グレイ
私は未来の人間に後部座席で挟まれていた。自分で作ったタイムマシンに乗って、未来を見に行ったのはいいものの、帰り道のタイムワープで時空密航者として追い回された挙句、御用となってしまったのだ。どうやら未来に行った時に、渡航手続きをしなかったのがいけなかったらしい。不格好な自作のタイムマシンをレッカーされながら、私は取締局のタイムマシンに押し込められて、後部座席で小さく縮こまっていた。
私は、未来の牢屋はどんなものかと恐怖半分興味半分で考えていたが、どうせ嫌と言うほどこれからお世話になるのだろうから考えても無駄かと諦観し、泰然自若に、むしろふてぶてしいくらいに構えることにした。
左右を見渡すと、未来人がぴったりと密着するように座っていた。体は肋骨が浮き出そうなほどで、手足も細く長い。頭は大きいが頬はこけて、小さな口で、目は全てを見透かされそうな程に大きい。
少しばかり時空に揺られたかと思うと、彼らの時代に着いたらしい。徐々に降下を始めると雲霞の切れ間から建物の集まりがまばらに見えるようになってきた。
タイムマシンは取締局の屋上に止まり、私は局内の取調室に連行された。出された椅子に座るとなんとも尻が落ち着かない。出された椅子はゲル状の表面で作られていて、ぶよぶよとした感触が尻を包み込んでいた。
「あなたは2013年から来ていますね。このタイムマシンは何処で手に入れたのですか?」
座るとすぐに取調官から質問が浴びせられた。言葉は意外にも私にも聞き取れた。
「タイムマシンは私の自作です。それよりも言葉が通じるんですね。びっくりしました。」
思わず、コミュニケーションが取れたことを聞いてしまった。余計な私語をしてしまい怒られるかと思いきや、意外にも答えが返ってきた。
「私たちは過去の言葉をデータベース化したものを脳にインプットしています。あなたの様相を見てデータベースから弾き出された言語を使うだけなのです。私たちの脳は、あなたたちの時代の人類の脳より二倍程大きくなっているので、頭が大きくなってしまったのです。」
「どうしてそこまで大きくなってしまったのでしょうか。」
私は恐る恐る質問を重ねた。しかし、なんとも気さくに答えてくれる。
「あなた達の時代が終わった後も、我々は幾つもの時代と文明を重ねました。幾つもの時代を重ねることで、覚えることもどんどん増えていきました。しかし、覚えることが多すぎて脳が許容量は限界寸前まできてしまいました。そこで見かねたマルヤマという科学者が我々を生み出したのです。」
「生み出した?」
私は、なんとも話しが飛躍しすぎて素っ頓狂な声で鸚鵡返ししてしまった。
「ええ、生み出したのです。彼は、改造されたい人間を募った中で選りすぐり、男女で二つの番の我々を生み出しました。その子孫が現在残っている生命体が我々です。彼は、身体機能を必要最低限に削ぎ落とした代わりに、脳に全精力を注ぎ込みました。そうして出来上がったのがこの立派な脳です。次いで情報を一気に取り込む大きな目を作り上げたのです。我々の体と手足は針の様に細くになり運動能力は失いましたが、膨大な知識と、恐ろしいまでの情報の吸収力を手に入れたのです。だからあなたと会話をするという事は非常に容易いことなのです。」
どうやら私が見てこなかった時代に2013年にいる人間はすっかり滅亡してしまったらしい。代わりにマルヤマという人物が、人類時代終盤に作り上げた生命体が台頭して、瞬く間に世界を埋め尽くしてしまったようだ。
「大分話しが逸れてしまったようですが、あなたの今回の違反の件に戻りましょう。あなたは、非常に稚拙なタイムマシンで渡航をしているせいで、微妙にですが、他の時代にラグが生じてしまっています。また、正規の手続きを取っていないため密航扱いとなり、これら二つが刑罰の対象となります。追って連絡が行くと思うので、しばらくは留置所で待機という形になります。それでは留置所へご案内します。」
