第8話「イタリア、トマトとバジルと午後のまどろみ」
午後3時。
昼食も過ぎ、仕事も終えていない。
東京の夏の午後は、まるで時間そのものが溶け出しているようだった。
エアコンの冷気に軽く肩をすぼめながら、坂田雄一はカップ麺の棚から、イタリア製・トマト&バジル風味パスタヌードルを選んだ。
「こういう日は、パスタじゃなくて、“麺としてのパスタ”が欲しくなる」
パッケージは深紅のトマトに、鮮やかなバジルの葉。
チーズのイラストが控えめに添えられているのが、なんともイタリア的な気配りだ。
お湯を注いで、待つこと4分。
その間、坂田はベッドに寝転び、ぼんやりと目を閉じた。
「ローマか、フィレンツェか……いや、あえて知らない町がいいな」
石畳の細い路地。
午後の強い日差しと、それを遮るレンガ造りの壁。
カフェの店先では、誰かが小声でワインの話をしている。
湯気とともに現実に戻る。
カップのフタを開けると、トマトの酸味が鼻腔をやさしく撫でた。
そして、ほんのりとバジルの青い香り。
チーズのコクが湯気の奥で溶けていて、まるで昼下がりのキッチンの空気のようだった。
「……これは、麺というより“情景”だな」
麺は細めの平打ち。
スープはトマトの旨味が濃く、それでいてしつこくない。
そこにバジルがふわっと浮かんで、まるで風が通り抜けるような清涼感。
坂田はその一口一口の間に、目を細めて風景を想像した。
午後の静かな町で、ひとりテラス席に座る自分。
コップには冷えた白ワイン、皿の上にはこのカップ麺――いや、カップすらない、これは料理だ。
「昼寝とトマトと風……。人生、これが正解かもしれんな」
食べ終わる頃、時計の針は少しだけ進んでいた。
だが、それが惜しいとは思わなかった。
これは“食べるための時間”ではなく、“時間のなかで食べる麺”だったから。
【日付】7月30日
【麺名】イタリア製・トマト&バジル風味パスタヌードル
【評価】★★★★☆
【感想】口の中に“午後”が広がった。バジルが風を連れてくる。カップ麺なのに、なぜか姿勢を正して食べたくなる一杯。
坂田は空になったカップを静かに台所に置いた。
窓から入る日差しが、すでに夕方の角度になっている。
「また一つ、行ってない国の午後を味わったな」
眠気に似た満足感を引きずりながら、彼はふたたびベッドに横になった。
――トマトの赤は、陽の色。バジルの香りは、風の名残。
世界三杯紀行、第8話、完。