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第二話「逃走劇」

 ――さて、どうしたものか。


 スタートして早々に捨てられた俺は、とりあえず異世界観光という名目の下、城下町を歩き回っていた。

 食欲をそそる出店の匂い、道具やアクセサリーを売っている露店、客引きや呼び込みを行う者、そして道を走り回る子ども達。などなど、城下町は活気に満ち溢れていた。

 そんな街の中で、この世界の基準とは違う服装をした俺に振り返る者や、注目する者も多々居た。

 ただ、注目されるだけで話し掛けられるわけではない。


 一通り街を見終わると、俺はこの町を出ようと思った。何をするにせよ、金策をせねば何も出来ないからだ。

 町を出てやることは、もちろん薬草採取やギルドなどにある依頼だ。この世界も、おそらくゲームの世界とさして違いはないだろうという考えから、そうして金策をしようと思っている。

 もし稼げなくても、最悪の場合は野生に帰ればどうにかなる。それくらいの能力は、今までの経験から多少はあるつもりだ。

 しかし、だからといってリサーチを怠ることはない。


 俺は町を出ようと歩きながらも、頼りになりそうな人を探した。

 それからすぐ、その頼りになりそうな人物は見つかった。一つ不安が残るが、それでもこの事態を進展させるために、俺は声を掛けた。


「あの、すみません。少しいいですか」


 後ろからその人物に声をかけて、そして振り向かれる。

 ――よし、どうやら異世界であっても言葉は通じるようだ。


「……どうした?」


 反応と同時に、警戒と少しの動揺の混じった視線が向けられた。何故そこまで分かるかと言えば、目の僅かな動きを見たのだ。それ以外は俺の勘だ。


 俺が声をかけたのは男だった。身長は190ほどの大柄で、服の上からでも分かるほど筋肉はしっかりと付いており、また骨までも太そうだ。さっきの九條よりも数段、逞しく見える。


 男の服装は(ファンタジー世界においては)至って普通だった。それなりに新しそうな布の服に、その上から男の全身を隠すほど大きいこげ茶色のローブを纏っていた。ローブの方は擦り切れや刺繍の後が目立ち、かなり古い、愛着のあるものだと見て取れた。

 顔はローブを目深に被っていて、そこまで分からなかったが、これだけは言える。


 ――渋い声の割にとてつもなく若い、と。


 鼻のあたりまでは顔が見えるのだが、決して彫りが深いとはいえない。むしろ、熟練の老剣士を思わせるほどの渋い声にしては浅すぎる。

 染み、シワ、ひげのない褐色の肌はどうにも、年齢を判別しづらい。体格や声で男とは分かるのだが、それだけだ。それ以外の詳細がまるで掴めない。

 見方によっては俺と同じくらいの年齢にも見える。

 雰囲気としては、寡黙な戦士、というのがピッタリだ。


 相手が警戒している理由は分からないが、これ以上間を開けてはさらに怪しまれる。

 俺はそれ以上の観察をやめて、少し困った風を装って(事実困っているが)本題を口にした。


「俺は荒川龍一っていいます。わけあって少し金銭に困っているのですが……この世界では、どうすればお金を手に入れられるでしょうか? もちろん、正当な手段で、です」


 一瞬、男からさらに胡散臭げに見られた気がしたが、それは気にしない。俺だって、逆の立場ならいきなり金の話をした相手をそんな風に見ていただろう。だからこそ、人の事は言えない。


「……お前はもしかして、異世界人か?」


 少し考えるような仕草をした後、男は静かに聞いてきた。

 警戒は少しだけ緩んでいる。おそらく、俺の正体に少しだけ近づき、警戒する理由が薄まった、といったところだろう。

 てか、この世界には異世界人っていう概念があるのな。


「そうです。とりあえず状況は把握したのですが、どうやって生活していけばいいのか分からなくて……どういった方法があるのか、とても簡単にでも良いので教えてもらえませんか?」


