ヴァラール魔法学院の最初の事件!!
『誰もが魔法を使えるようになる時代なんて来ないッスよ』
『魔法を学ぶ為の学校を作る? そんなものに意味などありますの? 魔法は高等教育、一般家庭のお人は絶対に敬遠しますの』
『学校を作ったところで運営は誰がするのかね? 資金は? 理想を語るだけ語っておいて、実現不可能なことを宣うのはもはや妄想と言わざるを得ない訳だが』
『いい加減に現実を見るのじゃ、第一席。魔法の存在を世に知らしめようとしても、本当に誰もが「魔法を使ってみたい」と思うことなのかえ?』
『魔法の教育は難しく、なおかつ才能に依存します。生まれ持った魔力量が少なかった場合、たとえ魔法の知識があろうと魔法など使えません』
グローリア・イーストエンドが理想を語れば、誰もが否定をした。
目指す世界は魔法が世界中に普及し、誰もが当たり前に使える世界。そこに貧富の差はなく、才能の壁もなく、誰でも気兼ねなく魔法を学ぶことが出来る理想郷。
その為には魔法を学ぶ場所が必要だと、グローリアは『魔法学校の設立』を提案した。世界で唯一無二の魔法だけを教える学び舎だ。現在は名門魔法使い一族しか入学を許さない王立学院で簡単な魔法を教えるのみだが、グローリアが設立を目指す魔法学校はより専門的に魔法を学ぶことが出来る場所である。
ところが、
「全員断ってくるとは思わないじゃないかぁ!!」
グローリアは自分の屋敷の一室で絶叫する。
没落したが、イーストエンド家は名門魔法使い一族である。一応は立派な住まいを持っていた方がいいかと思ってレティシア王国の外れにある手頃な洋館を購入したが、別に居心地はそこまでよくはない。何せ家の中には誰もいないのだ。
使用人はおろか、同居人や家族の誰1人として住んでいない。自宅である洋館に住んでいるのはグローリアだけだ。だからどれほど暴れようと誰にも気づかれることはないし、咎められることさえない。
頭を抱えたグローリアは、
「何でそんなに否定的なのさ、頭の固い連中だなぁ!! 何の為の七魔法王だよ!!」
グローリアが魔法学校の設立を持ちかけたのは、世界的に有名で神様の如く崇められる七魔法王の仲間たちである。彼らならグローリアの考えにも賛同してくれるだろうと理想を話してみたのだ。
結果は惨敗である。それどころか「魔法学校なんて無理」「魔法の普及なんて不可能」と言い出す始末だ。偉大なる魔女・魔法使いなんて嘘っぱちである、ただの頭でっかちの臆病者どもではないか。
髪を掻き毟っていたグローリアは、ふと窓の外に目をやる。夜が迫る中、ちらちらと綿雪が降っているのが確認できた。
「あとはユフィーリアだけか……」
ユフィーリア・エイクトベル――七魔法王が第七席【世界終焉】の称号を冠する魔女。類稀な魔法の才能は七魔法王でも随一と呼ばれるほどで、没落してしまったが最盛期では誰も敵うことのない戦闘最強の魔法使い一族『エイクトベル家』の生き残りだ。
気分屋で自由奔放な性格をしているものの、彼女は非常に聡明だ。物事を冷静に判断することも可能であるし、グローリアも魔法の実験の際には何度も世話になった。
聡明だからこそ、彼女はグローリアの理想を鼻で笑うだろうか。そうなったら味方は誰もいない状況である。
「気が重いなぁ……」
ユフィーリアに理想を嘲笑された時のことを考えて、グローリアは重いため息を吐くのだった。
☆
話があると通信魔法を飛ばすと、彼女は軽い調子で「おういいぞ、いつでも来いよ」と言ってくれた。
「ここに来るのも久しぶりだなあ……」
グローリアが訪れたのは、北側にある名前のない国である。
かつてはとある女神を信仰していた国だったが、事件が起きた影響で国は一夜にして滅んだのだ。国民も旅行者も何もかもが国から消え去り、見事な廃墟と化している。
