閑話その1
「どうしてこんな事に……」
もう何度目になるか……数え切れない程繰り返した独り言が、ため息とともに漏れた。
(一体どこで間違ったというのでしょう?)
これも何度目かわからない自問。
――答えはいつも同じ。
†
アンナロッテ・フォン・ミレハイム。
ミレハイム王国の第三王女として生まれた彼女は、正妻の子ではなかった。
上の姉二人は、アンナロッテが生まれた時点で既に嫁いでおり、兄たちとも親子ほどの年の差がある。
それだけなら、まだ良かったのだが……不幸なことにアンナロッテは【時空魔術】の適正を持って生まれてしまった。
ミレハイム王国において【時空魔術】の素養はそれすなわち王の素養とされ、継承権に関係なく第一候補とされる。
それは慣習でしかなく、法律で決まっているわけでもない。
そのため他の候補者やその後援者は、アンナロッテの王位継承に異を唱えた。
まぁ、それは当然だろう。20年以上も国政を担う為に努力を続けて来て、ぽっと出の子供が次の王だと言われても納得できるものではない。
皮肉なことにアンナロッテ自身、王の座には一切の興味はない。
【時空魔術】の素養があるからといって、年の離れた妾腹の第三王女に後援者がいるわけもない。
そんな彼女の味方はといえば、年が近く自分と似た境遇の従姉妹と、幼少の頃から仕えてくれている、隠密の少女くらいのものだった。
3歳で素養が発覚し、10歳で初めて【時空魔術】の発動に成功しても、アンナロッテを取り巻く環境は殆ど変わらなかった。
変わった事はといえば、ただ1つ。彼女が年を経る毎に、その美しさに磨きがかかり、身体の成長に従って時空魔術の実力が上がるにつれて、国民からの彼女を支持する声が強くなってきたのだ。
それは、有事の際に局面を一気に変えることができる、【時空魔術】の使い手であることが原因か、それとも、彼女の類い希なる美貌のおかげか……
どちらにせよ、その事実は彼女にさらなる不幸を持ち込んできた。
徐々にエスカレートする嫌がらせ。初めは小さなものだったが、それが暗殺へと変わるまで然程の時間も必要としなかった。
そんな折、アンナロッテの元に1つの話が舞い込んできた。
彼女の従姉妹が、魔物の大量発生に関して予言を行ったというのだ。
神の巫女であるマリナの予言は、外れない。
外れることがあるとすれば、予言成就を前提に、その回避に全力であたった場合だ。
今回の魔物の大量発生では、かつてない規模の被害が出る。
そんな神の巫女の予言を回避する為、隣国ゲルベルン王国から勇者召喚を行いたいと打診があった。
勇者召喚術式は、遠い過去の時代にゲルベルン王国で行われた魔法だ。
その名の通り、異世界から強力な力を持つ勇者を呼び出すものだと伝えられている。
特殊な魔法陣を使用し、【時空魔術】の使い手以外に数十名の人員で執りおこなう必要がある。
また、魔法陣の特性と、次元の揺らぎを利用する術式らしく、決められた場所でしか使用できないという制限がある。
アンナロッテが【時空魔術】の使い手として協力するとなると、ゲルベルン王国まで出向く必要がある。
ミレハイム王国とゲルベルン王国はお世辞にも良い関係とはいえない。
通常であれば、つっぱねるべき案件だ。
しかし、ゲルベルン王国は迷宮の調査権を土産に持ってきた。
ゲルベルン王国が、条約で決められた迷宮攻略をすすめていない疑惑があるのだ。
迷宮攻略を行わないと迷宮は肥大化してしまう為、まったく手がつけられなくなる。
ある程度までのサイズまで成長した迷宮は、攻略し迷宮を破壊することはできないまでも、もぐって魔物を倒し続けるだけで最悪の事態は回避できる。
これさえも怠っているという疑惑があるのだ。
特に、ミレハイム王国の国境近くにある迷宮は、何百年も前から存在していると、記録に残っている。
そんな迷宮が、攻略されているかどうかもわからないまま、目の前にあるのだ。
元より、死を望まれている彼女が、
「不安の種をぬぐえるのなら、王女を送っても良いのではないか?」
といわれるまで時間はかからなかった。
しかしながら、彼女は気がすすまなかった。
ゲルベルン王国に送ろうとする彼等と同じく、ゲルベルン王国も信用できなかったからだ。
それに、この世界の出来事を別世界の勇者に丸投げするというのも納得がいかなかった。
味方が全くといっていい程いない状態の中で、ゲルベルン王国行きを断る事ができない雰囲気と共に、相変わらず命の危機を感じる日々だった彼女に、「味方ではないが、中立派だ」と名乗るとある貴族から提案があった。
「ゲルベルン王国へ向かうことにしたが、途中で盗賊に襲われ、行方不明。そういうことにして、逃げてはいかがか?
