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第一話 恋人になろう

「はじめてのxxx。」企画に参加申請した作品です。

「それじゃあ、付き合ってみようか」

 彼女の口からそんな言葉が飛び出したのは、よく晴れた春の日のことだった。


 放課後は文芸部の部室に顔を出すのが習慣になっている。

 名目上は文芸部員で、あまつさえ部長という肩書きまで持っているので、当然と言えば当然のことなのだが、僕は小説を書いたことはない。それどころか、作文すら得意ではない。専ら読むだけである。

 去年の今頃、ちょうど入学してすぐに所属部員がゼロの文芸部に入部したのは、一念発起して作家を目指そうと思ったわけでもなく、創作意欲に掻き立てられたからでもない。放課後にのんびりと読書を楽しむ時間と場所が欲しかっただけである。

 五人兄弟の三番目に生まれた僕は、家の中に一人で落ち着くことのできる場所がない。二つ年上の姉は受験に向けてピリピリしており、弟達はそれを気にすることもなく元気に騒ぐ。姉の怒号と弟達の嬌声に、唯一の趣味である読書を阻害されていた僕は、最初は図書室を根城にしていたのだが、そこは受験生のための勉強の場で、落ち着いて読書をするところではなかった。

 市立の図書館は高校から離れており、毎日喫茶店に通うほどの小遣いもなかった。どうしようかと困っていた折に、廃部がほとんど決定した文芸部の噂を耳にしたのだ。

「文芸部が潰れたら、他に部費が回るし、部室も空くらしいのよ。先輩達が喜んでた」

「ウチの部にも部費、回ってこないかなぁ」

 増えた部費で何を買うかと相談しているクラスメイトには申し訳なかったが、僕はそれを聞いたその足で、文芸部の顧問を訪ねた。聞けば、今週中に入部希望者がいなければ廃部するはずだったそうだ。

「活字離れってよく聞くけど、君みたいな子がいて嬉しいわ」

 顧問の若い国語教師は笑顔で入部届を書かせて、そのまま僕を部長に任命した。他に部員がいないのだから仕方がない。部長会議など、色々と面倒な仕事もあるらしかったが、顧問の次の言葉で気にならなくなった。

「少ないけど部費も出るから、参考資料に小説を購入してもいいのよ」

 五人兄弟の宿命なのだろうか。小遣いも本の置き場も心許なかった僕にとって、これほどありがたい話はなかった。


 こうして、僕は落ち着いて読書をする時間と環境。ついでに資金まで手に入れた。

 まず、埃っぽい部屋を丁寧に雑巾がけして、本棚を整理した。先代が何年前に卒業したのかは知らないが、ひどく埃がたまっており、それだけの作業で三日かかった。

 それから読書の供として、コーヒーのドリッパーと、自室のラジカセを持ち込んだ。微かに流れるBGMと、ほろ苦いコーヒー。ゆったりとしたソファ。まさに完璧だった。これほどまでに読書に適した部屋は無いと断言できるほどだった。

 そんな僕の城に彼女が訪れたのは、掃除も準備も終わり、いざ本の世界へとソファに腰を降ろした瞬間だった。

「やあ、随分といいところじゃないか」

 凜とした声に似つかわしくない、大仰な口調。そこでようやく来訪者に気付いた僕が顔をあげると、ドアの前にすらりと背の高い女子生徒が立っていた。整った目鼻立ちと、流れるような黒髪が印象的で、射抜くような鋭い眼がそれを引き立たせていた。口元には不敵な笑みを浮かべており、その様子からすると部室を私物化している僕を怒りにきたわけではないようだった。かと言って、入部希望者にも見えなくて、僕は首をかしげた。

