余命宣告された元教師ハーフエルフ、教え子たちからの謝罪ラッシュで死んでる場合じゃない
「サーラ。あんた、もってあと二十年だよ」
神妙な顔で、昔馴染みの医者であるエルフのキーシャが言う。キーシャは眼鏡の奥の緑の瞳を細めて、私の検査結果を読み上げた。
「酒の飲みすぎで肝臓はボロボロ、肺は葉巻の吸いすぎで真っ黒。加えて睡眠不足と運動不足で身体のあちこちにガタが来てる」
「それは五十年前くらいからずっとで……」
「そうだよ。あんたは五十年間、私の忠告を無視しているんだ。自業自得だね。ハーフエルフってことも考えると、先はあんまり長くないだろうさ」
突き放すように言うけれど、キーシャの声は震えていた。
「だから言ったんだ。魔女学校の先生なんてもっと早くやめるべきだったし、それが無理なら休むべきだった」
「そんなことを言われても、無理だったんだよ。学校へ所属して魔法を教える魔女は、あの当時少なかった。人手不足だったんだ。私がやるしかなかった」
「だからその船から早く降りるべきだったって言ってるんだよ、お人よし。生徒からも同僚からもいじめられて、居座る理由がなかっただろう」
「……だけどそれ以外に、私にできることはなかったと思う」
「探さなかっただけだよ。他になんだってできただろうに」
キーシャはすぱっと切って捨てて、検査結果の紙を私へ向けた。それを受け取って診察椅子から立つと、「お大事に」とぶっきらぼうに声をかけられた。
ぺこりと会釈して、診察室から出る。扉を閉じるとき、すすり泣くような声が聞こえた。
エルフにとっての二十年は短すぎる。赤ん坊がやっと言葉を覚えて、自分で歩き回れるようになる程度の時間でしかない。
私は三百歳のハーフエルフだ。エルフの寿命はだいたい千年だけど、私は人間の母親の血を引いているから、純血のエルフより身体が弱くて、八百歳まで生きられれば御の字と思っていた。
だから三百歳やそこらで死ぬかもだなんて、全く考えていなかった。
私は一人暮らしの一軒家に帰って、書斎に向かった。
検査結果の紙は引き出しに突っ込んで、代わりに便箋を取り出す。
あと二十年以内で、私はきっと死ぬ。
キーシャは「もって」とも言っていたから、もっと短いかもしれない。
それだったら、心残りは一つでも減らしておきたい。
私はペンをとって、手紙を書き始めた。宛先は、個人的な連絡先を教えてくれた教え子たちだ。その三人は私が最も手を焼いた生徒たちで、だからこそ私としても思い入れがあった。たった数年前、辞める直前の生徒たちだったからというのもあるんだろう。
最後に顔を見ておきたい。
私が魔法を教えた子どもたちが立派な魔女になっている姿を見て、安心したい。
その一心で手紙を書いて、郵便局へ行った。お金を払って手紙を送って、街へふらふらと出る。
いきつけの居酒屋でいつも通り浴びるように酒を飲んで、たらふくご飯を食べた。こういうのがよくないのかも?
