第8話 花火✕囲碁
「大丈夫か、爛柯」
「問題なさそうだ。特に体の節々も痛みはない」
「良かったー」
一同は、爛柯が落ち着いたのを確認すると安堵した。
「しかし、予想以上の人ごみだな。それと列。こんな大勢を相手にしないといけないのか」
「副店長の多面打ちはある意味お祭りの目玉みたいなところもあるからねぇ」
誇らしげに、弥生は言う。
「私達もいつか参戦できたら、って思っていたけど、まさか、お手伝いという形で参戦できるとは」
私達、とは、弥生の店の事だろう。
「おいおい、ライバル店がそんなこと言っていいのか」
「ライバルとは言え、たんに囲碁愛好家っていうところは変わらないし」
「まぁ、そうだな」
「それにしても、日本のお祭り、あなどってたネー。まさかこんなに賑わうとは。ちょっと人ごみに酔った」
「イネッサもよくついてこれてるよ。私だったら無理無理。外国のお祭りとか言ったら
途方に暮れちゃうと思う」
「地元の人間が多いと、安心するな。心強いものだ」
爛柯はまお、副店長、弥生の3人を見つめた。
「えぇと。弥生と俺は、アプリ組、……みおおばさんは、多面打ちって事でいいんだよな」
「いやあ、自分で言っておいてなんだけど、なかなか慣れないもんだね、その呼び方。
副店長の方がしっくり来る」
「俺も、副店長の方がしっくりくるんだけど」
「私は、間をとって、みお副店長にするか」
「しばらくはそれがいいかもねー。単なる副店長よりは仰々しくない」
まおと爛柯と副店長はそれで妥協する事にした。慣れない事はいきなりするものではない。
「もし、アプリを使う人間が増えたとしても、それはそれで普通のゲーム感覚で使えると思うから
問題なかろう。もしアプリが消えたとしても、文句の言える場所もないしな」
「都市伝説、とかにならないといいですけどね」
「人の魂を吸うアプリとか、でか?」
「えー、そんなアプリなんですかこれーーーー!?」
「冗談だ冗談」
「とりあえず、祭りのイベントは13時から15時まで。まぁ、アプリ組は早打ちで一人20組相手できれば
上等だろう。多面打ちの方は30分は最低でもかかるだろうから、3組づつやるとしても10人ぐらいまでかねぇ」
「了解っ」
一同は席に座る。見れば、予想を上回るほどの人数が並んでいた。
「でもって、対局できなかった人には、店での一局サービス券」
「なるほど」
爛柯は、用意周到だと感心した。これなら、今回対局できなかった相手からも石探しをする事も可能だろう。
「あいつは、並んでるかな」
「あいつ、運悪いから、たぶん後ろとかにいそう」
「時間内に会えればいいけどな。とりあえず、そいつの特徴を教えてくれないか?」
「あ、そうか。爛柯ちゃんは見た事なかったね。①背が高い ②胸ポケットには詰碁の本 ③眼鏡
④根暗そう これでだいたいは分かる」
「後、なんかブツブツ言ってるから。気にしない事。対局の最中は無言だと思うんだけど、
それでも言ってしまう悪い癖があるやつだからなぁ」
「名前は」
「高目コウ。タカモク、ね」
「それはまた分かりやすい」
爛柯は吹きそうになった。
「家族そろって囲碁愛好家なんだそうだ」
「家族全員の名前を聞いてみたいものだ」
「俺達も、聞いてみたんだけど、やっぱ予想通りだった」
「やばかった。女子にもつけるなっつーの」
「で? 高目だけに背も高いと?」
言わずにはいられない爛柯だった。
「念のため聞いておくが、そいつが囲碁部をやめた理由は」
まおの一例もあるから、爛柯は念のため確認しておきたかった。
「単なるビビリだったから」
弥生は容赦ない。
「それ以降、対局自体が怖くなってしまったとか」
「ふむ。それなのに、携帯を返すためにわざわざ対局をしに、この列に並ぶと。
努力は認めようじゃないか」
爛柯は感心する。ぶつかった事については何か事情があったのかもしれない。
「爛柯ちゃんって、ほんといい子だよねぇ・・・」
なぜか、弥生に頭を撫でられる。
「?」
どうも、異界で長く過ごして来たからか、世間からは自分は浮いて見えるのかもしれないな、と思う。
それが、いわゆる、「ピュア」であると映れば幸いだが。
(しかし、浴衣での対局というのもやりにくいな。そして暑い。下界は暑いと聞くがそれにしても
暑すぎやしないか)
爛柯はイネッサの方を見た。確かロシアは寒い国だと聞く。自分よりも暑いのではないか?