建物は風化していない状態で残されているから、より一層不気味さが際立つ。まるで昨日までこの国に人が存在していたかのような錯覚に陥るのだが、残念ながらこの名前のない国が滅んでだいぶ時間が経過している。
雪がまだ残る石畳を歩くグローリアは、
「ん?」
ふわふわと、目の前を雪がちらつく。それまでは晴れていたのに。
空を見上げると、その建物の上空にだけ分厚い雲が覆い隠していた。ふわふわと雲から舞い落ちる綿雪は石畳や生垣などに積もり、敷地内を白く染め上げる。
その部分だけ雪という悪天候に見舞われていた。雪が降っている範囲は見上げるほど巨大な洋館の周辺だけで、国全体には及んでいない。そもそも天候を自由自在に変えることは自然摂理を変えてしまうということで固く禁じられているのだが、建物の敷地内程度であれば問題ないという例外も掲げられている。
その例外の部分を上手く利用して雪を降らせているのだ。一体何がしたいのか。
「ユフィーリア、何をしてるんだろう」
グローリアは首を傾げる。
洋館の近くにある生垣には、埋もれるようにして『王立図書館』の看板があった。雪が積もった影響で手で払わなければ読めないし、金属製の看板に素手で触れると非常に冷たい。
目的の人物であるユフィーリア・エイクトベルは、この王立図書館に住んでいた。近頃は獣人の子供を手下に加えて色々と教え込んでいるようだが、グローリアが最後に見た時は非常に幼い子供だった。あれから成長しているだろうか。
扉に取り付けられたノッカーを手にしたグローリアは、
――コンコンッ。
ノッカーで扉を叩くのだが、扉が開く気配はない。
気分屋で自由奔放な彼女のことだ。どうせ気まぐれにどこかの国へ出かけたに違いない。「いつでも来ていい」とは言っていたが、日時までは指定していないからいなくなっても仕方がない。
出直すかとグローリアが踵を返せば、洋館の向こう側から何やら騒がしい声が聞こえてきた。確か、その向こう側は庭になっていたような気がする。生垣に沿って歩けば庭の部分に辿り着けるはずだ。
積もった雪に足を取られないように、グローリアは生垣に沿って図書館の庭を目指す。5分と置かずに目的の庭に到着したのだが、
「…………」
グローリアは黙り込んでしまった。
泥棒が侵入しようとしていたとか、そう言った心配ではない。我が目を疑うような光景が目の前に広がっていたからである。
その光景というのが、
「これジャムかけたら美味くねえか?」
「無限に食べれるじゃんねぇ、こんなのぉ」
「苺もっと買っておけばよかったな」
「今度はシロップかけてみようよぉ」
「お、いいな」
銀髪碧眼の美女と、野獣を想起させる筋骨隆々の男が器に雪を盛ってかっ喰らっていたのだ。まるでおやつのように苺のジャムを器に盛り付けた雪山にぶっかけ、むしゃむしゃと冷たい雪を頬張っている。
雪で遊ぶ訳ではなく、雪を食っていたのだ。もちろん雪なんて綺麗なものではないので食べるべきではないのだが、そのあまりにも現実離れした光景にグローリアは眩暈を覚えた。
グローリアは頭を抱え、
「何をしてるの、ユフィーリア」
「お、グローリアじゃねえか。久しぶりだな」
銀髪碧眼の魔女――ユフィーリア・エイクトベルは、スプーンを咥えて片手を上げる。
「いや実は雪って食えるんじゃねえのって気づいてよ」
「汚いから止めなよ」
「腹を壊すのはアタシだけなんだから別にいいだろ」
しゃくしゃく、と氷菓のようにジャムがけの雪を食らうユフィーリアは、
「で? 話ってのは何だよ」
「…………」
雪を食らう馬鹿野郎に自分の理想を馬鹿にされるのは嫌だな、と思ったグローリアは素直に出直したくなった。でもまあ、ここまで来たら話してしまった方が楽になれそうだが。
☆
ユフィーリアが「外で話すと寒い」と言うので、自宅の代わりになっている王立図書館内に招かれた。
