江戸の町奉行のあれこれを語ろう
江戸時代の町奉行に関する内容です。
筆者はそこまで歴史に詳しくはありませんので、間違いがありましたら、ご指摘下さい。
奉行という役職自体は鎌倉くらいからある訳だけれど、そもそもは上役の命令を「奉って行う」、ようは統治機構においての調整と統括を行う上位の管理職だったんですね。
江戸では町奉行、寺社奉行、勘定奉行の三奉行とその下に下三奉行と別れて、今で言うところの省庁の役目だったわけです。
まあ、私自身がそこまで歴史に詳しくないので下三奉行や寺社奉行、勘定奉行についてお話できる知識は無いので、町奉行に絞ってお話していこうと思います。
さて、町奉行と言うと、「遠山の金さん」「大岡越前」などの時代劇でもお馴染みですよね。あとは「暴れん坊将軍」「銭形平次」他にも時代劇では良く出てくると思います。
町奉行における「お奉行様」はどんなお仕事だったんでしょうか。
町奉行は警察組織として、与力や同心の役を与えられた武士を束ねる「警察署」であり、江戸で良くあった押し込み強盗をして、証拠隠しに火付けをする盗賊を取り締まる火付盗賊改方のトップで、火消しの取り纏め役でもあったので「消防署」も兼ねており、お白州で罪人や訴えに裁きを申し渡す「裁判所」でもありました。
つまり、町奉行のお奉行様とは「警察署長兼消防署長兼裁判官」だったんですね。
これだけの仕事を兼任しますから、相応に激務だったそうで、ストレスからか、役自体の平均の任期も短かったようですし、過労のためか奉行経験者は短命な方も多かったようですよ。
さて、お奉行様と言えば「市中引き回しの上、打ち首獄門」なんてセリフが良くありますが、あれは完全なフィクションです。
お白州において、比較的軽微な罰についてはお奉行様の裁量で決めることが出来ましたが、「島流し、打ち首、引き回し、獄門、江戸所払い」といったような、重大犯罪に対する厳罰については有罪か無罪かを決めるまでがお奉行様の権限で量刑については「江戸のご家老様」の判断を仰ぐ必要があったそうです。
さて、町奉行と言うと与力、同心の下に「岡っ引き」がいますね。「銭形平次」でお馴染み岡っ引きですが、彼らは武士ではありません。
与力や同心だけでは人手不足ですから、同心たちは捜査協力者を自ら雇っていて、そうして働いていた協力者が岡っ引きです。
因みに岡っ引きは蔑称であり、正式な呼称ではありません。時代劇なんかで、侍の格好をした同心の側で下手人に縄をうって引っ張っていく岡っ引きの図がありますが、役人の側「岡」で縄を引く「引き」ので「岡っ引き」と呼ばれたようですね。
正式には江戸では「御用聞き」関八州では「目明かし」上方では「手先」と呼んでいたそうで、また岡っ引きは「手下」と呼ばれた子分を引き連れていた事から「親分」とも呼んだようですよ。
さて、この「岡っ引き」だいたいは同心がスカウトした元犯罪者だったりします。裏のことは裏の人間が良く知っているって事ですね。
移民によって膨れ上がった過密な人口を誇った江戸ではこうした捜査協力者の働きが非常に重要だったんだと思います。
今だと、空き巣対策に元窃盗犯にアドバイスを貰ったり、サイバー犯罪にハッキングが得意なブラックハッカーを雇うようなものですかね。
今年、最高裁判所の倉庫から江戸時代の裁判記録「御仕置廉書」が発見されて、近く国立公文書館へと移送されるそうで、江戸時代のこうした記録は大火や大戦などで焼失、紛失したものが多いようですが、反面で保管のルールが特に無かったことで各地の裁判所などで、どういった経緯で保管されていたか謎の明治や大正期の公判記録などが出てくることもあるそうで、今回見つかった資料は何と150年にもわたる詳細な資料とのこと、凄いですね。読んでみたい(笑)
重犯罪者への量刑を決めた老中の名前が記されていたり、過去の判例を参考としたのか、至るところに付箋のようなものが貼られていたりするそうで、また「無搆」と呼んだようですが、無罪放免となった例だけを集めた箇所もあるそうで、情状酌量や、虚偽の訴えなどをしっかり審査していた証拠であり、またそうしたケースにおいて、過去の記録を頻繁に照らしていたとすれば、多忙なお奉行様が業務に忙殺されながら、しっかりと「公正に公平に」裁判を行うために慎重な審理をしていたんだとわかりますね。
とても、遊び人と称して市中を歩き回る余裕などは無さそうなお奉行様ですが、移民で構成される江戸の町の治安維持やトラブル処理のため、お上と庶民の間を橋渡すお仕事から「遠山の金さん」みたいなキャラクターが産まれたんですかねー。
とにかく、「司法が中世レベル」なんて言うのは「中世の司法関係者」に失礼だねって話ですな。
感想お待ちしてます( ≧∀≦)ノ