「……まぁ、それくらいなら構わない」


 よし! と俺は心の中でガッツポーズをとった。もちろん、現実には表情にも出していない。


「金を稼ぐ方法は、大きく分けて三つだ。

 一つ目は、モンスターの討伐、それらの素材の売買、薬草の採取、ギルドの依頼をこなす、などといった冒険者。

 二つ目は、店の従業員となり生活することだ。このあたりなら、ちょうど鍛冶屋と薬屋、それとパン屋で従業員の募集があった筈だ。

 三つ目は、自分で商売をする。何か目標があるのであれば、この選択肢も悪くないだろう。

 ……こんなものだが、これでいいか?」


 一つ目は冒険者として、二つ目はバイトとして、三つ目は職人として、か。

 男の説明はとても分かり易かった。どうやら、話し掛ける相手の人選は失敗していなかったようだ。


「はい、ありがとうございます。あと、ギルドとはどちらにありますか?」


「冒険者ギルドであれば、この道を真っ直ぐ進んだ、町の東にある。商人ギルドや傭兵ギルドも、この町では冒険者ギルドの近くにある。もしも見つからなければ、町の者に聞くといい。すぐに教えてもらえるはずだ」


「わかりました。何から何まで、本当にありがとうございました」


 俺は男に向けて綺麗にお辞儀をして礼を言う。

この男のおかげで、この世界のことが少しだけ分かってきた。つまり、この世界は俺や他の一般人が想像しているような、普通のファンタジー世界だ。

ギルドがあれば、冒険者もいて、モンスターも居るし、現代科学なんてものは存在しない。魔法はあるかどうか分からないが、きっとあるだろう。モンスターが居るくらいだから、なければ逆に不自然だ。


「……。これから、何事にも折れることなく、励むといい」


 男は別れ際に俺にそう言い残して、去って行った。

 俺も男を目で見送ると、さっさと踵を返して歩き始めた。


 異世界召喚されて、早々に捨てられた俺だが……心の中は、予想以上に穏やかなものだった。

 それがあの男に出逢ったからなのか、それとも自分の心の強さなのかは分からない。

 しかし、俺は確かに感じていた。


 新たなる、旅立ちの始まりの予感を。

 そしてあの男との縁を。また会うだろう、という予感を。


 ファンタジーの世界の中、一文無しで捨てられた。それは限りなく絶望的な状況にも関わらず、俺の心は躍っていた。

 正確には、この苦境を打開してみせることに生甲斐を感じていた。

 どうやって打開するかという方法。打開した後のまだ見ぬ未来。

 それを想像しただけで、俺の気持ちは最高点にまで高揚する。


『システムメッセージ

  スキル「立ち向かう者」、「冒険者」を会得しました』


 そのシステムメッセージこそが合図だった。


「見つけたぞ、拳聖の魔王!」


 冒険者ギルドの目の前で、俺は国の兵士と思わしき奴らに囲まれた。

 若干名、冒険者風の者も混じっているようだが……今の問題はそうじゃない。


 何とその兵士どもは、俺を見つけるなり抜刀して、一斉に飛び掛かってきたのだ。


「のわっ!?」


 俺は咄嗟に後ろへと跳び、初撃を辛うじて避けた。

 しかし、相手は何十名。ご丁寧に円陣になっているわけで……。

 そんな隙だらけの俺の背後から、兵士の一人と冒険者の一人が斬り掛かってきた。


「ぐっ!?」


 あたりに鮮血が舞った。

 それはもちろん、俺から出た赤だった。

 剣で斬られたにも関わらず出血量は少ないが、痛みは想像を絶するものだった。歯を思いっきり食いしばって何とか悲鳴を上げるのは耐えたが、それでも痛いものは痛い。目の端に涙が浮かぶのも、今だけは見逃してほしい。


「っ!? 何という硬さだ……!」


「ちっ、剣の方が損耗しちまった!」


 兵士の一人と冒険者風の男が揃って驚きの声を上げていたが、俺はそれどころではない。


 どうして、俺は今こんな状況になっているのか。

 拳聖の魔王とは、一体何なのか。

 こいつらはどうして、俺を襲ってくるのか。


 疑問は底を尽きない。しかし、敵が待ってくれる筈もなく、次々と俺に攻撃を仕掛けてくる始末。

 俺は斬られた箇所の燃えるような痛みに耐えて、攻撃を受けることも構わずに真っ直ぐに走り出した。何故なら、避けるだけではこの状況を打破出来ないからだ。

 だからこそ、俺の今の目標は町の外に出ることだ。少なくとも、外であれば町よりは逃走成功率が高いだろうと思ってのことだった。


「くそっ! なんだよこの状況は!」


 悪態を吐きながら、俺は走る。それはもう全速力で、力の限りを尽くして走る。

 それなのに、俺の体はまるで鉛を纏っているかのように進まない。浪人生活のせいで身体能力が落ちたのか、それとも敏捷8などというステータスの呪いなのかは分からないが、とにかく遅い。


「ははっ! 何だよその鈍重な動き!」


 敵の一人が俺を笑い飛ばしてくるが、そんなことはもはや眼中になかった。

 何故なら、俺の心の中は不安と恐怖、そして怒りで埋め尽くされていたからだ。


(くそっ! どうして、どうしてこんなに体が重いんだよ!?)