相変わらずたくさんの本が隙間なく本棚に詰め込まれているが、床に積み上げられた魔導書や小説、図鑑、料理の指南書などが目を引く。おそらくどこかの国の本屋で購入したものをそのまま置いているだけだろう。
読書スペース周りは綺麗に掃除が行き届いており、生活する分には気にならない程度ではある。食べこぼしや埃がないだけでマシだ。さすがにユフィーリアと同居している男の方が掃除をしているのだろうが。
「結構綺麗にしてるんだね」
「エドが掃除にこだわるんだよなぁ」
ユフィーリアが雪の結晶が刻まれた煙管を吹かしながら言うと、その後頭部を軽く肘で小突かれていた。
小突いた相手は、先程まで雪を氷菓の如く口に詰め込んでいた巨漢である。迷彩柄の野戦服の下からでも分かる彫像のような肉体美は男の憧れの象徴とも言え、胸元だけは窮屈なのか大胆に開放している。首から下げているのは犬が躾の際に用いられる鉄製の口輪だ。
短く切り揃えられた灰色の髪、そして鋭い銀灰色の双眸で、ユフィーリアが昔に匿った子供だと思い出す。あれから長いこと会っていなかったが、ここまで成長するとは思わなかった。
その巨漢は人数分のカップを運んできて、1つをグローリアの前に置く。中身は温かいハチミツミルクのようで、ふわりと甘い蜂蜜の香りが鼻孔をくすぐった。
「掃除しろってうるさいのはユーリじゃんねぇ」
「えー、いつ言ったぁ?」
「昨日とかも言ったよぉ」
巨漢は「全くさぁ」と呆れた様子で、入れたばかりのハチミツミルクを啜る。
「君は、エドワード・ヴォルスラム君だね。大きくなったなぁ」
「どうもねぇ」
筋骨隆々の巨漢――エドワード・ヴォルスラムは、ひらひらと手を振って笑う。記憶にある時はグローリアのことを警戒して人前に出てくることはなくなったが、ユフィーリアと過ごすに連れて彼も随分と成長したようである。文字通り、身も心も。
「で、いきなり何の用だよ。わざわざこんな辺鄙な場所に来るなんて」
「ああ、うん」
ユフィーリアに話の内容を促され、グローリアはエドワードが入れてくれたハチミツミルクでまずは喉を潤す。温かなミルクが胃の腑へと落ちていくのが心地よい。
「実はさ、学校を作りたいんだ。魔女や魔法使いを育成する為の」
「学校」
「うん」
グローリアは、自分の理想を口にした。「魔法が世界中に浸透し、誰もが魔法を自由に学べて、魔法を使うことに才能などを必要としない世界が必要だ」と言葉を選びながら伝えた。
その間、ユフィーリアとエドワードはただ黙って耳を傾けていた。茶化す様子など見られない。彼らの表情は至って真剣なものだった。
最後までグローリアの話を聞いたユフィーリアは、
「いいんじゃね?」
やや冷めたハチミツミルクを舐める銀髪の魔女は、そんなことを言う。
「現実は厳しいかもしれねえよ。本当だったら『お前は何を言ってんだ』って諭した方がいいのかもな」
「…………」
「でもよ」
ユフィーリアはグローリアを真っ直ぐに見据え、
「現実だけを見て『やらない』と立ち止まるより、どれだけ理想が高くても『世界を変えよう』という意思の方が面白いだろ」
見慣れた大胆不敵な笑みを浮かべ、ユフィーリアは言う。
「作ってみようぜ、魔法学校。世間がお前の夢を否定するなら、アタシはお前の夢を肯定してやる」
ああ、その一言にどれほど救われただろうか。
ユフィーリアはグローリアの理想を馬鹿にしなかった。「不可能だ」という現実を突きつける訳ではなく、ちゃんと考えた上で「やってみるか」と結論を出したのだ。
彼女は決して無謀な夢を抱くような性格ではない。冷静に物事を判断する聡明さも有しているし、豊富な魔法の知識量も備えている。本当であれば彼女は「いや、無理だろ」と匙を投げる判断をすればいいのに、グローリアの理想を肯定してくれた。
その力強い言葉に、グローリアの涙腺が決壊する。紫色の瞳からボロボロと涙がこぼれ落ちる様に、ユフィーリアとエドワードは明らかに慌てていた。
