第18話 アヒル隊長
昨日は朝早くから移動し、夜はすぐに寝てしまったため、鍛錬を行わなかった。
よくよく考えれば、朝の鍛錬も夜の鍛錬も行わなかったのは、約3年ぶりのことだ。
三年前は、朝方にじいさんが亡くなって、忙殺されている内に3日ほどまともに鍛錬できなかったのだ。
迷宮に潜るようになれば、そんな日々も当たり前になるのだろう。
迷宮に潜ること自体が鍛錬だという声が聞こえてきそうだけど、それは無視することにしよう。
初めての異世界で初めてのまともな寝床とあっては寝過ぎるかと思ったが、身体に染みついた習慣は消えてくれないらしい。
外はまだ暗く、イリスはまだ寝ている。
夜明けまではあと、一時間から二時間くらい。恐らく、それまでは目を覚まさないだろう。
鍛錬に、複製した術技の確認とやりたいことは山ほどあるが……
問題は鍛錬場所だな。
そうだな、今日のところはギルドの修練場に行ってみるか。
まぁ、こんな朝早くなら誰もいないだろう。
いた場合は軽く剣を振ってくれば良いだろう。
「トウドウさん、おはようございます」
1階に降りると、既に起きていたらしい、受付をしてくれた女の子が挨拶をしてくれる。
「ああ、おはようございます。ちょっと頼みがあるんだけど、良いかな?」
「はい、何でしょう?」
「ちょっと出てくるけど、イリスが起きて俺を探していたら、朝の鍛錬に行ったと告げてくれるか?」
場所まで教えなくて良いだろう。来られるとまたスキルの検証ができなくなるからな。
「はい、わかりました」
そういえば、外国イコールチップというイメージがあるけど、昨日から誰にも渡してなかったな。
しまった……
イリスに聞きにもどるのは、本末転倒だしな。
よし、ここはさらっと礼を言って渡そう。
「よろしく」
チップを渡そうとしたが、断られてしまった。
この国ではチップの文化はないらしい。
1つ勉強になったな。
ギルドの修練場は、俺が予想した通り誰もいなかった。
聞いたところによると、ギルドが新人冒険者に戦い方を教えたり、昇格試験に使用したりする以外は、冒険者同士の決闘に使用される程度なのだとか。
立派な修練場なのに、もったいない。
修練場はギルドの地下と地上にあり、地下には昇格試験や決闘に使用されるのだろうだだっ広い場所と弓の練習に使用する動く的があり、地上にはスキルや魔術を試し打ちするための麦わら人形やら大岩やらが置かれている。
用があるのは、地上の試し打ちスペースだ。広さは、バスケのコートくらいだろうか?
地下の修練場経由でしか行くことができないその場所は、厳重に高く分厚い壁で囲まれている。
加えて試し打ちスペースの前後左右の建物も、ギルド所有の建物なのだそうだ。
裏手は冒険者専用の酒場、右側がギルドの治療院、左側が、屋根付きの駐車場となっていて、双方ともギルド支部の建物から直接出入りできるようになっている。
すべてのスキルを低威力で試したが、魔術は魔力を少し多めに込めた『ファイアボール』が試し打ち用の岩を溶岩に変えてしまったため、それ以降は余剰魔力を使った発動以外は試していない。
どうにも、魔術の威力調節は苦手だ。
俺一人で殲滅戦をするならこれでも良いんだろうけどなぁ……
薄々わかっていたことだが、複製した知識や経験で知り得た威力と比べて、下手すると100倍以上の差があるというのが何よりの問題だ。
感覚としては、経験上ではサラダ油に火をつける程度の威力かと思ったら、ガソリンに火をつけたような威力だったりするわけだ。
なぜか、余剰魔力だけを使って発動する魔術なら、割と細かく調整は可能なんだけど……
まぁ、幸い今使える魔術はすべてそれで事足りるから良いといえば良いんだけど。
だが、よくよく考えれば人によって威力が違うのは武道も同じ……か。考え直してみれば、武術系の術技やスキルは威力に関する知識は殆ど参考にしていない。
なるほど。魔術だからといって、全く武術の知識が活かせないということはなさそうだ。