 恐怖はしているが、そのせいで体が固まっているわけではない。

 感覚でいうのなら、まるで自分だけがスローモーションで動いている様なものだった。

 体が言うことを聞かないとは、まさにこういうことを言うのだろう。


 ――出口が見えてきた。


 俺はその間にも体を斬られ続け、数え切れない傷を負っていた。どれも決して大きい傷ではないのだが、その数が数だ。小さな傷も、付けられすぎれば致命傷となり得る。

 簡潔に言えば、総合的な出血量が多かった。これでこれ以上動き続けるのは、命に関わる。俺の生存本能がそういっている。


 出口の方を見てみれば何十……下手をすれば何百という兵士が固まっている。

 これはつまり、確実に俺を殺そうとしている。容赦のない今までの攻撃からも、それは分かり切っていることだった。

 今思えば、冒険者ギルドからここまでの逃走経路、住民がまったく見えなかった。おそらく、俺が冒険者ギルドに行く間にでも避難誘導をしていたのだろう。あの男との会話を誰かが盗み聞きして。


(さすがに、あんなの突破できねぇぞ……くそっ!)


 今までは「拘束されぬ者」というスキルで何とか逃げ切れていた。このスキルはどうやら相手の動きを止める行為すべてを無効に出来るらしく、たとえ羽交い絞めにされようが、鎖で縛られようが、今まで通りに行動出来るという大変優れたスキルだった。

 これが無ければ、今頃俺は一歩も動けず袋叩きになって死んでいた。


 そして今までの逃走の経験から、このスキルでも無効化に出来ないものが存在することに気が付いた。

 それは壁である。

 その壁とは種類を問わず、生物(人の壁)、非生物(建築物の壁)、どちらの壁であっても無効化には至らなかった。

 つまり、壁をすり抜ける事は出来ない。そして立ち塞がれれば、俺には成す術がない。


 目の前の出口では、もはや人の壁といっていいほどに兵士が密集している。そんな場所に俺が一人特攻というのは自殺行為だった。

 しかし、それ以外に道が残されていないのも事実。


 このままでは、この状況を打開することは出来ない。

 どうして俺ばかりが! とは今も思っている。そんな怒りが俺の中に巡って、最終的には痛みと一緒に歯を食いしばって耐えてはいるが、いつこれが殺人衝動に変わるかは分かったものじゃない。

 怒りが殺人衝動に変わってしまえば、俺は二度と人の世界には戻れない。


『ならば人間をやめて、こちらの世界に来い』


「っ!?」


 誰かの囁くような声が脳に直接響き、俺は思わずあたりを見回したが、そこに居るのは相も変わらず鬱陶しい兵士と冒険者。

 空耳か? などと思っていると、その声はまたもや脳に響いた。


『人をやめ、こちらの世界に来い。さすれば貴様には魔の力を授けよう』


 ……聞き間違いではなかった。

 誰からの声かは知らないが、どうやら俺が人間をやめればこの状況を打開出来る様だ。


 ――しかし、答えはすでに決まっていた。


(ふざけるなッ!)


 もちろん、人間をやめるなんてことは何があっても嫌だ。例え自分が死ぬとしても、人間をやめようなどとは思わない。

 そもそも、誰がこんな怪しい声を信じるものか。一昨日来やがれ。


 ――腹立たしい。

 非常に、腹立たしい。


 自分に集ってくる羽根虫のような存在が、ここまで腹立たしく感じたことは、今までにない。


(――不味い。怒りのせいで、思考能力が……)


 どこかにいる冷静な自分が危機感を覚えていた。このままでは、本当に人間をやめることになるぞ、と。

 原因は、理不尽を受けて発生した怒りによるものだ。

 ならば、怒りでそうなる前に、この状況を打開する策を見出さなければならない。


 俺はメニューと念じて、そこから所持品と念じる。


『ミスリルのナックルダスター(拳専用武器)

