ママのアップルパイ・3
亀更新にも程がある。
最低限の灯りだけを灯した自宅はしんと静まりかえってる。
きっとロザリーは私達を罵倒しながら眠りについたのだろう。もしくは寂しがって少し泣いたのだろうか。
答えがどうであれ、ロザリーの部屋のドアをノックする気はないのだが。
台所の灯りを付けて、なるべく音を立てないように仕込みにかかる。
明日、ロザリーに食べて貰う為のアップルパイ。
ロザリーはママのアップルパイを食べたことが無い。だから、これが母親代わりの私がしてあげる最後の仕事。
魔女様に見せて貰い、ママに教えて貰ったアップルパイを丁寧に作る。
まずはパイ生地作り。今から作ると生地を休ませる時間が必要だから明日の朝ギリギリかも。
小麦粉と強力粉を合わせて篩に掛け、細かく切ったバターを加えて擦り合わせるように混ぜる。
ポロポロになってきたら、少しお水を加えて滑らかになるまで混ぜる。よし、ここで生地を一休みだ。冷蔵庫に入れ、生地の一休み中にリンゴのフィリング作り。
リンゴは一口大に切り、バターとお砂糖で煮る。もう一つリンゴを用意して、すりおろして布巾にくるんで絞る。要するにリンゴジュース。水分が少なくなってきたらこのリンゴジュースと少しの水分とレモン汁を少し。
粗熱を取るためにバットに移す、冷めたら冷蔵庫に入れればOK。
休ませていた生地を冷蔵庫からだして、打ち粉をした台に置き麺棒で伸ばす。折り込む為のバターよりも一回り大きく。
伸ばした生地でバターを包んだら伸ばして三つ折り。90度向きを変えてまた伸ばして三つ折り。
これを繰り返したら、空気に触れないようにラップに包んで冷蔵庫で休ませる。
仕上げは明日。
もう寝よう。寝間着に着替えて倒れ込むようにベッドに寝転べば、あっという間に夢の中だ。
夢の中で、ママと一緒にアップルパイを作る夢を見た。魔女様に見せて貰った時とは違い、ママは泣いていた。
ドンドンッと強く部屋のドアを叩く音で目を覚ました。どうやら誰よりも寝汚いはずのロザリーが今日は一番に起き、文字通り私を叩き起こしていたみたいだ。
寝不足と疲れで頭痛がするし、体も重い。だが起きなければ部屋のドアが壊れてしまう。
「お姉ちゃん!遅い!ねえ、早く朝ご飯作って!エリックが迎えに来ちゃう!」
「……まだ7時よ。大体、エリックは時間にきっちりしてるから、早くも遅くも来ないわ。10時と言ったら10時に来るの」
「あたしの身支度の時間のこと考えてよぉ!」
「それこそこんなに早い時間にしてどうするの?……あぁ、二度寝出来るかと思ったけど目が冴えて来ちゃった。しょうが無いから、特別なモノを作ってあげる」
「えーっ、何々!?」
着替えの為にロザリーを部屋からたたき出した。ドアの向こうでロザリーがうるさい。
止まらない欠伸を何とかするために洗面所で顔を洗っている最中もロザリーは「何?何?」と纏わり付いてくる。
流石に台所で背中にぴったりとくっついてきたのは邪魔だった。
「ねえ、邪魔。これじゃ何も出来ないでしょ」
「えーっ、だってお姉ちゃんがあたしの為に特別なの作ってくれるって言うからぁ…」
「じゃあ、テーブルを台代わりに使うから、椅子をちょっとどかして。そしたらその椅子に座って待ってなさい」
「はーい!」
そんなに特別が嬉しいのだろうか……。
いつもは何を言っても私の言うことなど聞かないのに、喜んで椅子をどかし、言ってもいないテーブルまで拭き始めた。
複雑な気持ちのまま、冷蔵庫からパイ生地を出すとロザリーはうろちょろし始めたが、ジトッと見つめれば居心地悪げに椅子の上に戻った。
打ち粉をしたテーブルにパイ生地を置き、麺棒で伸ばしていく。土台のパイ皿用と上の編み込む用と分け、黙々と準備する。
パイ皿にのばした生地を敷きつめ、フォークで空気穴を作る。珍しいものを見る目でロザリーが椅子の上から一生懸命覗こうとしていたのが何だか可愛く見えた。
冷蔵庫からリンゴのフィリングを取り出してパイ皿に敷き詰めた生地にのせていく。
もう一つの生地を伸ばし、細長く切ったら、格子状に編み込んでアップルパイの上にのせ、縁をフォークでしっかりと留めるように押さえた。
ほんの少し残った生地が勿体なかったから、ナイフで葉っぱの形に切り、何枚か葉っぱを作ったらアップルパイの上にランダムに置いていく。
溶き卵をたっぷりと塗り、温めておいた窯の中に入れた。
作業台として使ったテーブルを綺麗にしつつも、アップルパイが上手く焼けるか不安で、窯から目を離せなかった。
ドキドキしながら窯から出したアップルパイは美味しそうな匂いと色で、ほっとした。