「お、おいどうした、やっぱり否定した方がよかったか?」
「え、否定される為にわざわざこんなところまで来たのぉ? 虐められるのが好きだなんて救えないよぉ?」
「お前だって似たようなものだろ、鞭打ちで喜びやがって」
「うるさいよぉ、メイド服のおねーちゃんに興奮してるお前さんに言われたくないねぇ」
ユフィーリアとエドワードは喧嘩腰で「やんのかゴラ」「やってみろよゴラ」と睨み合う。本当によく考えた結果であのようなことを言ったのか不明だが、グローリアは彼女の言葉を信じたかった。
「ありがとう、ユフィーリア」
涙を指先で拭うグローリアは、
「君が味方になってくれるなら心強いな」
「そうだろ。だってアタシは世界で最も優しくて頭のいい魔女だからな」
ふふんと豊満な胸を張ったユフィーリアは「で」と身を乗り出す。
「どこに学校を作るんだよ。景色が綺麗で広いところがいいよな」
「え、それはその、まだ決めてないけど」
「決めてねえ!? 学校を建てるなら立地がいいところにしねえと生徒なんか来ねえだろ。まず立地条件がいいところがな……」
ぶつぶつと何かを呟いていたユフィーリアは、不意に「あ」と何かを思い出したように言う。それからエドワードに振り返ると、
「なあエド、確かイストラの近くに広い場所あったよな。何たら公園っての」
「ギャナビア国跡平和記念公園だっけぇ?」
グローリアもその公園名には記憶がある。
ギャナビア軍帝国と呼ばれる国がかつて存在し、様々な国家に喧嘩を売っていたのだ。近場にあるイストラにも被害は及び、男性は虐殺されるし女子供は誘拐されて奴隷商人に売り飛ばされるし周辺各国の被害は散々だったのだ。
そこでレティシア王国を始めとする連合軍が結成され、ギャナビア軍帝国と戦争を開始。結果的にギャナビア軍帝国は解体となり、国民や財産はレティシア王国が被害地域に分配して戦争は終息した。その悪しき時代を忘れないようにする為、ギャナビア軍帝国の跡地は平和記念公園が作られたのだ。
「でも、あの平和記念公園に誰が行くって言うんだよ。山を越えなきゃいけねえのに」
「確かにぃ」
「アタシも行ったけどさぁ、あんなところに何もねえよ。なーにが『悪しき時代を忘れないようにしましょう』だよ。誰も行けねえところに公園なんて作っても意味あるか?」
ユフィーリアは「つー訳で」と言い、
「記念公園を潰して学校を建てよう。その方が有意義」
「何てことを計画してるんだ、君は」
学校を作りたいという理想を語った側であるグローリアは、まさかの発案に眉根を寄せる。
「それはさすがに止めた方が」
「善は急げって奴だよな。早速行くぞ」
「何が『善は急げ』なのちょっと待ってねえってば!?」
ユフィーリアに腕を掴まれたグローリアは、そのまま転移魔法で寒い外の世界に放り出されるのだった。
☆
ギャナビア国跡平和記念公園は、伽藍とした広場である。
周囲を霊峰に囲まれ、近くには綺麗な湖まである自然豊かな場所だ。さらには地面から膨大な魔力の気配を感知できたので、おそらく地盤に魔素が大量に含まれた珍しい土地なのだろう。
広場の中央には焼け爛れた城のような巨大な建築物が聳え立っていた。真っ黒に焦げた壁は崩落し、はためいていただろう国旗は燃やされて、嵌め込まれた硝子絵図は見事に粉々に粉砕されている。軍帝国なので肯定陛下が使っていた絢爛豪華な城だったのだろう。
転移魔法によって無人のギャナビア国跡平和記念公園に放り出されたグローリアは、
「本当にやるつもりなの?」
「もちろん」
グローリアを転移魔法でギャナビア国跡平和記念公園に連れてきたユフィーリアは、笑顔で言う。
このギャナビア国跡平和記念公園は、多くの人々がギャナビア軍帝国から平和を取り戻した記念として作られたものである。それを勝手に潰して新たな建物を作るような真似は、世間体を鑑みてもよろしくない。
