第10話「韓国、赤い熱と母の味」
坂田雄一、36歳。今日のカップ麺は、噛みしめるような辛さ。
火のような赤いスープの向こうに、なぜか「誰かの手」が見えた。
土曜の昼下がり。
東京の空は曇っていた。湿気の重たい空気が部屋にまとわりつくようで、外に出る気は起きなかった。
坂田雄一は、本棚の隅に積んであった韓国製のカップ麺を手に取った。
「辛口・キムチスープラーメン(ハングル表記)」
真っ赤なパッケージに、白菜キムチと青唐辛子の写真が、見るからに「食べる前から痛い」と主張してくる。
「こういうやつに限って、あとから優しさが来るんだよ」
蓋を開けると、キムチ風味の粉末と、薄切りの乾燥白菜、ネギ、赤唐辛子。
湯を注ぎ、フタをして、坂田は台所の壁にもたれた。
湯気が立ち上がる頃、ふと頭の中に思い出がよぎった。
大学生の頃、韓国人のルームメイトがいた。
彼はいつも、インスタントラーメンにキムチを山ほど入れ、「これは母の味だ」と笑っていた。
「辛いっていうのは、痛みじゃなくて記憶なんだよ」
そう言って、涙をこらえながら彼はよく食べていた。
……当時は、あまり意味がわからなかった。
でも今なら、少しわかる気がした。
フタを開けると、濃厚で酸味のある香りと、一瞬でむせかえるような辛さが鼻を突く。
ひとくちすすると、唐辛子の刺激が舌の奥から喉にかけて一気に走る。
「うおっ、来たな……」
でも、不思議とつらくない。
むしろ、その火のような味が、心をじんわり温める。
辛さの奥に、発酵した野菜の甘みがあった。
塩気と酸味のバランスはよく練られていて、舌が鍛えられていくような心地よさがあった。
「これは確かに、誰かが繰り返し作った味だな……」
坂田は少し黙って、最後までスープを飲み干した。
汗が額にじっとりと浮かんでいる。
でも、それはただの辛さのせいじゃなかった。
【日付】7月31日
【麺名】韓国製・辛口キムチスープラーメン
【評価】★★★★★
【感想】赤いスープに込められた「誰かの手」。痛みの中に懐かしさがあった。辛さはただの刺激ではなく、祈りだった。
風が窓の外をすり抜けていく。
坂田は少し目を細めて、空を見た。
「またあいつ、韓国に帰ったのかな。……キムチ、今でも自分で漬けてんのかな」
世界を食べるということは、
たまに、自分の知らない“母の味”に触れるということだ。
――誰かが誰かに作った味が、時空を超えて胃に届く。
世界三杯紀行、第10話、完。




