第7話「記録にない存在」
軋む扉をくぐり抜けた瞬間、空気が変わった。
まるで時の流れそのものが止まったように、風も、音も、動きも消え失せた空間。
ここが、旧世界の図書塔――
失われた世界の記録を封じた、因果の中枢。
塔の内部は、外から見た以上に広く、そして異様だった。
空間の奥行きが歪み、天井は高すぎて見えない。
無数の書架が迷路のように連なり、その一つひとつに“時間の断片”が封じられている。
「ここ……どこまで続いてるんだ?」
「全部で七層。最下層に、因果の原典があるはず」
「最下層か……案の定、簡単には行かせてくれなさそうだな」
二人は足を進める。
図書塔の空間は、まるで意志を持っているかのように静かに鼓動し、
その奥から――再び、あの足音が聞こえてきた。
「……リノア。今度はお前にも聞こえるだろ?」
「……ええ。確かに“誰か”が、いる」
そのときだった。
視界の端に、一瞬だけ“人影”がよぎった。
アキトが即座に振り返るが、そこには誰もいない。
だが確かに感じた。“気配”が、ある。
「おかしい……ここは、観測記録に“誰もいない空間”として記されてたのに……」
「また“ノイズ”か?」
「ええ……でも、これは――もっと異質」
バチン、と封印具が微かに脈動した。
それは、敵意への反応だった。
「来る」
直後、書架の影から――それは現れた。
人の姿に似ている。だが明らかに、人ではなかった。
皮膚のように見えるものは、黒い液体が固まったような質感。
目はなかった。口もなかった。あるのは、空洞のような“穴”が一つ、顔の中央にぽっかりと開いていた。
「……なんだ、あれは……」
その存在を見た瞬間、アキトの頭に強烈な“拒絶反応”が走った。
記憶がざらつく。脳が情報を弾こうとする。
これは、“記録”されていない。**世界の構造に存在しない、異常存在**だ。
リノアが震える声で呟く。
「……まさか……観測者でも認識できないものが、本当に……」
その“穴”が、こちらに向いて開く。
次の瞬間、空間が歪んだ。
「くっ……!!」
アキトは即座にリノアを抱えて飛び退く。
着地と同時に、さっきまでいた場所が黒い裂け目に飲み込まれ、書架がねじれながら崩れた。
「接触するな、飲まれるぞ!」
「わかってる!」
叫ぶ間もなく、異形は滑るような動きで迫ってくる。
その動きは、まるでこの空間の法則すら無視するかのようだった。
「アキト、あれは物理攻撃じゃ止まらない! “記憶の封印”をもう一度!」
「そんなにポンポン使えるもんじゃねぇだろ!」
封印具が脈動を始める。
だがアキトの記憶は、もう過去の“鍵”を差し出した後だった。
――このままじゃ、次はない。
そう思った瞬間、リノアが叫んだ。
「私を使って!!」
「は!? 何言って――」
「私の中にも、“輪廻の断片”がある! アキトなら引き出せる!」
言い終わらぬうちに、リノアが自ら封印具に手を重ねた。
眩い光が弾け、世界が白に染まる。
次の瞬間――異形は、悲鳴のような“音”を発しながら、空間の狭間へと消えていった。
静寂が戻った。
「……大丈夫か、リノア!」
「うん……でも、今のは……」
ふたりは、確信する。
今の“それ”は、この世界のルールでは説明できない存在だった。
アキトが、低く呟く。
「やっぱり……この世界には、“記録されていない”奴がいる」
リノアが、そっと答えた。
「そしてきっと、そいつが……“この世界が滅びる本当の理由”」
アキトは、封印具を見つめた。
この塔の奥に、“因果の原典”があるなら――そこに、すべての答えがある。
だが同時に――その先には、さらなる“イレギュラー”が待ち構えていることを、彼は直感していた。