必要なのは、自分自身の経験だな。
感覚さえ掴めば、大丈夫な気はする。
そうして俺は、しばらくスキルと魔術の使用感を確認したのだった。
†
「イリス、ただいまーって、何してるんだ?」
一通り実験を終えて部屋に戻ると、着替えを済ませたイリスが正座していた。
今日の予定は告げてはいないが、動きやすい迷宮攻略用の格好をしている。
「主様がお一人努力されている間、私は……」
どうやら、俺より先に寝て、あまつさえ俺より後に起きたことに責任を感じているらしい。
「気にするな。起こさなかったのは俺だからな。そんなことより、朝飯を食べながら今日の予定を決めるから、さっさと立て」
「し……承知しました」
足がしびれているのかフラフラと立ち上がり、足下が覚束ないでいるようだ。
正座になれていないせいか、長時間正座をしすぎたせいか……
ふむ。
俺は、にやりと笑うと……
つん
「わみゃぁああああああ!!」
イリスの悲痛な叫びが、宿に響き渡った。
イリスのしびれが取れるのを待って食堂に降りた俺たちは、朝食に舌鼓をうっていた。
メニューは、パンとスープとサラダだが、パンが実にボリューミーだ。
2cmくらいの厚みでカットされた2枚のパンでチーズとハムを挟み、フライパンで焼き上げたものの上には更に目玉焼きが乗っている。
目玉焼きには、スパイシーでさわやかな香りの乾燥ハーブと胡椒が細かく挽かれて振りかけられている。
こうしたハーブや胡椒は森林系の迷宮の低階層でも採れるそうで、それほど高級な食材ではないようだ。
「主様ひどいです」
先の一件についてだろう。イリスが抗議の声を上げる。
「正座待機なんてつまらんことをするからだ。それに、罰が欲しかったのならちょうど良かっただろう?」
イリスは、「ぐぬぬ」と唸って水を飲み干した。
「まぁ、カルシウムが足りてないんじゃないか? ミルクでも飲めよ」
デキャンタから、空になったイリスのコップにミルクをたっぷりと注いでやる。
何の乳かは知らないが、味は牛乳だ。
冷えてはいないが、濃厚でおいしい。
高校の修学旅行で、北海道に行ったときに牧場で飲んだ牛乳もおいしかったな。
「カルシウム……?」
首をかしげながら、ミルクに口をつける。
「まぁ、ミルクも良いんだけど、やっぱり朝はコーヒーが飲みたくなるな……」
朝は、コーヒー派なのだ。
味噌汁とコーヒーの組合せでも一切構わないくらいだ。
「コーヒー? コーヒーの木のことですか? 実を食べることはできますが、殆ど種ばかりな上に、味も良くないそうですが……」
え? コーヒーないの?
いや、コーヒーの木があるのだから、実を集めて自分で作れないだろうか?
そのコーヒーの木とやらに本当にコーヒー豆がなっているならだけど。
「ええと……迷宮に生えているということしか……申し訳ありません」
「いや、それだけわかれば良い。冒険者ギルドに行けば教えてくれるはずだからな。今日は買物の予定だったけど、予定変更だ。先にギルドに行こう」
†
冒険者ギルドでは、緊急性の低い依頼は一日一回3の刻半(午前7時頃)にまとめて掲示板に掲載される。その直後はギルドが一日で一番忙しい時間帯だ。
押し寄せている冒険者の殆どはランクD以下であり、それより上になると時間をずらしてくるようだ。若しくは、依頼達成時に次の依頼を受注している為朝ギルドに顔を出すことはない。
ちなみに、すぐに掲示板に掲載してほしい場合は、追加料金を支払うことで即時掲載することも可能なようだ。
3の刻半から半刻――約1時間経った筈の現在も、ギルド内は戦場のようだった。
「これは凄いな」
FランクからDランクといえば、冒険者全体の殆どの割合を占めている。
全員が積極的に活動しているかどうかは横においたとしても、ある意味納得の光景だ。
それに応じて依頼の数も多いらしく、初めて見たときは整然とした印象だった掲示板も依頼書であふれかえり、それだけでは足りなかったのか掲示板が増設されている。
