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第十話 感想文を書こう

 僕たちが交際を開始して、一ヶ月が経った。

 交際の節目であるのと同時に、一ヶ月というのは、もう一つ大きな意味を持っている。僕と実代が交際を始めるきっかけとなった読書感想文の〆切が、間近に迫っているのだ。

 僕たちは恋愛の何たるかを、結局知ることは出来なかった。恋愛とはどのようなものだと問われても、曖昧に首を捻るのが精一杯である。それでも、知らないと即答しなくなっただけ、幾分の進歩が見られるのだが。

「兎にも角にも、書くしかあるまい」

 実代の言葉に、ペンを握ってみたが、思い浮かぶことと言えば、実代との穏やかな日々ばかりである。恋愛感情を知ることで、何かしらの共感が生まれればと思ったが、僕と実代の恋愛と、『恋』の主人公たちの恋愛は、大きくかけ離れすぎている。彼らは、多くの事件や感情の狭間の中から、真実の愛を見いだした。それに比べて、僕らはどうだろう。

 大きな事件と言えば、せいぜい不破が実代に告白したことぐらいであり、確かに僕たちの気持ちは大きく揺れ動いたのだが、僅か三日でケリがついた。恋愛とは何かと考えるにはあまりにも短すぎたし、結果として不破と友達になるという、何とも盛り上がりに欠ける展開になった。

「やはり、私たちでは三文小説にしかならないか。はじめて読んだときよりは、まあ、行動にも理解できる節はあるのだが、涙を流して感情移入できるほどではないな」

 実代の冷静な感想が、僕たちと『恋』の温度差を明確にする。一体、どう書けばいいのだろうか。

「……恋愛は、人それぞれということ、なのだろう。しかし、それでは感想にならない。誠二と付き合ってみるというのは、我ながら妙案だと思ったのだが、この結果ではな。すまないな。茶番に付き合わせた」

「妙案だったよ。それに、僕は茶番に付き合ったつもりはない。僕が付き合ったのは、実代だよ」

「巧く纏めたつもりかもしれないが……いや、そう言われると嬉しいのは確かだがな」

 僕たちは顔を見合わせて、苦笑した。

 得たものは、恋人。幸せな時間。穏やかな気持ち。それに、妙な友達も。

 それらは、素晴らしいものだと思う。この感想文がなければ、僕たちはずっと、ただの読書仲間だっただろうし、不破と仲良くなることもなかった。恋愛なんて興味がないまま、ずっと生きていったとさえ思う。

 それでも、一番大事だと思っていた場所。この文芸部を存続させる鍵には、どうやら、ならなかったらしい。


 結局、僕たちは散々に悩んだ挙げ句、一般論に多少色をつけた、あまり出来が良いとは言えない感想文を書き、吉野先生に提出した。そんなものを仕上げるだけでも、僕たちは徹夜をして、ふらふらになってようやく書き上がったものだった。吉野先生は目を通すことなくそれを仕舞い、僕たちを見て嬉しそうに笑った。

「終わった、かな」

 吉野先生に提出して、文芸部に戻って一息ついたところで、実代がぼそりと呟いた。

「終わった?」

「自分で書いたものを悪く言うのも、主義に反するがな。あの感想文は駄目だ。平凡すぎる。賞どころか、審査員の印象にも残らないだろう」

「……まあ、ね」

 賞が取れない。そうなると、おそらく文芸部は無くなるだろう。不破と実代の会話で、結果だけを見ないでくれと言ったが、それでも結果が重視されないはずがない。よくて、同好会への格下げというところだろうか。部室が奪われては意味がないので、そうなると僕たちが所属する意義はない。

「さて、そうなると。私たちの恋愛にも、終止符を打つということになるかな」

 実代の言葉は、予想していたものだった。

 最初に。この奇妙な交際がスタートするときに考えていたことだ。感想文が書き終われば、僕たちの関係も終わる。感想文のための交際だったのだから、当然の成り行きであり、言わば予定調和だ。

 実代はにこりと笑い、朗々とした声で言い放った。

「実に楽しい一月だったよ。恋愛を知らない私たちが、恋愛に取り組む馬鹿馬鹿しさが気に入ってたが、次第にそれが本物になっていった。感想文には繋がらなかったが、恋を知ることが出来た」

「うん。聞いていた恋愛――胸が切なくなる、高尚な感情ってやつとは違ったけど、本当に楽しかった。最初は妙な展開になったなぁ、としか思わなかったけど、いざ付き合ってみると、穏やかで、心地よくて、これが恋愛っていうものならば、素晴らしいものだって思った」

