第六話 告白をしよう
放課後になると、文芸部室へ向かうことが当然のようになって久しい。
先週は掃除当番だったこともあり、実代がいつも先に部室に来ていたのだが、今週は逆に実代が掃除当番で、僕が先に来るようになった。
一人の時間を持て余すことなど、僕たちにはない。そもそも、本を読むためにこの場所に来たのだから、当然だ。
本来ならば、コーヒーを淹れて、ゆっくりと本の世界へと旅立つところなのだが、先日、実代にスカートめくりなる悪戯を仕掛けたところ、思った以上に可愛かったので、また悪戯がしたくなってしまったのだ。
鞄を本棚の影に仕舞い込み、自分は備え付けの掃除用具入れに身を潜める。実代が部室にやってきて、落ち着いて本を読んでいるところを、後ろから驚かすという、幼稚かつ極めて楽しそうな悪戯である。
目線の高さに丁度、部室を確認できる通気口があるので、そこから様子を窺うこと十分。実代ががらりと扉を開けて、部室に入ってきた。
「……まだ来ていないか」
部室をぐるりと見渡して、実代はやれやれと鞄から文庫本を取りだした。しかし、すぐにそれを開くことはなく、ラジカセのスイッチを入れて、コーヒーのドリッパーの前に立った。
「ふむ。思いきり苦くするか。誠二のしかめっ面も面白そうだ」
聞き捨てならない独り言を呟きながら、実代はコーヒーを用意しはじめる。ちょっと予定とは違うが、このタイミングで驚かせてやろうかと思った。そのときだった。
「失礼するぞ」
部室のドアをノックする音と共に、低い男の声が聞こえた。実代が振り返ると、がらがらとドアが開く音がして、男子が、部室に入ってきた。
あまり良好とは言えない視界だが、友人、知人ではない男だということはわかった。ただ、見知らぬ男子でもない。顔ぐらいは見たことがあった。
「確か、生徒会長ドノ、だったかな?」
実代が問いかける。そう、彼をどこで見ていたかというと、全校集会などの場の、壇上や、部長会議や部費交渉での場面においてだった。
イケメンという言葉はあまり似合わないが、容姿は男の僕から見ても整っていると思う。それで何故、イケメンが相応しくないかというと、顔立ちがとても上品だからだろう。少し神経質そうではあるが、嫌味がなく、すっきりとした印象を受ける。銀縁眼鏡が地味な印象ではなく、理知的なイメージを産むほどだ。だから、俗な言葉よりも容姿端麗とか、端正な顔立ちという言葉が似合う男だった。
「ああ。生徒会長を務めている、不破という」
生徒会長――不破はぐるりと部室を見渡して、ふむふむと頷いた。
「中々趣味が良い部室だ」
「ふむ。入部希望か?」
不破の言葉に、実代がはぐらかすような質問で返した。
「それも悪くはないが、これでも忙しい身でね。落ち着いて読書というわけにはいかない」
「損な人生だ」
実代は不破の言を予期していたのだろう。苦笑してコーヒーをカップに二つ注いだ。
「その忙しい会長ドノが、何用かな?」
不破に席を勧め、実代もソファに身を沈めた。不破はゆっくりと腰を降ろすと、コーヒーを一口啜った。少し顔が歪む。
「まあ、査察というところだ。部活動は生徒会が面倒を見ている、という形になっているのでね。二三、質問して良いだろうか?」
「生憎、部長はまだ来ていない。筋から言えば、その手の話は部長に持っていく物だろう?」
二人の問答は、およそ高校生らしい雰囲気がまるでない。淡々としており、落ち着きがある上に貫禄まで備わっているのだから、芝居の一幕のようですらある。
「部員数が二人の文芸部だ。誰が答えても大差あるまい。それに、雪吹さんは副部長だったと思うが。部長の代理という形で頼めないか?」
「まあ、そちらがそれでいいのなら、答えよう。しかし、わざわざ私の名前まで調べたのか?」
実代がやれやれと肩を竦めて、不破を見る。確かに、わざわざ各部活動の部長、副部長の名前を覚えるのは、それなりに苦労するだろう。
「そこまで熱心な生徒会長でもないさ。君のことは、前々から知っていた。それより、質問だ。かねてから、まともに活動している記録がないのだが、これはどういうことだろうか?」
「ふむ。まあ、この性格だ。生徒会には要注意人物とでも映ったか。活動に関しては、部員数が少なく、先代からの引き継ぎも一切無い状態だった。旺盛な活動ができるはずもない。しかし、最近ようやく取り組むモノができた。結果をお見せできるよう努力している」
「生徒会ではなく、僕個人の興味として君に関心がある。なるほど、吉野先生が申請したという感想文だな。ならば、それに関してはこれ以上問うまい。部活動に関してだが、何か申請はあるだろうか。予算に関しての陳情は別途の機会にしてほしいが、改善して欲しい点などあれば、聞くが」
「わざわざ関心を持たれるほどの人間ではないが。部活動に関しては、特に問題はない。不満なく、専念できている。ただ、一つ願うことがあるのであれば、今回の吉野先生が申請した感想文だが、いきなり結果が出るほど、甘くもあるまい。結果よりも、活発に活動している点を重視してほしいところだ」
まるで政府首脳の会談のような、腹の探り合いという会話であるが、それと同時並行に口説き文句のような歯の浮いた台詞を並べる不破には恐れ入る。それに平然と応対する実代も実代であるが。
「実に魅力的な女性だと思うけどね。結果が大事には違いないが、過程は過程で重要だと僕も思う。参考にさせていただこう」
「理解してくれる男性は、私も嫌いではないな。しかし、会長ドノよりも、気の合う恋人がいる身だ。さて、質問はこんなところだろうか?」
実代の言葉に、僕は少し嬉しくなった。あまりにも自然に、彼女は僕を選んだのだから。
しかし、その反面。現状の自分を省みて、心底情けなくも思った。何故、僕はロッカーの中で出刃亀のように覗き見をしているのだろうか。
「ふむ。ここにきて、話が一つにまとまったか。最後に一つ。恋人とは鷹成誠二……文芸部の部長で間違いないか?」
自分の名前が不破の口から飛び出してきて、僕は少し焦った。
「それが最後の質問か。答える義理はないな」
「……確認しただけさ。要は、この部室が健全な目的で使用されているかを聞きたかっただけだ。二人きりの部活動で、ここは密室だ。男女交際を否定するつもりはないし、部内での恋愛も個人的には構わないが、風紀の問題もある」
「愚問、というやつだろう。聞かれて困ることなどしていない。健全で清らかな交際をしているよ」
実代の堂々とした大嘘に、我が恋人ながら恐れ入る。つい先日、ちょうど不破が座っているソファでセックスをしたばかりである。
「ならば、問題はない。そうそう、雪吹さん。質問は終わりだけど、最後に一つ、頼みたいことがあるんだ」
不破はにこりと笑って、実代をまっすぐと見据える。実代は表情を変えることなく、じっと不破を見ていた。
「僕と、交際していただけないだろうか?」