そしてその掲示板の前には人。受付の前にも人。人人人だ。
「あ、キョーヤさん!」
窓口の数が足りないせいか、待合用の椅子に座った冒険者相手に受付業務をしていたイオさんが、声をかけてきた。
何やらぴょんぴょん飛び上がりつつ、「すみません、こっちまで来て頂けますか?」と言いつつ手招きをしている。
ただでさえガードの甘いゆるふわな部分が、心配になってくる。
セレンさんのVネックは――まぁ、そういうデザインだから仕方ないし、意外とチラリもポロリもなさそうだが、イオさんはガードがおろそかなので、どちらもありえそうだった。
というか、飛び上がっているせいでスカートが大変なことになっている気がする。
ロングスカートでパンチラとか、高度すぎると思うんです。
慌てて人混みをすり抜けるようにしてイオさんのもとへと向かう。
キチンと付いて来られているあたり、何だかんだいってもイリスは優秀だと思う。
「こちらの受付が終わるまで、少々お待ちくださいね」
「はい」
ガードの甘さからは考えられないほど、テキパキと受付業務を終えると、
「お待たせいたしました。こちらへ来て頂けますか?」
と言って、俺たちを4階へと案内してくれた。
職員専用フロアらしいが大丈夫なのだろうか?
と思っていたら、階段上がってすぐの椅子に座って待つように言われた。
十中八九昨日のことだろうが、警備兵から問題なしとのお墨付きをもらっているのだ。
何も恐れることはない……よな?
それが証拠に、イオさんからは敵対的な感じはしない。
というか、敵対するつもりなら敵性の存在を見抜く【索敵】に引っかかるはずだ。
【索敵】はスキルレベル2のため、精度がいかほどかはわからないが……
いや、それならスキルレベルを上げよう。
スキルレベルを4に上げるには8ポイント。5に上げるには10ポイントだ。
おっと、イリスに怪しまれないように、手を使わずに作業しないとな。
メニューの操作は手でメニューに触れる方法でも操作可能だが、視線と意思の力で操作できる。
まぁ、手で作業した方が圧倒的に早いけど、こういうときは便利だな。
合わせて18ポイント使用して【索敵】のスキルレベルを5に上げる。
レベルを5にしたことで【索敵】の効果範囲も広がり、【索敵】の結果も【気配察知】と同じように地図に同期されるようになった。
ご丁寧に出てきたヘルプによると、【気配察知】と【索敵】で色が違うようだ。ついでにいえば、気配を消して【索敵】のみに引っかかる場合は、地図に出るマーカーが薄くなるようだ。
もちろん、それだけではなく精度もキチンと上がっている。これで、よほどのことでもない限り、敵対の意思を見逃すことはないだろう。
レベルを上げて確認してもギルド内には、敵対する者はいないようなのでひとまず安心といえる。
「キョーヤさんお待たせしました。こちらへお越しください……って、お二人ともそんなに警戒しなくても大丈夫ですよ? 昨日の一件で、こちらからお話しすることがあるだけですので。内容的に、今の1階で話す内容でもありませんから」
素直について行った先は、紫檀製のロウテーブルを革製の椅子で囲んだ応接室だった。
窓はなく、壁には装飾性を重視した槍や、剣、盾などが飾られており、部屋の隅にはゴムの木に似た観葉植物が飾られている。
天井には光魔法が込められているらしい魔道具が取り付けられ、水銀灯のような灯りを発していてそれが唯一の光源となっている。
「お連れしました」
イオさんは先に革の椅子に座っている物体に声をかけると、俺たちにも「おかけになってください」と着席を促しドアを閉めた。
部屋から出ていくのかと思ったが、ドアの傍に立っているようだ。
俺たちの向かいに座っているのは、ひよこのぬいぐるみだ。
ひよこというより、風呂に浮かべて遊ぶあひるのおもちゃに近いかもしれない。
薄暗い部屋の中で、原色イエローが激しく自己主張している。
「ああ、わざわざ来てもらってすまないね」
!?
ぬいぐるみがしゃべった?