 実代は満足げに頷いて、すっと立ち上がった。

「できれば、感想文も大層なものを仕上げ、ハッピーエンドといきたかったものだ」

 僕も立ち上がり、実代に近づいた。

「仕方ないよ。色んな順序を蹴り飛ばして、いきなり恋人になったんだ。僕たちじゃあ、やっぱり他人の恋愛には共感なんてできないさ」

 それでも、僕たちだけの恋愛にならば、最大限の理解が出来る。

 実代が言ったとおりだ。感想文にはならないが、恋愛の形なんて人それぞれで、あまりに滑稽な僕たちの恋愛劇も、決して間違ったものではなかった。少なくとも、僕は実代が好きだと思っている。それが他人の持つ恋愛感情とは違っても、最早、どうでもいいことだ。

 共感しなければならないという最大の懸念は、先ほど提出した感想文と一緒に、消えてしまったのだから。

「そこで、だけどさ。本当なら、これで僕たちの恋愛は終わりってことになるんだろうけど、一つ提案があるんだ」

 僕はおもむろにそう言って、実代の目を真っ直ぐと見た。

 滑稽だと思う。何が滑稽かというと、わざわざこんな儀式をしなければならない、僕たちが、だ。

「ふむ。流石は部長だな。交際するという部員の意見を取り入れながら、最後にはきちんとまとめてくれる」

 わかってはぐらかしているのだろう。言ってしまえば、これは儀式ですらない。ただの寸劇だ。敢えて、僕を部長と呼んだ実代は、僕が即興で描いたストーリーをすぐに理解したのだろう。いや、同じタイミングで、同じストーリーを作り上げたのかもしれない。

「これは、部長としてじゃない。鷹成誠二として。部員ではなくて、雪吹実代という女の子に対しての提案だよ」

 我ながら、あざといセリフだと思う。しかし、それでもこのわかりきったやりとりは、僕たちにとって必要なのだ。

「感想文を書くための交際は、終わった。けれど、それとは関係なく、僕は実代と交際を続けたいと思う。提案というより、お願いかな。僕と、別れないでくれないか」

 本来ならば、こんなやりとりがあるなどと、予想はしていなかった。「これでお終いか。案外楽しかったね」とでも笑い合いながら言って、読書仲間に戻るはずだった。

 しかし、今となっては、そんなことを言えるはずがない。実代とは読書仲間としてではなく、恋人として、これから先も一緒にいたい。それが、この一ヶ月で僕に起こった、最大の変化だろう。

 実代は逡巡するかのように、腕を組んでじっと僕の目を見ていた。芸が細かいが、普段の実代はこんなとき、不敵に笑うので、わざとらしくしか映らない。

「……奇遇だな。誠二が言わないならば、私から言おうと思っていた。前にも言ったが、誠二との関係を失うのは、惜しい。この上なく、な」

 ようやく、実代がにやりと不敵に笑った。僕も肩の力を抜いて、つられて笑った。

「答えを聞きたい」

「無論、イエスだ。他の選択肢など、無い」

 僕たちは気付けば、キスをしていた。

 あまりにも陳腐なキスだと思う。まるでドラマのワンシーンのような、お手軽で予定調和のようなキスだ。

 けれど、それが予定調和であることが、何よりも嬉しい。

 本来なら、読書仲間に戻るはずだった。そんな予定が、何時の間にやら、このまま恋人として過ごすという、正反対のものに変わっていたのだ。胸がドキドキするなんてことはない。唇の温かさも、柔らかさも、全てが今までどおり。物語のような、大恋愛なんて僕たちには必要ない。穏やかで、一見するとつまらなさそうな関係が、心の底から幸せなのだ。

「文芸部がなくなっても、いいと思うか?」

 キスを交わした後、実代が試すように僕を見た。

「実代と一緒なら、いいよ――なんて言えたら、とっくに文芸部なんて辞めてるさ」

「それでこそ、誠二だ」

 おそらく、文芸部は無くなる。ならばこそ、最後までこの場所で、実代と一緒に過ごしたい。

「ひょっとすると、奇跡が起こるかもしれないぞ。御都合主義で、ありきたりで、三文小説にしか出てこない、陳腐な奇蹟が」

「それでも、僕はハッピーエンドを願うさ。御都合主義でいい。ありきたりでもいい。バッドエンドで芥川賞を取るより、ハッピーエンドで売れない三文小説のほうが、よほどいい」

 誰か、この物語を肺炎にしてやってくれないか。

 そんなことを考えながら、僕たちは心ゆくまで、この文芸部室で、ひたすらに穏やかな時間を過ごした。


次回が最終話となります。


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