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私と〝あの人〟の出会いは、今から遡ると十二年近く前のことだ。
小学校に入って間もなく、彼は私を遊びに誘ってくれた。一緒に外で遊ぼう、と。そのころはまだみんな男女の垣根もなく無邪気だった。
その時誘ってくれて以来、私と彼は仲が良かった。
しかしそれも高学年となると、一緒に遊ぶことは少なくなった。思春期の異性への気恥ずかしさのせいだった。私だけじゃなく、クラスのみんなも。
けどそれでも彼は、変わらずに私を誘ってくれた。女子とか男子とか、そういうのは関係ないとばかりに。他の男子が女子と遊ぶのは嫌だ、と私を避けたら、彼は男子たちじゃなく私と遊んでくれた。
そんな彼を見てか、クラスは最初ぎこちなかったけど、すぐに今までのような男女ともに仲の良いクラスに戻った。
ひとえに、彼のおかげだ。
そういう実行力と影響力を兼ね備えていた。
そのころから、きっと私は彼に恋をしていた。
寒さに震える体は、ようやく収まってきた。貸してくれたシャツは妹のものらしいが、その上に羽織っているパーカーは彼のものだ。
質素な部屋。大人しめの色合いでまとめられていて、年齢不相応の落ち着いた雰囲気がある。
高校生男子の部屋にしては珍しい。
目の前の白いちゃぶ台に、マグカップがおかれた。
「飲めよ」
斜め前に彼が座る。マグカップを手に取ると温かい。
湯気が出ていてまだ熱いココアを、ちびちびと飲む。喉を温かな液体が流れていく感触。
「ありがと」
彼は――淳哉は、小さく首を横に振った。
あれから。
雨がざあざあと降る中、私は街をさまよっていた。雨だか涙だか分からないシズクが頬を流れたまま。
体中びちゃびちゃになって。
屍のようなおぼつかない足取りで。
そんな私を、なぜか淳哉は助けてくれて、家に入れてくれた。シャワーまで貸してくれた。
「どうして、あんなことをしたんだ」
あんなこととは、きっと雨の中を傘も差さず茫然自失と歩いていたことだろう。険しさを感じる表情をしたまま、淳哉は問うた。
「……〝あの人〟が」小さく、呟く。「いた」
「あいつが……」
「でも、追いかけたらいなくなっちゃった……そりゃ、そうだよね。だって〝あの人〟はもういないんだし。それは確実だし、だから私が見たのは幻影なの。〝あの人〟の、幻。そんなものを追いかけて、私は……ばかだよね」
「…………」
淳哉は何も言わない。何を言わなくても、その表情が全てを物語っている。
「……ごめん。いきなり」
「……いや」
それきり、淳哉は黙ってしまった。私も自分から何かを話す気にはなれず、ココアをゆっくりと飲む。
沈黙。
壁に立てかけられた時計の音とか、私がココアを飲む音とか、窓の外の雨音とか、雑音だけが私の耳には届く。
「……俺さ」沈黙から浮上するように、淳哉が口を開いた。「あいつと会えたとき、すごく嬉しかったんだ。何だここにいたのか、こんなところをほっつき歩きやがって、とか思って。今からすれば俺はただのマヌケだけどな。脳内お花畑の。追いかけて、追いかけて……いなくなった」
私と同じことを、淳哉もしたのか。
「その時気付いたよ。ああ、俺が見ていたのは幻だったんだ、未練が生んだ残像なんだって」
雨音がうるさい。
私の心もざわつく。
淳哉の顔を見ることも出来ず、俯いたまま。
「だから、俺はもう分かった。あれは――」
「――単なる幻覚だよ」
「……お前」
私は、ようやく口を開く。
「あれは、私や淳哉がまだ彼のことを思っているから、見えただけ。まるで〝あの人〟が、自分のことを忘れてくれっていっているような。それも私の思い込みだけど。でも……これで諦めもつくよね。だって、
〝あの人〟は、死んだんだから」
溢れ出した言葉と一緒に、透明の液体も瞳から溢れ出す。とめどなく。
諦めなければいけない。
それを認めなければならない。
そう思ってしまうと、涙を流さずにいられなかった。
「お前は、本当にいいのか」
「……だって。仕方ない」
いつかは、必ず。
認めなければならないから。
きっと、それは今このときなのだろう――