていない。
1年生
北岡 健人
ポジション:外野
入試37位。内申の悪さを成績でカバーし、427点で合格。
実力、学力どちらもトップクラスで中学では野球部に属しており鉄壁の外野と称された。さらに3年生の時に地区大会を制覇。県総体3位で地方大会へ出場したが全国をあと一歩のところで逃した。また、野球部員の何人かとも戦ったことがある。
清明学園に推薦されていたが、試合を見学に行った去年の1回戦で、不必要な盗塁の多さなどで幻滅してしまい、勉強を極めて野田へ。
山中 弘
ポジション:内野
入試29位。内申が良かったこともあり、入試クラス最低点ながらも450点で合格。
中学では野球部に属していたが、毎年1回戦コールド負けだった。3年の最後の試合は偶然にも健人のチームと当たり、0-47で3回コールド負けを喫した。
中学の勉強のレベルの低さに絶望し、高い水準を求め入学。部活はするつもりがなかったが、野球部があることを知り入部。
石目 魁人
ポジション:不明
入試27位。全体的に勉強が出来るが特に国語が出来て、大山県入試で唯一となる国語満点を記録するなどし462点で合格。
小学校からずっと本が大好きで運動に興味がなかった。しかし、去年の夏に見た野田の大敗を新聞の記事で見てから野球の小説にハマり、自分も野球をしたいと思い入部。
野田へは、家の近所で高レベルという理由から入学。
田津 正平
ポジション:ファースト・サード
入試26位。内申点を先生に無理矢理オール5にしてもらったり、入試の記号問題が適当に答えた問題含め大山県入試史上初となる全問正解という強運を叩き出し463点で合格。なお、本来の頭脳では到底受からない模様。
小学校時代はリトルリーグに所属していて、小4の時に既に4番投手として出場して快進撃を魅せるものの、肘を壊してしまい、再起不能と言われて野球から離れた。
しかし中学3年生の最後の総体前に同級生から4番投手だった事を嗅ぎ付けられ嫌々助っ人として地区総体へ。結果は3試合10打席10安打6本塁打15打点晩年1回戦負けだったチームが3回戦まで進んだ立役者となった。そして3回戦で負けたチームが健人のチームだった。その時に野球の楽しさを取り戻し入部。
野田へは、環境を変えたい思いから思い切って試験を受けたら通ってしまった模様。
真鍋 誠也
ポジション:不明
入試18位。入学生の中で唯一の笹野県から通学している。笹野県の中では学力はぶっちぎりで、笹野県の模試では10回中8回1位を取っている。入試ではオール5の内申点と数学と理科を満点で通り抜けたが苦手な文系科目で苦戦し472点で合格。
小中と笹野県の怪童と評され勉強に徹していた。しかし、野田高校の入試の合格発表にて自分のレベルの低さを思い知らされていて動揺していたところ健人に誘われ入部。
笹野県内ではレベルが低いということから野田高校を受験した。
飯本 直哉
ポジション:外野
入試16位。真面目で勉強もかなり出来て入試本番では持前の内申と頭脳を駆使し480点で合格。運動は全く出来ないが出身が大山県内でも屈指の田舎で校区の全長14キロはある中学校全体で30人にも満たない。そのため部活動は、男子は野球部という形で夏の地区総体に出場。1年生の時は3校中2位。2年生の時は3校2チーム中2位。3年生の時には隣接中学3校での合同チームで県総体に出場。3年生の時は抽選シードで迎えた2回戦健人率いるチームに当たり1回途中2-69の時点でチームメイトが怪我し試合続行不可で棄権試合となった。
田舎ながら勉強の水準は中学トップクラスで他の同学年5人が全員野田高校を第一希望として受ける事がわかり成り行きで受験。ちなみに全員合格した。
木元 悠
ポジション:不明
入試12位。大山県出身だが小中は日本最高峰とも言われる京央都中央大学付属小中学校に通学していた。しかし中学3年生の時に下校途中に不良に絡まれた際に殴り合いとなり自らも骨折したが相手も骨折したため退学処分へ。そのため大山県内の公立中学に編入したが骨折の入院のため学校には一度も行けず入試へ。
その時に同じ学校に通っていた幼馴染が野球好きで毎月1回はお見舞いに来てキャッチボールをしていた。そのうちに野球をしたくなり入部。
日本最高峰の中央大学付属でもトップを競う定員5名の超特進クラスに在籍していたため、大山県に戻っても勉強する癖が治らずにそのまま県内トップの野田へ入学。
上野沢 那奈
ポジション:不明
入試1位。15歳までは日本最北端の北山道のドがつく田舎にいた。70キロ先に中学があるような田舎で通学が出来ず通信勉強で月1回の通学をしていたらいつのまにか全国模試1位に輝いていた化け物。月1回の通学ということもあり内申点オール1という扱いになったが大山県史上初となる全教科満点を叩き出し、512点で見事主席合格。一人暮らしもあり部活は入る予定がなかったが那奈を除く1年男子全員に強引に誘われる形で入部。
小学校も中学校もほとんど行っていないため運動経験は皆無だが、その分大自然の中でランニングをしたり、隣の家まで毎日10kmのランニングを欠かさず行うなどのトレーニングも欠かさなかったので体力はとてもある。
野田高校へはインターネットと月1回の通学の時に先生に勧められた。また、親の都合で海外赴任になり一人暮らしをしないと行けないこともあったため入学が実現した。