私の後ろから覗き込んだロザリーが手を出そうとしたので、ピシャリと叩いた。
「いったーい!そんなに強く叩かなくてもいいじゃない!」
「バカね、窯から出したてなのよ?火傷するに決まってるじゃない。それに摘まみ食いしても火傷よ。パイは冷めて味が落ち着いたくらいが美味しいの」
「いつ冷めそう?扇ごうか?」
「そんな事してる暇があるなら父さん起こしてきて。朝ご飯食べて、私もあんたもお風呂入んなきゃ粉まみれよ。そしたら食べ頃かもね」
「やったー!」
パタパタと広くない家の中を走り父を起こしに行くロザリーはあまりにも幼い。
日陰で風通しのいい場所にアップルパイを移し、朝食を作るために冷蔵庫から卵とベーコンを取り出した。
フライパンでベーコンエッグを窯でパンを焼いていると、ロザリーに背中を押されてげっそりとした父が起きてきた。
寝ていたいのに耳元でロザリーが騒いだのね、と容易に想像がついた。だって私も似たように起こされたわけだし。しかし父の顔色から察するに、朝食よりも珈琲が先のがよさそうね。
父の前には水と珈琲を、私とロザリーにはベーコンエッグとトーストとサラダにスープ。
父の顔色はほぼ土気色だし、ロザリーはチラチラとアップルパイのほうを見ながらトーストに齧り付いている。私は私でドレッシングをこぼしてしまった。
3人で朝ご飯を揃って食べるのなんて何時ぶりかしら……とちょっと嬉しく思ったのに、何とも様にならない。
ロザリーがそわそわしているのに気付いた父がアップルパイに気付き、目を細めた。
「そうか、あのアップルパイ…」
「最近ね。ああ、この味だ!って納得出来るのが作れたの」
嘘。本当は魔女様に教えて貰った。でもママのレシピに違いは無いから大丈夫。
「ごちそうさま!お姉ちゃん、あたし先にお風呂入ってきてもいい?」
「良いけど、お風呂掃除してから湯船にお湯張ってね。あんたが今まで楽して入っていたお風呂は私のおかげなの。最後の日くらい、親孝行と姉孝行してちょうだい」
文句をいいながらも今日はアップルパイがあるからか渋々言うことを聞くロザリーに何とも言えない虚しさを感じる。
食器を片しているとバタバタとお風呂から出てきたロザリーが
「残りはあたしがやるからお姉ちゃんもお風呂いって!」
等というので思わず彼女の額に手を当て熱が出たのかと疑った。父なんてやっと食べ始めたパンを床に落としてしまった。
そんな態度にロザリーは怒ったが、今までの態度を考えたら私達の行動は何もおかしくはないだろう。
風呂場に行くようにと背中を押してくるロザリーの力は意外と強い。一応、父に風邪薬の場所を言ってから私もお風呂に入ることとなった。もちろんロザリーに摘まみ食いをしないようにと釘を刺しておくことも忘れない。
お風呂からあがれば、アップルパイから目を逸らすこと無く足をバタバタさせながら座るロザリー。
アップルパイはもう少し置いた方が良いだろうと判断して、お茶の準備だけしておく。今日位は丁寧に淹れるとするか。
「アップルパイ、もうちょっとね」
「えぇ~っ!?エリックが来ちゃう…「悪いな、もう来ちまった」
ロザリーの騒がしい声を静かで落ち着く声が遮った。
「あら、ごめん。ロザリーにアップルパイを焼いたのだけど、時間あるならあんたも食べてく?」
「おばさんのアップルパイ?いつの間に作れるようになったんだよ。時間なら問題無いから食わせてくれ」
「じゃあ、ついでにカーミラ呼んできてよ」
「俺、一応招かれたんだよな?…まあいいけどよ」
よっこいせ、と年寄り臭く玄関を開けて出て行くエリックの後ろ姿を不満丸出しのロザリーが恨みがましく見ている。
「お姉ちゃん!あたしの為のアップルパイでしょ!?エリックはともかく、何でカーミラまで!?あの人、あたしの事嫌ってるのよ!」
「逆にこの村であんたを好いている人いないでしょ。お祝いなんだし良いじゃない」
「よーくーなーいー!!」
本当に子供……
エリックとカーミラの分のカップも出し、大きめのティーポッドを出して、エリックがカーミラを連れてくる時間を逆算しながらポッドとカップにお湯を入れて温めておく。
未だに騒いでいるロザリーを扱いつつ、食後すぐに工房の方へ行ってしまった父に声をかければ良いタイミングでエリック達がきた。
「ライラ、お招きありがとう!……ロザリーもおめでとう」
やってきたカーミラは私に抱きつき、パッと離れると明らかなテンションの差でロザリーに一応の挨拶をした。
ついでのように言われたロザリーの顔は怒りで真っ赤になっている。