と様子を見たが、全然そんなそぶりもないようだった。
「何かコツはあるのか? イネッサ」
対局の合間に尋ねてみる。
「”心頭滅却すれば火もまた涼し”というネ! 無の境地ね!」
「そ、そうか」
ある意味、仙女よりもすごいかもしれない。
「弥生は?」
「押しが暑い場所で熱い展開しているのをひたすら考えてます! 暑さに限らずだけどっ!」
ようするに、邪念を活用するという事か、と蘭かは溜息を吐く。
「まおは・・・?」
見れば、携帯画面を真剣に見つめている。なるほど、集中するということか。
「すみません、対局を申し込みたいんですけど。この携帯でお願いしま・・・ふっ」
「あ、かんだ」
「すみま・・・せっ」
爛柯は見上げる。背の高い男性だった。胸ポケットを見てみる。そこには詰碁の本。
顔が前髪で隠れており、美形かどうかまでは分からなかった。
「さっきはすみませんでした。僕、その、打上花火の準備をしていたものでっ」
「君が、高目コウ君」
「弥生に聞きましたか」
「まぁ」
爛柯は、懐から携帯を取り出す。これは、みお副店長から借りたものだった。
「携帯を返す前に、このアプリゲームをどうしてもやってみたく・・・て!」
どうも、人と話す事自体が苦手のようだった。
「そうか」
「怪我はありませんでしたかっ」
多少擦り傷ぐらいはあったものの、特に大事はなかった。
「ま、大丈夫大丈夫。こちらこそ、前を見ていないで失礼だった」
「その、お詫びの、リンゴ飴も……」
(紳士じゃないか)
爛柯はびっくりする。下界にもいい人間はいるものだ、と感心した。
「爛柯、そいつの対局で最後にしていいよ。今日は疲れてるだろうし」
まおも気に掛ける。
「あれ? 天元君も対局してるの」
コウは、前髪を少し上げてまおを見た。
「あ、あぁ。ちょっとずつだけどな」
「そっか。ぼ、僕はまだ対局するのはやめてたんだけど、そのアプリがどうしても
気になって気になって」
「きっかけはなんでもいいんじゃないか?」
爛柯はリンゴ飴を舐めながら言った。対局は食べ終わってからすることにした。
それが、相手への礼儀だとも思った。
「それにしても、打上花火ねぇ」
まおは腕を組みながら首を傾げる。
「ぼ、僕、囲碁をやらなかった間、その、花火師の人達のバイトを手伝っていて。
急に、職人さんが何人か人ごみで来れなくなっちゃったから人手が足りなくなって
困って探しまくってたんだ、よ」
「なるほど」
「それ、素人もできるところなのかい?」
副店長は念のため確認する。
「僕みたいな人間でもやれるようなところを手伝ってほしいって。大会のアナウンスとか
ビラ配りとか」
「ふむ」
副店長は考え込む。
「やることがすでに決まっているんだったら、教えてもらえれば手伝えない事はないな」
「それじゃっ」
コウは安心したように破顔した。
「お願いしますっ!」
(あえて、黒石がないとありがたいのだが、たぶん、私の携帯に黒石が集まっているだろうから、
反応はあるだろうな)
それはつまり、こちらが負けなくてはならない、ことも意味していた。
(ま、リンゴ飴のお礼もあるし)
「コウ君、もし君が勝てたら、君の携帯にもアプリをプレゼントしよう」
「え、ほんと!?」
「……」
爛柯は考える。あまりに強すぎると、逆に相手のレベルにあわせながら負けるというのが難しい。
だが、これもアプリのためだ。
「棋力は」
「だいたい初段ぐらいかなー。ブランクがあるから落ちてるかもしれないけど」
「ふむ」
爛柯はこっそりと、SNSを立ち上げる。そして慣れない手つきでメッセージを送った。
(みんな、驚かないでくれ。私はわざと負ける)
(了解)
これでよし。準備は万全に。
「お願い、します」
爛柯とコウは向き合った。
(なんだ、こいつの囲碁・・・?)