ぬいぐるみから聞こえたのは、イオさんの声だった。
腹話術かと一瞬思ったが距離が離れすぎているし、何よりこのぬいぐるみからは微量ながら魔力が感じられる。
「驚かせてすまないね。からかっているワケじゃあないんだ。これは、離れた人間と会話をすることができる魔道具でね。生き物を模した人工物を媒介にする必要があるのだよ。
ちなみに、そのぬいぐるみはイオ君の持ち物だよ。声も、イオ君の声になっているだろう? それも制約の1つなんだよ。
――申し遅れたが、私は冒険者ギルドセーレ支部の支部長をしているメギル・イオシスだ」
「藤堂恭弥です」
「イリスです」
「話には聞いていたが、本当に若いね。
さて、こうして来てもらったのには理由がある。まず、君が倒した4人の冒険者だが、懲罰稟議が上がっていたことは知っているかね?」
昨日、警備兵からそんな話を聞いた気がするな。
「はい。昨日警備兵の方から伺いました」
「そうか、なら話は早い。実はその懲罰稟議だがね、昨日の昼に通っているんだよ。後付けにはなるが君には報酬が支払われる。後で受け取ってくれ。捕縛依頼ではなく生死不問だから報酬も高めだ。期待してくれて構わないと思うよ。
彼等は素行の悪さもさることながら、同じ冒険者を襲ったり、攫ったりといった疑惑があってね。主な実行犯たちは他にいて、彼等はいわば隠れ蓑のようなモノではあったんだけど、一蓮托生という判断になったというわけだ。本体にはうまく隠れられていたおかげで、捜査が難航して大変だったよ」
個人の力で、ギルドや国の捜査を短期間とはいえ誤魔化しきれるものだろうか?
どうにも、きな臭い感じがするな……
「その、“主な実行犯たち”ってのは捕まったんですか?」
「そこにいるイリス君が倒した者たちが、その実行犯というわけなんだよ。
従ってイリス君にも賞金が出る。両方とも、国がかけた賞金ではなく冒険者ギルドからの支払いだから、間違えて騎士団詰め所に行かないようにね。
はっきりいって、疑惑止まりだった彼等が実行犯だと確定できたのも、イリス君の持ってきたステータスカードのおかげだ。こればっかりは誤魔化しがきかないからね」
金銭が入ってくるとわかったからか、イリスは少し嬉しそうだ。
っていうか、アノ紙も誤魔化す方法とかあるんだな。
俺の偽装のネックレスでも誤魔化せるんだろうか?
あの腕輪は無理なようだが、言葉の真偽を問うだけなら、解答方法によっては誤魔化しがきくもんな。
もしかしたら、アレも誤魔化すアイテムがあるのかもしれないが。
いや、罪を犯す予定はないけどね。
「で、もう一つ用件があってね、この討伐依頼だけど本来Bランク以上の依頼なんだよ。まず、公にできない依頼だっていうのが1つと、CランクとDランクとはいえこの人数を相手にするにはそれよりも上のBランクの実力が必要というわけなんだよ。
というわけで、特例によりトードー君には……アシハラの名前は発音しにくいものが多いね……キョーヤくんと呼んでも?」
「ええ、藤堂は発音しにくいでしょうから」
「それじゃあお言葉に甘えて。キョーヤ君は特例により本日よりCランクとする事が決まったので、下で報酬と一緒にカードの更新もしていってくれ」
あれ? 俺だけ?
「あの、何で俺だけなんですか?」
「ああ、それはね……イリス君が件の冒険者を本当に倒したのか、どのように倒したのか、そのあたりが詳しくわからないからだね。
キョーヤ君の場合は周りに証人がいっぱいいたからね、それで問題なしってことになったんだよ。
私は面倒だから両方とも上げるように申請したんだけどね。さっき言った理由で通らなかったよ。
そういうわけで、イリス君に関しては、一度戦闘を見せてもらって、それで問題ないようならCランクに昇格させてもらうことになった。
聞けば、明日Dランクの昇格試験を受けるつもりだったそうじゃないか。それの代わりってワケじゃないけどさ」
「何だったら、俺が今すぐ見てやろうか? 明日なんてまどろっこしいこと言いっこなしでよ」
突然会話に乱入してきたのは、いつの間にか部屋の入り口に立っていたギリクだった。