取調官は徐ろに立ち上がったと思うと、靴についているスイッチを押した。すると、彼は地上から数センチばかり浮き上がり、ふわふわと浮遊しながらドアまで進んで行った。これなら筋力がなくても楽に移動できると私は思わず感嘆の声を上げてしまった。私は取り調べに来たのか、未来の技術に触れに来たのか少しばかり困惑しながら、彼に連れ立ってドアへと向かった。
娑婆の空気は思ったほどいいものではなかった。恐らくいいものだったのだろうが刑務所の空気の方がよほど雑味がなく澄んでいるようだった。
この時代の刑務所は恐ろしく快適で、規則らしい規則も無かった。あるのは一日七時間程度の労働と、一日三食の食事だった。あとの時間は、所内から出なければ自由に過ごすことが出来た。しかも、釈放されたら、ちゃんと自分の来た時代、つまり二年前の私の生きている時代に送り帰してくれるという、何とも至れり尽くせりで何とも恐縮してしまう。ここで二年過せというのは、長い休みをもらったような気分だ。
強いて不満を言えば、取調官が履いていた浮遊する靴の着用が義務付けられていたため、運動らしい運動が出来なかったことと、食事がサプリの様な錠剤しか出なくて味気無かったこと、労働時間の時に行われた、薄暗い部屋の中に設置してある大きなモニターのコンピュータの前で、刑務官に言われた作業をひたすらやっていた事くらいである。しかし、この三つの不満も慣れてしまえばどうということでは無く、一週間もするとすっかり体が順応し、むしろ生活の必需品として私の生活を支えていた。
とにかく、二年という快適な刑期を終えた私は、刑務所の中とあまり変わらない娑婆へと放り出された。
刑務所を出るときに、刑務官に、取締局に向かうように、と言われていたので、靴のスイッチを押し、ふわふわと浮き上がり、取締局の方へつま先を向けた。
取締局に行き、受付に刑務所から来た事を伝えると、担当の者が来るまでここで待つようにと、奇遇にも二年前と同じ部屋に通された。
ほんの少し時間が経った頃に、担当者が入ってきた。担当者は私を見た瞬間、少し微笑んでいる様に見えた。
「いやあ、久しぶりですねえ。すっかり見違えましたよ。」
「久しぶりというのは…。」
いきなり親しげに話しかけられた為、私はすっかり呆気に取られてしまった。それに、見違えたというのはどういうことだろうか。
「いやいやすみません。我々はみんな顔が似ていますからね。あの一瞬で覚えろというのが無理難題な話しでしょう。しかし、今ならそれはできそうですね。」
何やら意味深な言葉が私に投げかけられて来たが、呆気に取られて、いやに馴れ馴れしい未来人の相手をするのがやっとであった。
「ああ、二年前私の取り調べをしてくれた方でしたか。」
迫ってくる彼をいなしながら、私は落ち着きを取り戻し、久しぶりの再会をようやく懐かしむことが出来た。
「ええ、今日でこの時代ともお別れですねえ。どうですか心境は。」
彼はへらへらと笑いながら私に問いかける。二年前と比べてどうも顔にしまりが無くなっているようだ。
「そうですね。やっぱりうれしいですね。特に記憶を消される訳でも無いので、見てきたことを伝えて少しでも未来を良く出来ればと思ってます。」
取り留めのない会話のキャッチボールが少しばかり続いたところで、私を送るタイムマシンの準備が整った旨が入り、私たちはタイムマシンへとふわふわ向かっていった。
「それじゃあ、私はここまでです。どうか体に気をつけてくださいね。」
取調官はタイムマシンに乗り込む私を見ながら、声を掛け、手を振った。それを見た私は小さく手を振り返した。何だかんだあったが、未来人は根は良い奴なのはわかった。
浮遊する靴を取り上げられてしまったため、二年ぶりに自分の足で歩いた。返してもらった靴を履くと少し大きく感じ、いかに運動が大切かということを実感しながら、タイムマシン内の床を大地の様に踏みしめた。踏みしめた時の振動が頭の先まで伝わってくるような感覚だった。