だけど学校勤めのときに覚えたこの快楽は、私を離してくれない。
生徒たちのいたずらをかわいいと思えなかったときも、同僚たちからハーフエルフだということを理由にいじめられても、酒と葉巻と食事は私を裏切らなかった。
前後不覚になるほど酒に酔って、持ち歩いている葉巻を懐から取り出す。先端をナイフで切り落としたら、呪文を小さく唱えて着火する。
他の客たちも似たようなものだ。居酒屋には、酒と食べ物と煙のにおいが満ちていた。
ぷかぷかと煙を吐き出していると、思考がゆっくりとやわらいでいく。酒を加えてさらに自分を鈍らせて丸めて、塩漬け肉をしゃぶる。
私はこれでしか救われない生き物だ。
だけど今日はちょっと、いつもより回るのがはやい。頭が揺れて、机へ突っ込む。ごちんと衝撃が走ったけれど、構うものか。
伴侶なし、子なし、弟子なし。
寂しさが手に余ってしまって、魔女学校で先生なんてやってみたけれど、私の手元には何も残らなかった。
「くう……」
目元から涙があふれる。三百歳にもなって、何をやっているんだろう。でももう少しで死ぬから、そんなのはどうでもいいのかも。
胸が苦しくて、息ができなくて、涙だけが出てくる。
「うえ……ええ……あー……あーん……」
死ぬんだ、私。
何も残せないまま、誰の大切な存在にもなれないまま。
酒場は寛容だ。一人でしくしく泣いている成人女性がいても気にも留めない。
傍で誰かがひそひそ話しているのが聞こえた。男の人の声だ。
「おい、こいつめっちゃ美人じゃね? ……ほらお前、慰めてやれよ」
「おーい、おねーさん。どうかしたの? 彼氏にフラれた? 話聞こか?」
わらわらと男たちが集まってくる。私は彼らを見上げて、「らんなの」と呟いた。
「ころも、は……きちゃらめよ。ここ、おさけ、のむばしょ」
「俺たち二十超えてるんですけど」
「ころもよ……」
「何言ってるのか全然分かんないけど、おねーさん美人だね」
男の手が私の腕をつかむ。
呪文を唱えて吹っ飛ばそう。だけど呪文を唱えても魔法が走らない。いや、私の呂律が回っていないから、ちゃんと走らないんだ。
「うえ……ええ……あー」
涙が出る。私ってこんなに情けない生き物なんだ。
泣き続ける私に、男たちはだんだん勢いをなくしてきた。
「え、なにこいつ。めっちゃ泣いてんだけど」
あざ笑うような声色だった。私はなんとか立ち上がろうとするけれど、身体に力が入らない。
おわりだ……。
「ちょっとあんたたち、先生に触らないでくれる?」
聞き覚えのある勝気な声が聞こえる。次いで、綺麗な発音と正確な文法の、お手本みたいな麻痺の呪文。
男たちは悲鳴ひとつあげずに倒れこんだ。私にその腕が当たって、「ぐえ」とうめく。
「先生、こんなに酔っぱらっちゃってどうしたんですか? らしくないですね」
別の声だ。女にしては低い声で、こちらもよく聞き覚えがある。体温の低い手が私の腕をそっととった。落ち着いた声色で回復魔法を唱える。少しだけ気分が楽になった。
「いい、あたしが運ぶ。あんたらは引っ込んでな」
ぶっきらぼうなハスキーな声。これもやっぱり聞き覚えがある。
やっと視線をあげると、女たちが三人、私を取り囲んでいた。
「ギギ、あんたそのままお持ち帰りするつもりじゃないでしょうね?」
勝気な表情で豊かな金髪をかき上げているのはジュミ。不得意魔法なしの秀才。口は悪いけれど努力家で、たしか今は官僚をしているはず。
「あらジュミ。あなただって下心がないわけじゃないでしょうに。私が連れて帰って看病します」
落ち着いた声で冷静に話す、黒髪ショートカットはフーリー。回復魔法の天才。態度は傲慢だけど、困っている人は見過ごせない正義感の持ち主。今は医者をしていると聞いた。
「んなわけないだろ。あんたたちと違って、あたしには分別がある」
ベリーショートの茶髪はギギ。肉体強化魔法を使った肉弾戦で学校史上最高の成績をたたき出した鬼才。ぶっきらぼうで勘違いされやすいけど、優しい子。騎士団での出世頭だと噂されている。
