あるろう者の半生記
家の前には2本車線の道路があって、
その先は一面の田んぼ
さらにその先にはなだらかな山があり、
家が点々と立っているのが見える
私が住む町、千葉県茂原市は
半分は街
半分は田舎
アンバランスだけど、生まれついた時から
大好きな町だった
緑緑した山たちに
元気にまっすぐ生えている草たち
その空はものすごく青い青い空に入道雲
ー家族ー
こういう空を見かける度におじいちゃんを思い出す。
「おじいちゃん」
ちっちゃい頃は大好きなおじいちゃんが
自転車の後席に座らせてくれて、
漕いで漕いでいつも色んなところに
連れてってくれた。
一宮川沿いにあるコンクリートで敷き固められた
細い自転車道(私はそう呼んでいた)
時々、降りては木の根元からクワガタを見つけてくれたり
虫取り網を持って行ってはトンボ集団目がけて
振り下ろして、5、6匹は捕まえたり
川にいって、ヘリに網を潜らせてみたらドジョウだったり
色んなところに生き物がいる事を教えてくれた
おじいちゃんだった
ただ、私とおじいちゃんは残念なことに
思うようにお話が出来なかった
なぜなら
私が小さい時に原因不明の高熱を出し、
それが原因で耳が聞こえなくなってしまったからだ
おじいちゃんが時折話しかけてくれるけど、おじいちゃんの口の動きはお母さんと違っていつも「一」の字で読み取れない
すごくすごくもどかしかった
だから、面白い!すごい!と思った時は
大きく手を振ったり、全身で力一杯表現していた
そうするとおじいちゃんも嬉しいそうな顔で「ウンウン」してくれたからだ
「おばあちゃん」
私の記憶の中のおばあちゃんは
滅多に笑顔を見せない、静かな印象だった
このおばあちゃんも口がいつも「へ」の字で小さくて読み取れなかった
そのおばあちゃんが笑顔になるのは、おばあちゃんお手製の料理を美味しい美味しいと食べている時だった
子供の頃の私はすごい偏食で、納豆、いくら、ハム、食べられるおかずが…とにかく少なかった!
おばあちゃんが作ってくれた帆立の煮物がすごく美味しくて、試食のはずが平らげてしまい、怒られると思ったら大笑いしていい子いい子頭を撫でてくれたのは今でも覚えてる
そんなおばあちゃんの記憶を塗り替える出来事が起きるのですが、それについてはまた…。
「お父さん」
私はお父さんが怖かった
そして1番嫌いでもあった
家にいる間はずっと不機嫌
お母さんを時々怒っては泣かしてる
おじいちゃんと違って、色んな外の世界へ連れ出してくれない
そのお父さんが、お母さんの田舎に行くといつも笑っているし 話しかけてくれるし優しい
それが不思議でたまらなかった
今思えば「外面がいい」とはこの事かと
「おとうと」
わたしには10離れた弟がいます
弟が生まれてしばらくの間、家が弟を中心に回っているのと母の弟に対する育て方が違うことに不満を覚えて反抗してた時期がありました
今は頼もしい弟で、いまでも時々くだらないLINEのやりとりをするぐらい仲良くしています
「お母さん」
「お母さんについて思い出をお話してください」言われたら1日では足りない自信がある
聾学校に行くとお友達いっぱいいるけど、家に帰ると地元のお友達がいない
なぜなら家は茂原にあるのに、学校が千葉市で電車で1時間かけて通うから家の周りに幼なじみと言える友達もいなかった
だからこそ私にとって母は時として「姉」「親友」みたいな存在だった
今の自分が社会でうまくやれているのは、母の厳しい躾やたくさんの本を読ませてくれたおかげだと思っている