 爆弾(攻撃用アイテム・敵全体に小ダメージ)

 勇者の導き(貴重品)

 魔王の導き(貴重品)

 スキル大全集(貴重品・破棄不可能アイテム)

 大魔王の囁き(???・破棄不可能・破壊不可能アイテム)』


 所持品はこれだけだった。

 これを全部見た瞬間には本当にズッコケそうになった。

 特に最後の「大魔王の囁き」とかいうアイテムだが……これはただの呪いだろうに。効果分からず捨てる事も破壊することも出来ないとか、ふざけているにも程がある。

 先ほどの頭に響く声は、きっとこれが原因に違いない。

 ゲームとかによくある地雷アイテム。おそらく「大魔王の囁き」への認識は、大方こんなところで合っている筈だ。


 いつ手に入ったのか、とかは分からない。

 もしかしたら、初期アイテムの中に潜んでいたのかもしれない。

 この世界に来て、所持品を開くのは今回が初めてだったのは、失敗だったかもしれない。

 しかし、無駄な後悔をしている余裕は存在しない。


 俺は一刻も早くこの状況を打開するために、ミスリルのナックルダスターを装備したい、と思った。すると、その願いに応じるように、所持品からミスリルのナックルダスターが消滅し、代わりに両手に何かがはまる感覚があった。


「……これが、ミスリルのナックルダスターか」


 拳に向けて視線を落としてみると、青みがかった白銀のメリケンサックが、俺の拳に装備されていた。

 この色が、きっとミスリル特有の色なのだろう。


 ――装備は確認した。


 俺はもう一度メニューと念じると、そこである異変に気が付いた。


『ステータス画面✕

     所持品

      装備

    仲間編成

  スキルツリー

     ヘルプ✕』


 と、ステータス画面とヘルプのところにバツ印が付けられていた。

 まさか、と思いステータス、ヘルプと念じてみるが、両方失敗。どうやら、ステータスとヘルプが開けなくなったようだ。代わりに、スキルツリーというのが増えている。


 しょうがない、と思い俺は新しくメニューに加えられたスキルツリーと念じる。


『現在のP数……15P

習得可能スキル

  聖渾一擲(拳専用スキル)

         「10P消費」


  身体の魔力強化(最大MPの低下・常時身体能力の高上)

              「3P+最大MPの1割を常に消費」


  魔力感知(魔法を使う為の大前提)

              「1P消費」


  ヤルングレイプ(拳or鎚専用スキル・神話武装)

                   「170P消費」 』


 一つだけ分不相応なスキルがある気がしたが気にしない。

 俺は「聖渾一擲」と「身体の魔力強化」と「魔力感知」を同時に習得した。


『現在のP数……1P

 習得可能スキル

  魔渾一擲(拳専用スキル)

         「10P消費」


  魔王の一撃(魔王or拳専用スキル)

             「75P消費」


  ヤルングレイプ(拳or鎚専用スキル・神話武装)