「どうかしましたか?」

「ちょっとした見学だよ。潰れたはずの文芸部がまだ残っていると聞いてな」

 とても高校生の女の子とは思えない、堂々とした貫禄のある態度だった。彼女は部室をぐるりと見回して、満足そうに頷いた。

「良い部屋だな。気に入ったよ」

「そりゃどうも」

 掃除をして、ドリッパーとラジカセを持ち込んだだけだが、どうやら彼女の趣味は僕に似通っているらしい。僕は少し得意になって、突然の来訪者に気をよくした。しかし。

「入部することにした。顧問は吉野先生だったな」

「へ?」

 不意打ちのような宣言に、僕は少々面食らって彼女の顔をまじまじと見つめた。少しの迷いもない、むしろ非常に楽しそうな目で僕を見ていた。

「なんだ。新入部員の募集はしていないのか。是非、入部したいのだが」

 彼女の言葉に、僕は返答に困った。学校の部活動であるから、基本的に入部を拒否する権利はない。しかし、この部室は僕がようやく手に入れた、読書のための環境だった。見た印象ではそうは思えなかったが、ここまで積極的なのは、彼女は創作活動に熱心なのだろう。

「えぇと。ここは文芸部ですが、おそらく考えているような活動はしていません。部員も僕一人ですし」

 もしも、本気で創作活動をする人ならば、怒るか落ち込むかのどちらかだろうと思って、そう言った。本来はそのような人間がこの部室を使うべきなのだろうが、それも仲間がいてのこと。僕一人がいるだけでは、入部する気にはなれないだろう。しかし。

「放課後にのんびり、コーヒーを飲みながら本を読む。それが活動だと思っていたのだが」

「……その通り、です」

「そうか。なに、邪魔をするつもりはない。ただ、この環境を私にも分けて欲しいだけさ」

 そう言われては、断るすべがない。僕はなんだか雰囲気に飲まれたように頷き、実に楽しそうに微笑む彼女を見た。

「一年の雪吹実代ふぶきみしろという。吹く雪ではなく、雪が吹くと書いて、フブキ。以後、よろしくお願いする」

「一年の、鷹成誠二たかなしせいじ。小鳥が遊ぶわけじゃなく、鷹に成ると書くんだ。よろしく」

 小鳥遊と書いて、タカナシ(鷹無し)と読む。それも珍しい名字なのだが、僕の場合はそれより珍しいという変わり種だった。雪吹という珍しい名字も、彼女らしいと思ったほかに、親近感を覚えたほどだ。

「どうやら、私たちの相性も良さそうだ」

「みたいだね」

 以来、僕はこの不思議な女の子と、放課後に本を読むのが日課になった。


 雪吹さんは宣言通りに入部したが、恐れていたことは杞憂に終わった。

 放課後、文芸部室に訪れて、コーヒーを淹れて、本を開く。のんびりとコーヒーを飲みながら、本の世界を堪能して、下校時間になると鍵をかけて帰る。それだけだ。

 最初の頃は自分の城を横取りされたような気がして、気分はよくなかったのだが、雪吹さんは僕と同じく、ただの読書好きな学生で、読書以外の文芸部的な活動は一切しなかった。

 一学期の頃はただ、同じ部屋で本を読むだけの、お互いを空気か何かとしか捉えてない関係だったが、半年を過ぎると本の感想を言い合うようになり、一年を過ぎ、進級した今となっては、お互いの勧める小説を読んでは、感想を言い合うのが慣例となってきている。

「ふむ。叙情感というのだろうか。なんとも後味の良い話だ。前半から半ばにかけての、底抜けに明るい話から、後半のシリアスな展開への急転直下に焦ったものの、最後の大団円はありきたりと言え、読んで安心できた。君は、中々面白い本を知っているな」

「雪吹さんが勧めてくれた本も、いいね。ミステリとホラーは相性が良いとは思っていたけど、オカルトとミステリは一緒くたにしてはいけないと思っていた。それが、ここまで完成度の高いものになるとは思わなかったよ」

 元々が孤独な趣味なので、あまり誰かと感想を言い合うということをしなかった。それに、雪吹さんの視点は僕とは少し違っていて、同じ本を読んでも、見ているところが違う。そんなことを話し合うのも楽しかった。

