第1話 それを司っているのはセカイですか? それとも世界ですか?
「んー・・・困った。本当に困った」
爛柯は自室の中で頭を抱えながら右往左往していた。
目の前には、宇宙の全てを司る事象を表す碁盤が置かれている。
この碁盤は、女仙を支配する女神より預かりし、法具の一種のような大切なものだった。
世界を司る・・・星々を現した黒石・白石の内、黒石を入れていたはずの碁笥が、石ごとまるまる
見当たらない。
「やばいぞ・・・やばいぞ? 次の手合いまでになんとかしないと」
仙女達は、たまに神々と囲碁の対局を執り行う。ただ、その対局は、世界の在り方、を
決めていく、神々にとっても人類にとっても大事な行事であった。
「仙界に見当たらない・・・となると、下界か」
今時、『仙女』という存在自体も稀有な時代である。むしろ、下界に、神絵師を始め、
むしろ昔の神々よりも実はすごいんじゃね? と思われる人類が大勢闊歩しているという時代だ。
「むー・・・背に腹は変えられぬ」
仙女としては、下界に降りるにあたって、様々な人間や物質に擬態できるという特技がある。
「人間に擬態してしまうと、腹は減るがな」
何者が、何の目的で、このような事を、という事も調べなくてはなるまい。
・・・それと。
万が一、下界で調査をしている間に、『言い訳』をする理由がないと。
「あ、そうだ」
頭から、両腕を離す。
しばらくの間、時間稼ぎはできるだろう。
『下界に囲碁を普及しに行きます。むしろ、次の仙界を担ってくれる跡継ぎなぞ
スカウトして来ます』
・・・これだ!
不老不死、の能力を持つ仙人や仙女と言えども、もっぱら現在は人手不足である。
(西王母様も、毎日毎回同じ相手じゃつまらんとか言ってるしなー)
そろそろ隠居したい、という事をぼやいていた事もあるし。
もしかすると、西王母様も何かご存知なのかもしれない。
「別に、なくしたのは自分じゃないんだけど、管理不足とか怒られるのは確実だしな」
諦めるしかない。
もしかしると・・・という仮説を一つ。
(世界が滅びかけている?)
世界は、”遊び”によって成り立っている、という面もある。
その一面を表すのが碁だ。
遊ぶ事はすなわち、世界が平和であるという象徴でもある。
(自然に、碁笥が石ごと下界に消えて行ったという可能性も大か・・・)
爛柯は覚悟を決めた。どちらにしても、世界がまずい状態にある事は間違いない。
「やはり、そうですか・・・」
西王母に、馬鹿正直に話した。仙女の能力の一つでも剥奪されても仕方ないと思っていた。
「ここ最近、下界で、”遊び”をする余裕がなくなって来たようです」
にこやかに、母のような笑顔でほほ笑んでくれながらも、その表情には憂いを感じられた。
「邪鬼どもも、ざわついていたようですし」
「・・・邪鬼?」
「お前の部屋から、邪鬼が出て行く所を見かけた者がいる、と」
「・・・え? いつの間に!?」
気がつかなかった。自分自身も驚くべき事実だ。
「そなたの申し出、ありがたく受理しましょう。丁度、後継者にも困っていた所ですし」
一応、『言い訳』の方も通ったようである。
「くれぐれも、次の対局までには、なんとかしてくださいね♪」
その顔には、(はぁと)と書いてあった。
「ひとまず、あなた一人では心細いでしょうから、下界でパートナーを見つけてもらって
かまいませんよ?」
「男女問いません?」
「えぇ」
「一人以上でもOKです?」
「OKです」
条件が甘いなぁと思いながらも、これは、死んでも絶対に石を見つけて来い、という事なのだ。
背筋がぞーっとした。
「善処します」
「がんばって♪ あ、それと。徒歩で探し回るのも大変でしょうから、あなたに下界でも
使用できる”仙女携帯”を授けます」
「・・・はぃ」
「これに、地上で散らばった石が、地図に反映されるはずですので、
それを頼りにゲットせよ、と」
「んーー?」
なんかそんなアプリが下界にあると聞いた事がある気がする。
「実際に歩いて石があるとマッチングすれば、その時の勝負で勝てたら石を回収できるはず♪」
「そのアプリ、誰が作ったんです?」
「わたくし♪」
才能の無駄遣いである。でも、やはり背に腹は変えられない。
(えーと・・・アプリの名前は・・・っと)
恐る恐る見てみる。
「・・・『仙女の碁盤』・・・」
私はガタッと崩れ落ちた。ベタ過ぎる。
「仙界と通信もできるから」
「ところで、黒石はいくつあるか知ってる?」
「ぇえ・・・一応は。113個ですよね」
「そうそう。ちなみに、囲碁には団体戦とかペア碁とか、多面打ち、とかもあるから
駆使してもいいわよ?」
「私に参加せよと?」
「下界のパートナーに任せていけばいいじゃない?」
「そうですが」
おそらくは。インターネット碁は数にカウントできないだろう。
その対極の相手が遠くにいた場合、回収はできるのか?
こればかりはやってみるしかない。
「行ってらっしゃーい!」
「・・・行ってきます」
私は、意を決して地上に飛び降りた。
飛び降りた先はどこになるか分からない。
おそらく、囲碁に関連した出入口から降りる事になるだろう。
仙界から地上に降りるその時、地上を見降ろしてみたが、なんの異変も感じなかった。
そもそも、今の世界で、囲碁界はどうなっているんだろうか。
『囲碁界』っていう言い回し自体、何かの異世界もののようなフレーズだけど。
一時期、囲碁もブームになった事もあるようだが、また、そのような時代が来てくれるの
だろうか。
・・・囲碁を愛している人々に会う事はできるのだろうか。
世界は平和であってほしい。笑いながら囲碁を打ち合えるような。
そう願わずには、いられなかった。