自分の時代まではあっという間だった。帰り道の途中、自作のタイムマシンはスクラップにされてしまった事は聞いた。少し寂しい気もしたが、ボロい割に思わぬ大冒険が出来たのでしっかり弔ってやろうと決めた。
2013年に帰ってきた。
脳にぼんやりと靄がかかっている様でどうもすっきりしない。しばらくすると靄も晴れて見覚えのある景色が広がってきた。ゆっくりと上体を起こす。どうやらベンチで寝ていた様だ。
画一的な道路と家、国道にひしめく車、おいしくない空気、よろよろと歩く老人、嫌という程見てきた景色が、懐かしいというよりも妙に新鮮だった。
家の近くの公園に送り返されたらしい。もう五分も歩けば家である。私は、我が家へと歩を進めることにした。一刻も早く、薄くてカビの香りが仄かにする馴染みのベッドで死んだように眠りたかった。
家へと向かう途中で幾度と無く転び、体が擦り傷まみれになっていた。それに、すれ違う人は皆一様に私を凝視したかと思うと、足早に進行方向へと逃げていった。あまり人の目は気にしないが、些か失礼ではなかろうか。少し憮然とした面持ちで歩いていると、前の道を塞ぐようにパトカーが一台止まった。私は、空き巣の被害であったのだろうかと考えながら歩いていると、警官二人が慌ててパトカーを飛び降り、パトカーを遮蔽物にして身を隠しながら、拡声器で大声を響かせた。
「ええと…宇宙人に告ぐ!まずそこで止まって、貴様は何が目的でここへ来たか言え!返答次第では発砲もやむを得ない!」
私は、この時代にも宇宙人が出たのかと心躍らせた。しかし、私は実際に宇宙人の時代に住んでいたので、少し食傷気味のようにも感じながら歩を進めた。
その時だった。破裂音がしたかと思うと、私の足元のコンクリートが抉れた。視線を前にやると、警官が拳銃を構えていた。拳銃からは少しばかりの煙が立ち込めていた。
私は立ちすくんだ。まさか私が宇宙人だというのか。そんなことは有り得ない。確かによく転ぶようになったが、それは未来でふわふわ浮いていたせいなのだ。一瞬、最悪の状態が頭を駆け抜けたが、無理矢理に捩じ伏せた。
私は警官の静止を振り切り、来た道を慌てて戻った。破裂音が連続で轟き、私の体を幾度と無くかすめていった。細い体を支える私の心臓はとっくにオーバーヒートしていた。
再び戻ってきた公園内に設置してある公衆トイレの個室に身を潜めた。何が原因なのだろう。刑務所で食べていたサプリのカプセルだろうか。刑務所での作業が洗脳プログラムだったのだろうか。終始、浮いて生活していたからだろうか。
今となって、刑務所での生活、取調官の不敵な笑みや意味深な言動がフラッシュバックしてくる。彼は刑務所から出て来た新しい私を見てのことだったのだ。
しかし、今は彼の事は忘れなければならない。何とかここから離れなければならない。私はすでにグロッキー気味の足に鞭を打ち再び走り出した。
命からがら逃げてきた私がたどり着いたのは、この街に沿うように流れている川の河川敷である。大荒れの呼吸を整えながら、誰もいない土手に横たわった。土と短い芝が肌に触れる。この感触が嬉しくて少し涙ぐんでしまった。二年前までは当たり前の様に感じていたのに、今はこの当たり前が嬉しくて仕方がない。
私は川へ近づいて、最悪の状態になっていないことを祈りながら水面を覗き込んだ。
私は絶句した。悪い予感ほどよく当たる。
そこに映し出されていたのは、大きな頭と大きな目をした私が、水面の鏡に映し出されていた。体もまじまじと見てみると、二年前に比べて遥かに細くなった。
ため息混じりに空を見ると、空はすっかりオレンジ色に染まりあがっていた。この夕景も未来には無かった。大きな目から一筋の涙が伝い落ちる。
地面に涙が落ちるのとほとんど同時だった。
私の左胸に穴が空いた。私の気づかないうちに警官が土手に集結していた。私を撃ったであろう警官が拳銃を腰についたホルダーに納めて、駆け寄って来るところだった。
私の細い足は限界を悟ったようで、その場に崩れ落ちた。
私は、最後に呟いた。
「私は宇宙人ではない。未来人だ。私たち人間は、いつかこうなるぞ。」