 彼女の大仰な口調と、尊大ともとれる態度に戸惑ったのは、最初だけだった。よくよく考えれば、彼女の口調は小説のそれによく似ていて、普段から親しんでいるものである。

 勧誘どころか、部活動説明会にも出席せず、めでたく新入生ゼロとなり、僕たちは相変わらず、ずっと読書をして放課後を過ごす。

 多分、卒業するまでずっとこのままだろう。それでいいと思っていた。

「少しは、目に見える活動をしてもらわないと困るのよ」

 だが、そんな僕たちのささやかな楽しみは、顧問の吉野先生の一言で危機に立たされることになる。

「小説や詩を書くだけが文芸部じゃないから、創作活動をしろとは言わないけど。せめて感想文や、批評会なんかはしてもらわないとねえ。他の部にも示しがつかないし」

 活動実績のない部活動を存続させることはできない。それは実に真っ当な理論だったから、僕は頷くしかなかった。

 部室に戻り、雪吹さんに説明すると、「ふむ」と呟き、何が面白いのか、にやりと笑った。

「ならば、感想文にしろ、批評会にしろ、やるしかないな。この場所は気に入ってるんだ」

「そう言うと思ったよ。ついでに、御丁寧に吉野先生が課題を出してくれた。これを読んで読書感想文を提出しろってさ」

 吉野先生に手渡されたのは、一冊の恋愛小説と、その読書感想文を募集するというイベントのチラシだった。

 高校生向けの企画らしく、これに応募すれば、少なくとも活動記録にはなるだろうという話だった。雪吹さんと僕は、顔を見合わせたまま、やれやれと溜息をついた。読書感想文は確かに面倒で、あまり面白い作業には思えなかった。しかし、この文芸部を失うことに比べれば、大したことではない。

 問題は、その対象。つまり、手渡された恋愛小説のほうにあった。タイトルは聞いたことがある。少し昔に一部で高い評価を受けていた、高校生男女の織りなす、恋愛における葛藤や苦悩を描いた作品だ。恋愛というテーマながら、そこには真剣に生きる高校生が描かれていると噂で、この手の企画が持ち上がるのもわかる気がした。

 ただ、非常に残念なことに、僕も雪吹さんも、恋愛小説を今まで読んだことがないのであった。というか、そもそも、恋愛をしたことがない。思春期真っ盛りであるはずの僕たちだが、恋愛にまったく興味がなかったのである。

 この事実は、今までの僕たちにとって非常にありがたいものだった。若い男女が部室でずっと二人きりなのである。雪吹さんは美人なので、もしも僕が他の同年代のように恋愛に興味を持っていれば、今頃は読書どころではなかっただろう。雪吹さんにとってもそれは同じことのようで、つい先日「恋愛には欠片も興味がなくてな。おかげで読書に集中できていい」と笑っていたばかりである。

 つまり、僕たちは恋愛という非常にありふれたテーマに、何ら興味を覚えることができないのである。そんな二人に、恋愛小説の感想文を書けと言われても、何を書いていいのか皆目見当がつかない。

「批評会にしないか?」

「駄目。吉野先生が用意周到に参加申し込みしちゃったらしい」

 本人は「そそっかしくて、つい意志も聞かずに用紙を送ってしまったの」と言っていたが、目は確信犯のそれだった。活動実績のない文芸部を存続させたい一心での行動というのは、彼女の必死の表情でわかった。故に、言えなかったのだ。部員全員が、恋愛に興味がないので書けないなどとは。

「まあ、文章の巧拙こうせつぐらいならば、書けるか」

「それも駄目らしい。感想はあくまでもストーリーに関してらしい。ちゃんと規約に書いてあった」

 どうせ、僕たちと似たような状況の誰かが、文章に関しての考察なんかを過去に送ってしまったのだろう。最後の逃げ道すら失われて、僕たちはいよいよ迷った。

 ありきたりな一般論で固めるという手段もあったが、吉野先生が最後に一言「やるからには、何か賞を取りなさい」と言っていたので、これも却下となった。本気で書くしかないという状況である。

 しばらく、文芸部内に静寂が訪れた。穏やかな春の日差しが僕たちの気持ちとは裏腹に、優しく身体を包んでいた。

 とりあえず、読むだけ読んで、なんとか無理矢理書くしかないだろう。そんな気持ちを固めたときだった。

 雪吹さんは、まるでとんでもなく面白いことを発見したかのように、嬉しそうに口元を引き上げて、こう言ったのだ。


「それじゃあ、付き合ってみようか」

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