もちろん、その為の協力はする」
と。
後で考えてみれば、考えられないことだが、彼女はこの提案を受け入れた。
やけになっていたのかもしれない。
はたまた、アンナロッテ憎し、【時空魔術】憎しで、仮想敵国の言い分に従おうとしている、貴族や兄、それを諫めることのできない父たちから、流石に逃げ出したくなったのかもしれない。
そして――
結果からいえば、彼女は無事にゲルベルン王国の首都である王都ゲンベルクにたどり着くことができた。
彼女の思惑を外して。
†
流されるままに行った勇者召喚の儀式は、一週間もの期間を経て一見無事に成功した。
術者は、アンナロッテを含めて総勢21名――
だが、現状意識を保っているのは、アンナロッテただ一人だった。
薄暗い地下室の中。
唯一の光源は、祭壇の上で仄暗く光る魔法陣だけだ。
そして、その魔法陣の中央では、黒髪の少女が尻餅をついている。
アシハラ人と近い特徴を持つ少女は、恐らく自分と同じ年くらいだろう。
と、アンナロッテは目算をつけた。
疲労感で崩れ落ちそうになりながら、ゆっくり膝をつき、頭を垂れる。
「勇者様。急にお呼び立てして申し訳ありません。我々に力をお貸し下さい」
これが、女の運命を大きく変え、ゲルベルン王国の思惑もミレハイム王国の思惑もを大きく外す結果となった、勇者と王女の出会いだった。
「ふあはははは! 良くやった! アンナロッテ第三王女!!」
高笑いとともに現れたのはゲルベルン王国宰相の、ザリス・マールコアだ。
高笑いをしている筈なのに、眉間には不機嫌そうにしわが刻まれ、目は笑っていない。
ガリガリにやせているのにも拘わらず、指だけが異常に太くそれが、彼の不気味さを更に際立たせている。
アンナロッテは、呼び捨てにされる不快感を隠す様子もなく、
「儀式中は立ち入り禁止のはずでは?」
「何をいう。儀式なら終わっているだろう」
「ではどうして、儀式が終わってすぐのタイミングで、この場にいらっしゃるのでしょう?」
アンナロッテの追求は耳に入らなかったのか、あえて無視したのか。
ザリスは、どす黒い魔力を放出させながら、黒髪の少女に向かって、
「『隷属せよ。名も無き勇者』
――立て」
と芝居がかった大仰な仕草で、命令を下した。
しかし、命令を下された黒髪の少女は、尻餅をついたまま首をかしげるだけだった。
「どういうことだ? 隷属の首輪はついているようだが……」
「隷属!? 一体、どういうことですか!?」
膝をついていたアンナロッテの角度からは、ほとんど見ることが不可能だったようだが、立ち上がって確認してみると、黒髪に紛れるように、確かに首輪がついていた。
それは、アンナロッテがかつて一度だけ見たことのある、隷属の首輪そのものだった。
勇者召喚についてアンナロッテが聞かされていたのは、勇者を召喚しその勇者に「お願い」するというものだった。
それは、伝承でも同じ。
間違っても「召喚した異世界人を、強制的に奴隷化する」というものではない。
「私の術式は完璧だったはず……ぶっつけ本番ではあるが、ここだけミスが起こるなど……」
ザリスはアンナロッテの糾弾を無視し、ぶつぶつと何やらつぶやき始めた。
「なるほど……魔法陣を利用した強力な隷属術式ではなく、予備の術式が発動したのか……となれば、アンナロッテ第三王女! 勇者の主は貴公だな!」
一切、アンナロッテ側の話を聞かず自己完結し、まくし立てるザリス。
そこに一石投じたのは――
「ちょっと、おじさん! さっきから何をワケわかんないこと言ってるのよ? そっちの娘もちょっとアレ? って感じだったけど、可愛そうになってきたわよ」