「あなたたち……どうして」
彼女たちは顔を見合わせて、それから視線をさっとそらした。真っ先に口を開いたのはジュミだ。
「先生が言ったんじゃないですか。わ、私に会いたいって!」
「違うわよ。先生はあんたじゃなくて私に会いたかったのよ」
「おいお前ら、喧嘩するな。あと先生が会いたかったのはお前らじゃなくてあたしだ」
ぎゃんぎゃんと吠え合いながらも、彼女たちの動きは速い。フーリーは私にジャケットをかぶせて、ギギが私を持ち上げる。ジュミは会計に向かった。
「おかね……」
「いいです。私が持ちます。この中で最も経済的な余裕があるのは私ですから」
ジュミの高慢な発言に、フーリーが舌打ちする。ギギは「相変わらず嫌味な奴だ」とため息をついた。
「てがみ……もう、とどいたの……」
昼間に出したのに、当日の夜の間に届くなんて。驚いて言葉を失っていると、フーリーは私の肩に手を置いた。
「先生からのご連絡、ずっとお待ちしていました」
「あたしもこいつらも、先生あての手紙が来たら連絡寄越せって、郵便局へ通知してたんです」
ちょっとギギ! と、戻ってきたジュミが叫ぶ。フーリーが背中を叩いているのか、肉を叩くぺしぺしという音が聞こえる。だけどギギはびくともしない。
そうか。この子たちは、私からの連絡を待っていたのか……。
「えーん……」
またべそをかきはじめた私に、三人は「先生」といっせいに顔を覗き込んでくる。
「何かあったんですか? 結婚とか……じゃ、ないですよね」
ジュミが頼りなさげな声で言う。フーリーは私の手を握った。
「何か悩み事でもあるんですか? 私でよければ聞きます。明日、二人きりで会いませんか?」
ギギは私を抱き寄せて、そっと揺らした。
「困ったことがあれば言ってください。ぶっとばしてやりますから」
本当に、立派に育ったものだ。
私は涙をぬぐって、にっこりと微笑んだ。
「よかった……みなさんが立派になっていて、私、安心しました。心置きなく死ねるわ」
時が止まる。
ジュミの「え!?」という叫び声で、三人ともが我に返った。
「せ、先生。死ぬというのはどういうことなんですか?」
フーリーの声に、ええ、と私は頷いた。
「余命を宣告されてしまってね……だけど最後に、あなたたちと会えてよかった。立派になって……」
懐かしくて、また涙があふれてきた。
「ジュミ。あなたが私へ甘えてくれたこと、受け止めきれなくてごめんなさいね。でももう人へ無差別に麻痺魔法をかけてはだめよ」
ジュミの麻痺魔法を何度食らったことだろう。あれは親御さんからの期待が重荷になっていたジュミなりの救難信号だったと今なら分かるけれど、あの頃の私は無知だったから、ただただ叱りつけてばかりだった。
本当はもっと、優しくしてあげたかった。
「フーリー。お金になるからって、正規の手続きを踏まずに治癒魔法でお金をとってはダメよ。だけど先生は、あなたのやさしさに救われたわ……」
私はうっかりしているから、同僚からの嫌がらせで怪我をすることもあった。フーリーはそれを見かねたのか、私へ治癒魔法を使ってくれた。お金を要求されたけれど、それは貧しい孤児院出身である彼女なりの処世術だと知っている。
だけど本当だったら、ちゃんとお金について、彼女へ教えてあげなければいけなかった。
「ギギ。あなたの喧嘩癖には手を焼いたけれど、すっかり優しくなったわね。力の使い方を間違えないでね……」
ギギは自分の強さにおぼれている節があった。私以外の教師たちはギギを恐れていたから、自然と私がギギのストッパーに回ることになって、それはそれで大変だった。
だけど今のギギなら、きっと大丈夫だろう。私を抱き上げる手のやさしさがそれを証明している。
三人は絶句して、私の頭の上で顔を見合わせた。そして頷いて、フーリーが口を開く。