それなのに、勝手に潰してグローリアが理想とする魔法学校を建てても生徒や教職員なんて到底集まらない。むしろ「平和記念公園を勝手に潰して学校を建てた」とかいう悪評がついて回る。世界を変えるどころの騒ぎではなくなってしまうのだ。
ユフィーリアの肩を掴んで引き止めるグローリアは、
「ダメだってば。もっと別の方法を考えよう」
「おいおい、グローリア。これが最善の選択だぜ?」
肩を掴んでくるグローリアの手を振り払い、ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管を一振りする。
発動された魔法は転送魔法だ。彼女の手には真新しい新聞の束が握られている。
最も目立つ場所に掲載されていた記事は『ギャナビア国跡平和記念公園を巡って各国が議論を展開!?』とある。どうやらユフィーリアだけではなく、世界各国がこの平和記念公園を巡って激しく言い争いをしているらしい。
大胆不敵な笑みを絶やさないユフィーリアは「な?」と言い、
「先の戦争でギャナビア軍帝国の解体を先導したレティシア王国がこの平和記念公園の土地を掠め取ろうとしたんだけど、レティシア王国に加担した各国が『自分にも分け前を寄越せ』って騒いでんだよ。ここには上質な魔素が溜まりやすいからな」
「それでか……」
ユフィーリアから説明を受けたグローリアは、ようやく彼女がこの平和記念公園を狙っている理由が腑に落ちた。
この土地には大量の魔素が含まれており、しかも周囲は大自然に囲まれているものだから上質な魔素が自然と湧き出てくる。世界各国はこの良質な魔素を含んだ土地を狙っていたのだ。そうすれば国益にも繋がるし、いくらでも儲け放題である。
同盟国側が互いに分け前を譲らず、とりあえず平和記念公園という意味合いで宙ぶらりんにしておいて、どこの国が取るかの議論が交わされているのだ。いずれこの場所はどこぞの国の傘下に下ることとなるだろう。
「魔法を学ばせるのに最適なこの場所で、どこぞの魔法使い一族が占領すればそれこそまた戦争の火種になりかねない。でもお前は何だ? 七魔法王の第一席【世界創生】だろう。神の如く崇め奉られる存在なら、横から掠め取ったって文句は言われねえよな」
「多少の批判を浴びることにはなるだろうけど」
「何言ってんだ、上等じゃねえか。お前が作った世界に間借りさせてもらってるだけの人間どもが、お前に勝てるもんなら見てみたいもんだな」
飄々と笑うユフィーリアは、グローリアの胸板を叩いてくる。
「覚悟を決めろ、グローリア。世界を変えたいってんなら、まずは図太く生きることから始めるんだな」
そう言って、ユフィーリアはツイと雪の結晶が刻まれた煙管を一振りする。
ギャナビア国跡平和記念公園の象徴とも言える焼け焦げた城が、瞬く間に綺麗な姿を取り戻す。崩落した壁は穴1つなく修復され、嵌め込まれていた硝子絵図は元通りになり、キンと冷たい空に旗がたなびく。
ただ、これでは当時のギャナビア軍帝国が使っていた城のままである。この城を見る人物がいれば当時の戦争を思い出してしまう人がいるかもしれない。せめて見た目だけでも変えることが出来ればよかったのだが、今ある建物を別の建物に再構築する魔法は非常に難しいものだ。
城を直した張本人であるユフィーリアは「あれ?」と首を傾げる。
「何か学校っぽく直そうと思ったのに」
「ただ時間を巻き戻しただけじゃんねぇ。何がしたいのぉ」
「もう1回、もう1回やれば再構築できるから。多分」
「自信ないなら止めた方がいいってぇ」
エドワードの制止を振り切って、ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管を振り上げる。