                   「170P消費」 』


 その後のスキルツリーの様子はざっとこんな感じだった。

 ポイント数がもうない為、俺はスキルツリーを閉じる。


 ――準備は、全て終わった。


 これはある意味では賭けだ。

 ゲームのチュートリアルなどにはよく見かけるのだが、スキルを使えば敵を一掃できるイベントが存在する。

 ゲーム感覚というのはいけないが、俺は今回のこの騒動をそのゲームのチュートリアルに見立てたのだ。


 つまり、スキル習得とスキルを試す為の場だと。


「……」


 俺は今までの逃げの行動から一転、動きを止め、静かに腰を落とす。

 狙うのは、目の前の全ての障害。

 敵は攻撃するために自然と俺の目の前に来てくれる。だから、俺が移動する必要性は全くない。


「ふぅ……」


 全身の力を抜き、されどその状態で拳を腰と同じ位置に持っていき、構えを取る。


「はぁっ!」


「そろそろ限界かぁ!? てこずらせてくれやがって!」


「これで終わりだ!」


 敵の各々がそんな俺に構わず攻撃してくるが、俺にとっては脅威足り得ない。どれもかすり傷が付く程度の剣筋で、どれだけ攻撃を受けようが「少し痛い」としか思わない。


「……」


 まだだ、と思いながらも全ての意識を右の拳に注ぐ。俺が集中状態に入ったためか、既に俺には敵の声が聞こえず、肌を浅く斬られて感じるはずの痛みまで覚えていなかった。


 ――これが、最初で最後の攻撃。


 それは俺がたった一度しか放たない反撃であり、終わりを告げるに十分なほどの威力を誇るのであろう文字通り、渾身の一撃。


「聖渾――」


 俺は時が満ちたのを感じると同時に、右手に向けて急速に力が凝縮されるのに気が付いた。

 これならば、目の前の障害をなぎ倒すには十分すぎる威力を発揮してくれるだろう。俺はいつの間にか、そのような確信を持っていた。


 傷つきすぎた俺は、この一撃を何が何でも成功させなければならない。

 だからこそ、相手に対して死なないように手加減、などという甘い事は出来ない。


 俺の命を狙ったんだ。ならば、相手が命を賭けるのも当然だ。


 集束され過ぎた右拳の力を、俺は今まさに解放するためそれを前へと、手加減も慢心も無く、己の全てを込めて押し出した。


「一擲――!」


 拳を押し出した瞬間に、何か途方もなく重たいものを前へと押し出した気がするが、そんなことは後回しだ。


 俺のその拳に直撃した者は誰も居ない。

 当然だ。これほどまで安直な攻撃、受ける者が居るはずがない。

 そして、俺は運が良かったといえる。直撃した者が居なかったために、死者はゼロになったのだから。


 そんな俺の拳を前に押し出し切って、数瞬遅れてからのことだった。


「がぁ!?」


「うわぁぁぁぁぁぁ!?」


「ぐっ、ぐぁぁぁ!?」


 目の前の人という人が、文字通り空を飛んだ。


 それは重力が逆転して空に放り出された様に。

 はたまた、大砲の玉を発射したように放物線を描いて飛んでいき。

 最悪の場合、ただ拳から発せられた衝撃波により、吹き飛んだ勢いで壁に減り込む者までも居た。


 その全てが、スキル「聖渾一擲」の作用によるものだったのは、他ならぬ俺だけが知っている事実だった。

 傍から見れば、ただ拳を力強く前方へと押し出しただけの一撃だったというのに。

 当たらなければ、何の害も無い攻撃に見えたというのに。


 それがふたを開けてみれば、見ての通りの地獄絵図。


 俺の正面に居る者は、全員が重傷を負って気絶するか、重症を負いながらも何とか意識を保っている者のみだ。

 先ほどの暴威から逃れた者は、誰一人として居ない。強いて言えば、射程範囲外だった俺の後方に居た者だけが、その暴威から逃れたとはいえる。


 ただの拳に、その後に起こる嵐のような衝撃波。

 最初から最後まで、ある少しの間だけ集中していたことを除けば、どれも動きに警戒を覚えるほどのものではなかった。

 だからこそ、誰もがこのような事態になることを、予想しなかった。

 まさか前方に居た全体戦力の8割が、一度に全て戦闘不能になるなんて。


 ――そんなこと、予想出来る筈が無かったのだ。


「……次に攻撃してくるときは、覚悟しておけ」


 俺は振り向いてそれだけを言い残し、重い体に鞭を打って、急いで町から出ていく。

 そして逃げる間に、襲ってくる者は誰一人として居なかった。


 それは圧倒的な実力差を感じての挫折か、それとも己の身の可愛さに追撃を止めた命欲しさの選択なのか。俺には分からない。


 しかし一つだけ、断言できる。

 ――もし本当に俺を殺す気があるのであれば、それは確実に間違いであったと。


 逃げる時の俺の体力は、実際にはもうほとんど残っていなかった。

 聖渾一擲を放ってから、俺はどうしてか全身から力が抜けるような、虚脱感に襲われていた。

 これは疑いようもなく、聖渾一擲を使用したことによるデメリットだ。

 そしてそんな状態で聖渾一擲を放つのは不可能であり、放てたとしても俺の命と引き換えになる筈だ。


 だからこそ、反撃手段を失った俺に、奴らは仕掛けなくてはいけなかった。


 俺が「覚悟しておけ」と言ったのだって、完全にブラフだ。逃走率を微量でも上げる為の、脅しに過ぎない。

 それに効果があったのかはともかく、結果的には成功だった。


 こうして俺は、町という敵の巣窟から抜け出すことに成功して――

 ――『ブラインドヘイムの森』という、四六時中ずっと視界の悪い森へと、逃げ込んだのだった。


毎回、こんな感じで不定期になると思います。

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