カーミラを剥がして、ロザリーとは距離を取らせるとこに座らせる。保険として父の隣だ。
エリックはロザリーの隣だ。これでよし。
アップルパイに包丁を入れる瞬間、皆の視線が包丁と私の手元に集中し、震えそうになりながらも綺麗に8等分出来た自分を褒めたい。
小皿に分けている間にカーミラがお茶を淹れてくれた。お客として招いたのに手伝わせてしまって申し訳ない気持ちになった。
皆の元にアップルパイとお茶が並んだ。最初は流石にロザリーに食べて貰いたい。そこは皆してわかってくれていて、手をつけない。だからロザリーに
「あんたの為に作ったの。だから食べて?」
そう言うと子供の様に笑い、アップルパイにフォークをいれる。パリパリとパイ生地が良い音を立て、一口分をフォークに乗せ、ぱくりとロザリーの口に消えた。
どうしよう、焼いている時と同じくらい、いやそれよりももっとドキドキする。
もぐもぐと口を動かし、ゴクリと飲み込むと先程の笑顔よりも更に幼い笑みでロザリーは私を見た。
「美味しい!お姉ちゃん、今まで食べた中で一番美味しい!」
緊張していた体から力が抜けた。
アップルパイに夢中のロザリー以外は私と同じように緊張していたみたいで、ほっとしている。
苦笑いを浮かべつつ、皆でアップルパイを食べた。
「おお、母さんのアップルパイの味だ」
「~~っ!美味しい!ライラ、本当にありがとう」
「懐かしいな、おばさんのアップルパイだ。もう食べれないと思ってたから、余計に美味く感じる」
うんうん、そうよね。私もそう思う。しかし我ながら良い出来じゃない?パリパリサクサクの生地に甘酸っぱいリンゴのフィリング。フィリングはリンゴの味が強いがくどくないのでいくらでも食べれそう。
残りの分は包んでロザリーに持たせよう。
お茶会は成功のようでほっとした。
エリックはロザリーの荷物の多さを想定して態々、馬車できてくれていた。
特別感は殊更ロザリーの機嫌も気分も上がりっぱなしだ。
御者に荷物を運んでもらっている間、エリックに話しかけられた。
父さんからの説教を聞くまいと逃げ回ってるロザリーは正直言って5歳児と変わらない。
それを見たせいかエリックに申し訳ないという気持ちが強くなる。
「今日で母親卒業だな?」
「そうね。我が儘だしお馬鹿だけど、ロザリーの事よろしくね?」
本当、耳を塞いで舌を出して父に反抗してる子が結婚ねぇ…。
少なくとも嫁入り前の光景には見えないわ。
でもまあ、あんたってそういう子よね……。
「ロザリー、良い加減にしなさい。父さんももういいでしょ?」
ジロっと少し睨め付けるようにロザリーを見た後、大きな溜息を残して父さんは家に戻ってしまった。
そんな父さんにロザリーは不満を隠そうともしない。
普通は別れを惜しむ所だというのに……。
ぷりぷりと怒りながら私とエリックの所にやってきたロザリーの髪の乱れを手櫛で整えているとロザリーは照れくさそうに小さく笑う。
エリックが馬車のほうへ行った。二人にしてくれたのだろう、彼の気遣いに感謝する。
ああ、この子とももうお別れか……そう思うと今までの我が儘も許してしまえそうになってしまう。いや、やっぱり許せるわけがない。
矛盾した気持ちに何とも言えず、手が止まっていたのかロザリーが控えめに私の服を摘まんだ。
その幼子のような仕草に愛しさが溢れてきてロザリーをギュッと抱きしめた。
「ロザリー、これからはちゃんと一人でも出来るようになりなさい。もう私は助けてあげられないんだから」
頭を撫でて髪を梳き、どんどんと抱きしめる力は自然と強くなっていった。
「お姉ちゃん、痛い。それに子供扱いしないでってば…」
「約束して。頑張るって、苦手な事でも嫌いな事でも逃げないで頑張るって。お願いよ」
「…わかった。でも何?変なお姉ちゃん…。別に帰ってこないってわけじゃないのに」
「いいの、私が安心したいの。だから約束、お願い」
もう一度念押しするように言うと、ロザリーは小さく「うん」とそれだけ答えた。
その一言に安心し、抱きしめていた力を緩めて、ロザリーを解放した。
毛先をいじって拗ねるような表情をしているロザリーの頭をもう一度撫でて、こちらの様子を窺っているエリックの方へ行くように背を押した。
少し不安そうな顔をしながらも、エリックの手を取ったロザリーを見て肩の荷が下りたような気がした。
「お姉ちゃん、お父さん、行ってきます」
そう行って馬車に乗り、エリックが軽く頭を下げて乗り込み、手の掛かる娘……ではなく妹はお嫁に行った。
誤字脱字があったら申し訳ありません。