その彼女の手を掴んだのはグローリアだ。振り下ろす一歩手前、魔法発動の寸前でグローリアはユフィーリアの行動を止めさせる。
怪訝な表情を見せる銀髪の魔女に、グローリアは首を横に振る。この期に及んでまだ平和記念公園を維持しようだなんて思わない。彼女は「図太く生きろ」と言ったのだ。こんなにも身近にお手本がいるのだから、真似をさせてもらおうではないか。
グローリアは右手を掲げる。その手に現れたのは、背表紙まで真っ白な題名のない魔導書である。本の頁を開いても白紙が続いているだけだ。
「君はどちらかと言うと、属性魔法の方が得意だよね。確かにエドワード君の言う通り、無理はしない方がいいんじゃないのかなぁ」
グローリアは魔導書の白紙の頁に手をかざす。
紫色に輝く魔法陣が広がっていき、ユフィーリアが直したばかりの城に覆い被さる。見上げるほど巨大な城はさらに拡大され、壁の色や屋根の材質なども変更し、元々はなかった建物も新たに生み出していく。
数々の王立学院を巡って『学校』という設備を学び、その理想を魔法によって形作っていく。気分は最初に世界を整えた時のように、どのような未来が待っているのかと期待と好奇心に満ち溢れている。
やがて城は、大胆に改築されていた。鉄製の校門に高い鉄柵、緩やかな階段の向こうには生徒を受け入れる為の巨大な両開き式の扉がある。城と言うにはあまりにも規模が大きく、要塞と表現するにはどこか荘厳な雰囲気が漂う。
そこはまるで1つの国家だった。国境を示すように柵を巡らせ、関所の代わりに校門を設置。この先に待ち受けるのは、誰もが魔法を学ぶことが出来る自由な世界だ。
魔導書を閉じたグローリアは、ちょっと得意げに言う。
「僕は見ての通り、世界を作った【世界創生】だからね。空間を再構築・改造はお手のものだよ」
グローリアが得意としている魔法は、時間や空間を操る魔法である。いわゆる『時空操作系』と呼ばれる魔法の類は、世界中を探してもグローリアぐらいしか使い手はいないのではないだろうか。
壊れたものや建物を修復する『修繕魔法』や衣嚢などの空間を拡張する『空間拡張魔法』、先程使った魔法は特定の範囲にある任意のものを再構築して別の物体を作る『再構築魔法』だ。これが、グローリアが【世界創生】と呼ばれる所以である。
ユフィーリアは下手くそな口笛を吹き、
「相変わらず凄え魔法だよな」
「興味があるなら教えてもいいけど」
「お、本当か? この歳になって他人に魔法を教えてもらうなんてことはあんまりねえからなァ」
「その代わりに僕にも属性魔法を教えてよ。属性魔法はあんまり上手く出来ないんだよね」
「おいおい、魔法の中でも花形な属性魔法があんまり上手く出来ねえって致命的だぞ」
そんなやり取りを交わしていると、唐突に背後で「あれぇ?」と声が聞こえてきた。
振り返ると、少し離れた位置にいるエドワードが校門の上に掲げられている看板を見上げていた。銀灰色の瞳を瞬かせ、不思議そうに首を捻る。
エドワードの視線を追いかけると、看板には何の文字も書かれていなかった。空白の状態である。本来であればそこには学校名が掲げられているはずなのだが、まだ名前をつけていないから空欄のままなのだ。
「学校なのに名前がないよぉ」
「作ったばかりだからな」
ユフィーリアはグローリアに視線をやり、
「で? 学校名は決まってんのか?」
「もちろん」
グローリアは自信たっぷりに頷く。
学校の名前として相応しいのは、最初に人類へ魔法の存在を示した神様の名前がいい。自由奔放で気まぐれで、それでも知識はどの神様よりも豊富だった叡智神だ。
ああ、思えばどこかの誰かとそっくりである。気まぐれで自由奔放、それでも聡明で冷静沈着な彼女らしい。
叡智神ヴァラリアの名前にあやかり、世界唯一の魔法学校の名前はこう決めた。
「ヴァラール魔法学院さ」
☆