爛柯はコウと対局を始めると焦りはじめた。
(こっちが負けようとすると、向こうもあわせてくる。なるほど、持碁に持ち込むつもりか。
そうはさせまいっ!)
爛柯は、こいつは修行をすればなかなかに化けるのでは? と思った。
ブランクしている間にも詰碁の勉強を欠かさなかったのだろう。
ヨミが正確すぎる。
(コウで稼ぐしか?)
だが、コウ材も見つける事ができなかった。
(心理戦に持ち込むしか?)
一瞬、勝負をしかけそうになるのを振り払った。相手はそれを期待している?
(そうはさせまい)
こちらはあくまでも、負ける事が目的である。勝っては駄目なのだ。
「持碁でもいいんだけど、僕は」
コウがそうぼそっと言うのが耳に入った。なるほど、こっちのやる事はお見通しという訳か。
(……)
投了、という最終手段は使いたくはなかった。
「ね? 今、君、囲碁をやってて楽しいと思ってる?」
「……」
思わず、手を止める。
「もし僕が勝てたとしても、相手がそんな気持ちだったら嬉しくないし。僕が勝たなくちゃ
ならない理由があるのだとしたら、それはやりたくない勝負だな」
「どうしたら」
爛柯は分からなくなった。下界の人間からこんな言い方をされるのは初めてだった。
「結果を考えないで実力全開!」
「それだけ?」
「その方が君も気分いいでしょ?」
「まぁそれはそうだが」
だが、これからの黒石回収の中で、自分が負けてしまう、という可能性もあるかもしれない。
(ならば)
「今まで、君に負ける為の勝負をしていた事を詫びよう。だから、その携帯とこちらの携帯を
交換してくれないか」
「へぇ? それは面白そうだ」
「ここからもし君が勝てれば、五分五分、ということで」
(仙界の気力を舐めるなよ、少年)
と、爛柯は思う。
私は、どんな条件になったとしても、勝てる自信があるっ。
向こうは勝っていると思っているようだが、とある手を使えば逆転できる手が残っていた。
アプリの安全さえ確保できればこっちのものである。
(隙はないのかもしれないが、そっちの囲碁は弱いからなっ)
「そう来なくっちゃ」
コウはにやりと笑う。
これで、条件は対等だ。どうやらその携帯がこちら側にあると彼女は本気を出さないようだし。
「墓穴掘ったな」
「そう、だよね。自業自得。爛柯ちゃんの強さやばすぎだから」
まおと、弥生はあちゃーと顔を手で覆った。
「鬼神だねー、ありゃ。普段は仙女って顔してるけど」
副店長が、思わぬ核心を突く。爛柯が仙女だという事は知らないはずなのに。
「うおりゃーーーーせやーーーーーーーー!!!!」
「ひぃーーーーーーっっっっ」
一瞬で、コウは言った事を後悔してしまった。せいぜい自分と互角のアマチュアかと思っていたのだ。
「参ったか! この野郎っ」
「ま、参りましたっ! まさかあの場面からコテンパンにされるとは・・・」
「爛柯ちゃん! 爛柯ちゃん! 顔が怖すぎ!」
「お店の列はけちゃったよ、どうするんだい」
「あ・・・」
爛柯はふと我に返る。
「面目ない」
慌てて浴衣の裾を整える。
「でも、楽しかった、でしょ?」
コウもはにかむ。
「まぁ、いろんな意味でな」
無事、携帯も取り戻せた。
爛柯は、お礼に、コウの携帯へもアプリをインストールする。
「お店もすぐに畳めて、花火の手伝いにも行けそうだな。やれやれ。まぁ、面白いものが見れた。
爛柯のあの形相、見ものだったなぁ」
「みお副店長っ!」
