野田高校キャプテン メモ1。
去年の夏。
野田高校野球部だけでなく運動部として22年ぶりの部員の僕は最初入部届を出すところから緊張した。
事前に新任の田辺先生が顧問をしてくれることを快諾してくれたのもあり、意外にスムーズに終わった。
6月17日。大会を間近に控えた中3校が初めて顔を合わせる。
大前東と大前農はよく連合チームを組んでいることもあり何人か顔見知りがいるようだ。
僕は大前農に同級生が一人いるのを確認したが、それ以外は知り合いは見当たらなかった。
大前東が1年2人2年3人3年3人で大前農が2年1人3年5人で僕を合わせて計15人だった。
ポジションを軽く決めただけでその日の練習は終わった。
今思えばあんなに軽い内容で済ませたのがあの重大な結果につながったのであろう。
そして6月30日。組み合わせ抽選の日。また3校全員が集まった。
くじを引いたのは大前東の主将。自信をもってくじを引いてきた。
しかし、大前東主将はとてもどんよりした顔をして組み合わせ表を見せてきた。
それもそのはず。第1日目第1試合。開幕試合だ。
対戦相手は・・・清明学園!?
この組み合わせを見た時から悪寒は止まらなかった。
そしてあっという間に迎えた7月8日。開会式が終わり、群馬県大会が、そして3校の悪夢が、さらに野田高校野球部の再始動が始まろうとしていた。
先攻は清明学園でスタメンはピッチャーがエースナンバー1でそれ以外は二けたの背番号ですごく舐められているように感じた。
対するこちらの先発は大前東3年の津田先輩。スタメンも3年中心で固められていた。
1球目。津田が投げたボールはあっという間にスタンドへ。
そこからというもの。動揺を隠しきれずに30分で1アウトも取れずに14失点。
ここで津田がマウンドを降り、さらにはサード・レフトの3年も意気消沈しベンチへ。1年と僕以外が守備へ付く。
変わってマウンドに上がったのは大前農業の2年生。すなわち同級生だ。彼は中学も野球部で補欠ながら頑張っていた。
1球目。予想以上に速いボールを前にドン詰まりのあたり。それをサードとピッチャーとファーストの2年生3人の連携でトリプルプレーに。
32分で1回表が終わった。
みんな汗だくであった。さらにはライトとキャッチャーとセンターの3年が意気消沈しベンチ裏に消える。これで1年と僕も出ないといけなくなった。
1年2人とキャッチボールをしている間にすぐ攻撃が終わり2回へ。
1球目。さすがに見切られてホームラン。そこから手を読まれるようにポンポンスタンドへ。途中で守備を交代するも全く意味がなく2回だけで91点取られてしまうという高校野球、いや野球界前代未聞の出来事が起きた。
そして同級生の彼が泣き崩れながら投げてもはやチームは総崩れ。2回もすぐ終わり3回へ。
1アウトも取れずにポンポン点を取られていく。