「――んがッ」
ガクンという頭が落ちる感覚で、グローリアは飛び起きた。
どうやらあまりにも眠すぎてうたた寝をしてしまっていたらしい。学院長室に置かれた立派な机には、書きかけの研究論文が広げられていた。後半の文字がまるでミミズがのたうち回っているかのような意味不明なものになっている。
口の端から垂れた涎を手の甲で拭い、グローリアは背筋を反らす。ゴキゴキと背骨が盛大に音を立てた。長いこと椅子に座っていたから凝り固まってしまったようだ。
「懐かしい夢を見たな……」
それは、ヴァラール魔法学院が出来た時の夢だ。
あのあと、世界各国からグローリア宛に「何してくれてんだゴルァ」という内容の手紙が何通も届いたが、グローリアはそれに対して「奪えるものなら奪ってみろ」と言ってのけただけである。七魔法王が第一席【世界創生】のグローリアに敵うような魔法使いや魔女はおらず、自然と意見を叫ぶ国は消えていった。
他の七魔法王もユフィーリアと一緒に説得をし、資金調達に奔走し、色々と苦労したことはあるけれど無事に魔法学校を開くことが出来たのだ。あの時が1番ユフィーリアがまともに働いていた頃かもしれない。
欠伸をしたグローリアは、
「…………」
「「「「「…………」」」」」
目の前に、猫耳メイド服の格好をした問題児がいた。
その手には猫の形をしたホールケーキが握られており、突き出された舌には『誕生日おめでとう』の文章がある。そういえば、今日はグローリアの誕生日だったか。毎年律儀にお祝いをしてくれるとは嬉しい限りである。
ただ、問題児の猫耳メイド服姿は洒落にならない。寝起きに見るような光景ではないのは確かだ。
その中で銀髪碧眼の猫耳メイドさんは、綺麗な笑顔で可愛くぶりっ子して見せる。
「ご奉仕するにゃん♪」
「にゃーん♪」
「にゃん!!」
「にゃン♪」
「拒否は許しませんにゃん♪」
可愛く言っていたとしても、そのグロテスクな見た目は誤魔化せない。
「どこの悪夢!?」
「今日って猫の日の語呂合わせだからさ」
ユフィーリアは握っていたホールケーキを構え、
「はっぴーばーすでー!!」
「ぶッ」
グローリアの顔面に、猫の形をしたケーキを叩きつけてくる。
ホールケーキの割にはクリームだけで構成されており、さらに甘くない。肌にもベタベタと付着しない。おそらくケーキの見た目に整えただけの食べられないケーキだろう。
顔面をクリーム塗れにしたグローリアは、無表情で問題児を見据える。「成功だ」「やったねぇ」などと喜ぶ問題児は、底冷えのするグローリアの視線を受けて踵を返す。
「じゃ」
「そういうことでぇ」
「じゃあね学院長!!」
「食べられる誕生日ケーキは机の上に置いておくワ♪」
「腐らせる前にちゃんと食べてくださいね」
「待て問題児!!」
グローリアは手の甲で顔面に付着したクリームを拭い、お決まりの台詞を叫ぶ。
「ユフィーリア、君って魔女は!!」
――悪戯の標的にされたとしても、グローリアは問題児を用務員として雇ったことを後悔したことはない。
《登場人物》
【グローリア】高等教育と呼ばれた魔法を世界中に浸透させ、名門魔法一族に限らず一般家庭にまで普及させた魔法使い。得意な魔法は時間や空間を操る魔法。図太く生きると決めてから、文句を言ってくる国や人物を相手にも笑顔で嫌味を言えるぐらいには強くなった。
【ユフィーリア】高い魔法の腕前と豊富な魔法の知識、冷静沈着な判断力を持ち合わせるにも関わらず常日頃から馬鹿ばかりしている阿呆……ではなく魔法の天才。得意な魔法は属性魔法。魔法を使いながら素手でも殴れるマルチタスクが得意。
【エドワード】ユフィーリアに保護された獣人。すっかり成長期が訪れて、筋肉ムキムキで身長も高くなった。顔が強面の為、子供に泣かれるのが悲しいので口調を変え始めた頃合い。しかし怒ると口調が戻る。