「ギギ。私の家に運んでちょうだい。あんたたちの部屋も用意してあげる」
「分かった。ジュミ、あたしの外泊延長しておいてくれる?」
「あんたそういう手続き苦手だもんね。いいわよ。その代わり、丁寧に運びなさいよ」
私はあれよあれよとフーリーの自宅へ連れ込まれた。診療所も兼ねているらしい、大きな建物だ。
ベッドへ寝かされて、布団をかけられる。途端に、私の意識はすっと闇の中へ溶けていった。
次に目を覚ましたとき、部屋はすっかり明るくなっていた。白っぽい光の色からして、きっと真昼だろう。
身体を起こすと、扉が開く。
「せんせい!」
三人が団子になって、私のもとへ駆け寄ってくる。
私が驚いて目を丸くすると、三人は勢いよく頭をさげた。
「先生、ごめんなさい……!」
真っ先にジュミが声をあげる。泣き出しそうに揺れる声で膝をついて、私を見上げた。
「わ、わたし……先生に甘えてました。さっき診断結果で、もしかしたら麻痺にかかりすぎて、臓器が悪くなってるかもって言われて……!」
「ジュミ、あくまで可能性でしかないから。あんたはいったん落ち着きなさい」
フーリーは落ち着き払った様子だけど、ジュミと同じく私の隣へ膝をつく。
「私も、申し訳ございませんでした。先生に構ってもらうのがうれしくて、……うれしくて、お金があったら、きっと私を見てくれるって……おもって……!」
だけどどんどん口調は乱れて、顔も歪む。泣き出した二人の横で、ギギも沈痛な面持ちで騎士の作法で膝をついた。
「私もお詫び申し上げます。自らの力におぼれ、尊敬するべきあなたの傷つけてしまったこと、反省してもしきれません」
どういう状況だろうか。
「べつに、謝ることでもないのよ……? 子どもは、大人へ迷惑をかけてもいいの」
「だけど……!」
ジュミはぼろぼろと涙を流しながら食って掛かった。この生意気なところが懐かしくて、うっかり微笑みが漏れる。フーリーはかえってひどく泣き出した。
「せんせぇ、死なないでください……」
「うーん……でも主治医は生活習慣が悪いって言っていたから、あなたたちのせいとも言えないんじゃないかな」
ギギがぼそりと呟く。
「でもあたしたちがいい子だったら、先生はここまで生活が乱れなかったんじゃないかって、昨日三人で話し合ったんです」
そんなことがあったのか。
驚いて目を丸くする私に、三人の視線が一斉に集中する。
フーリーは息を吐いて、私に向かって微笑みかけた。
「先生。私たちに、恩返しをさせてください。先生の身体は、私が治療します」
ジュミが言う。
「司法制度をフルで使って、先生の治療を助けます。フーリーには、学生時代とは違って、正規の治療を施させます」
ギギが言う。
「私は大したことできないけど、運動を教えることくらいはできます。先生、身体を動かしましょう。もっと筋肉をつけるべきです」
私は感動した。
あんなに問題児だったのに、こんなにまっとうに成長した彼女たちに、感動した。
「うっ……うっ……」
また泣き出した私に、「先生」「ごめんなさい」と三人がわっと抱き着く。
私は三人にもみくちゃにされながら、健康な生活を送ろうと誓った。
それから私はリハビリに励んで、食生活をはじめとした生活習慣を見直した。
フーリーの治療は高額だったけど、ジュミが口利きや調整をしてくれたおかげか、なんとか支払えた。
ギギは毎週、休日に私の家を訪れて、運動を教えてくれた。そこには忙しいはずのジュミやフーリーも同席してくれた。
「ちょっとギギ! あんた、先生に近すぎよ!」
「うるせえな。フォーム教えてるだけだから黙ってろ」
「今のはジュミに正当性がある。ギギは近すぎ! そんなに密着する必要ない!」
十代だった学生の頃と同じくらい騒ぐ彼女たちがほほえましくて、それだけで私は寿命が延びる思いだった。
実際に体調はよくなっているらしく、一年後に私の身体を診た主治医のキーシャは「お人よしでもいいことあるのね」と笑ってくれた。