――黒髪の少女だった。
尻餅をついて放心していた筈だが、最初の発言は、自分自身のことより目の前の少女を気遣うものだった。
「これは決定的だな。王に何と報告したものか……また、軍部がうるさいだろう。頭の痛いことだ」
しかしながら、返ってきたのはまたもや独り言だった。
なおも、糾弾の姿勢を見せるアンナロッテとは正反対に、黒髪の少女は一度の会話(と言うには余りに一方通行だったが)で見限ったようだ。
もしかすると、アンナロッテの方がまだ話が通じると思ったのかもしれない。
「ねぇ、ここはどこ? 恭弥はどこに行ったの?」
黒髪の少女の質問を無視するわけにもいかなかったのか、アンナロッテは一旦ザリスへの糾弾をやめた。
ふらつく膝に活を入れながら、
「ご説明しますので、ひとまず。こちらへお越しください」
と、声をかけた。
「あっ、あれ? 身体が勝手に……」
「申し訳ありません。この場は私の魔力が満ちていますから、命令になってしまったようです。
どうやら、ザリス宰相の言うとおり、私が主のようですね……」
†
それからアンナロッテと黒髪の少女こと咲良の二人は、主の権限を引き剥がすべく、二人まとめてヴァルバッハへと送られた。
【闇魔術】の複合術式である奴隷魔術は、【神聖魔術】で書き換え可能だ。
具体的には、「コントラクト」の方を書き換えて、徐々に主の権限をそぎ落としていくのだ。
これは、【神聖魔術】の中でもレベルの高い術式だ。
王都ゲンベルクで行わなかった理由は、『コントラクト』を書き換えるほどの実力を持った高位の術者がヴァルバッハにしかおらず、しかもその術者がゲルベルン王国が誇る空軍に置いて重要なポジションにいるため、気軽に王都に呼び戻せないからだった。
城塞都市というヴァルバッハの特色は、軟禁に向いているという点もある。
何にせよ、奴隷にする事を厭わなかった勇者は元より、まがりなりにも他国の王族であるアンナロッテに対する扱いではなかった。
アンナロッテが内部でどう扱われていようと、王女であることには変わりはなく、容易に戦争の引き金を引く事態になるだろう。
魔物の大量発生を控えている現状では戦争はないだろうと高をくくっているのだろうか?
それとも、どこから見ても普通の少女にしか見えないこの勇者一人で、大国であるミレハイム王国を倒す算段なのか?
はたまた、別な理由があるのか……
結論からいえば、どれも当てはまっていて、アンナロッテがそれに気がついたときには既に手遅れの状態だった。
それは、ハインツエルン王国への宣戦布告。その4日前のことだった。
†
「どうしてこんな事に……」
再度の問い。
あれから、アンナロッテは可能な限りの作戦を立て、情報を集めた。
それでも、素人がやること。
情報の真偽すらわからない。
それでも、唯一もたらされた解決策に飛びつく以外の選択肢はなかった。
自分には関係のないことだというのに、咲良は快く協力を申し出てくれた。
それだけでなく、こうして軟禁されてからというもの、守ってもらってばかりだった。
咲良に言わせると、「そんなことはない」そうだが……
少なくとも、アンナロッテはそう感じていた。
主として、権限をゲルベルン王国に移さないよう努力をしてきたが、それだって完璧にうまくいったわけではない。
恐らく、神の巫女である従姉妹の存在がなければ、もっと悲惨な結末になっていただろう。
そうしていると、
コンコン
とノックの音が部屋に響き渡った。
ノックの相手は――
■改稿履歴
第31話から第33話にかけての改稿に伴い、少し表現を修正いたしました。