「爛柯ちゃんもあんな風になるんだーとびっくりしたな。……ギャップ萌え?」
置いておくとして。
「でも、安心したな、僕も。てっきりまおは囲碁やめたかと思ってたからさ。
続けてくれてるだけでもありがたいと思う」
「あ、あぁ……」
まおは、照れながら鼻をいじった。
「俺もさ、コウの腕が鈍っていないようで、安心したよ」
「毎日、詰碁は欠かさず勉強してるから、ね!」
「あれ? それ、新刊? もう出てるんだ。ロシアだと情報が少ないから帰りに本屋も寄って行こう」
「君はアンバサダーの。新聞で見たよ?」
「なんだ、君は、囲碁と関わるものだと人見知りじゃないみたいだな。それに話し方も落ち着いた」
爛柯は気がつく。
「囲碁を通してだと、不思議と安心できるんだ、僕は」
「それはいい事だな」
「君もそうだと思っているけど」
「まぁ、ある意味職業病みたいなものだけどな」
「職業? もしかして院生目指してたとかだった?」
「そうじゃないそうじゃない。ま、それはそうとして。囲碁の後に打上花火、というのもなかなかオツな
ものだな」
爛柯は思う。これぞ日本の風流じゃないか、と。
爛柯達は打上花火の会場に着くと、アナウンス用の原稿を手渡された。
「何々? 『僕は囲碁が大好きでーーーーす! むしろ結婚したいぐらいでーーーーす! 打上花火での宣言でも
主張したいでーーーーーす! 囲碁を愛してやまない高目コウ』……こんな恥ずかしいアナウンス、
読めるかぁああああああーーーーー! こういう所では、彼女とか家族へのメッセージとかだろー!」
「あ、爛柯ちゃん、逃げたっ!」
「じゃあ、私が代わるネ!」
「なんだか、にぎやかじゃないか」
副店長もその光景を眺めながら思う。
「にぎやかすぎじゃないか?」
まおもやれやれと頭を押さえた。
これから先が、思いやられる。
「父さんも、笑ってるだろうなぁ」
空を見上げる。
「爛柯ちゃんがずっとうちにいてくれたらいいのにね。私は機会があれば、お前と同じように
養子にしたいぐらいだ。まぁ、彼女の事情も分からないけど、そろそろ話してくれても
いいんじゃないかなと思ってる。それにさ、もしそれが無理だとしてもさ」
「な、なんだよ」
「お前が爛柯ちゃんとくっつけばいいじゃないかー! それこそ一石二鳥、だよーーーー!」
「するかっ! あんなじゃじゃ馬」
「照れるな照れるなっ」
「あ、花火」
どどーん、という轟音とともに、花火が打ちあがる。会場にいる人々の顔を照らした。
「今年はさ、この祭りも、中止になるんじゃないかって話もあったんだけどさ、中止にならなくて
良かったよ。ギリギリ、間に合ったというか。もしかすると、あの勝負がなかったら、花火だって
中止になっていたかもしれない」
「そう、かもな」
「もしさ、爛柯ちゃんが、その為に囲碁をやっているとしたらさ、それは大変な事だと
思う」
「みお副店長……」
「囲碁で戦う正義の味方? みたいな」
「うーん、ある意味そうなのかもなぁ」
まおは、逃げ回る爛柯を見つめた。
「むしろ、正義の鬼神、かもしれないけど」
なるべく、関わりにはなりたくない方だ。
「ま、まおもせいぜい、手伝ってやんな? 仲間も増やしてさ」
「うん、まぁ」
「うーん、丁度5人揃ったんだから、歌って踊って戦える、囲碁レンジャーなんてどうだ?」
「やらねぇええええーーーーーー!」
「わははははははっ」
逃げる副店長を追いかけるまお。
そんな一同を、打上花火はずっと見守るのだった。