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第七話

「はい、これ、持っていきな」

 モードは目の前に差し出された物を、信じられないという面持ちで見つめた。

 パンである。ほかほかの、焼きたての、香ばしい香りを放つ、美味しそうな白パンである。

 表面は少し固いが、割ればふんわりとした白い生地が覗くであろうことが想像できる高級パン。

 差し出したのはローザだ。「フン」とでも言いたげにふんぞり返って。

 バスケットに幾つか入れられたこの素敵な白パンの山を、モードにくれると言う。

「い、いいんですかこれ? こんなにいっぱい……うわぁ〜、うわぁ〜」

 モードは感激して受け取った。なかなか心憎いことをしてくれる。

「ローザさん、どうも〜!」と首に抱きつくと、意外と優しいところのある口の悪い使用人は、「残したら承知しないよ!」と照れ混じりに怒った後、ほんの少しだけ表情を緩めた。

 今日、これからカーマイヤー邸を出て、町へと出発するところである。

 結局、ルシアを懐柔することはできなかった。

 何度も冷たくあしらわれ、たしなめられ、とうとう涙ながらに出て行くことを決心した。

 どちらにしろ、出て行かないことには事態も動かない。

 取るべき行動を見定めるため、これまで滞在していたが、もはや答えはひとつしかなかった。

 だから、杖を手にモードは立ち上がり、自分をぐるりと囲む面々を見渡した。

 ルシア、ローザ、子供たち。

 子供たちはあれほどモードに突っかかってきたにも関わらず、泣きそうな顔の子もいる。

「それじゃ〜」

 モードが言うと、子供たちはワッとモードに抱きついてきた。

「頑張れよ!」

「もう危ない道は歩くなよ!」

「仕事が見つからなかったら、またおいでよ、おじさん!」

「だから”おじさん”はやめてくださいって!」

 しばらく抱擁されるがままにまかせていたモードだったが、いつまでも離してもらえそうにないので、ゆっくりと子供たちを引き剥がしていった。

 最後に、腰にへばりつくダニアンを抱き上げ、正面に降ろす。二、三度その頭を撫でてから、ルシアを振り返った。

 ルシアは申し訳なさそうな顔をしていた。しかし、モードを引き止めるつもりはないことは、よく分かっている。墓参りの時から何度か感じた視線で。

 ルシアの後ろに、ジョッシュがいた。

 何か言いたげな、張り詰めた表情は消えていた。今はただ、困惑した顔でモードを見ている。

 結局、ジョッシュの試みが成功することはなかった。決意が固まるには至らなかったらしい。

 そうこうする内の別れに、まだ自分の中で整理がつかないのだろう。

 彼が何を相談したがっているか、おおよその見当はついた。彼の想像はあながち外れてはいないだろうが、期待には応えられそうにないことを少しすまなく思う。

 きっと、彼には辛い現実が待っている。

 あの深紅の花びらを見るに。

「本当に、馬車で送らなくていもいいんですか?」

 ルシアの気遣いを、モードは「いいんですよ〜」と軽く断った。

 心配そうに窺ってくる瞳に投げキッスを返す。一瞬で侮蔑の色に変わった。早く出て行った方がいいかもしれない。

「さようなら〜みなさん」

 見送る面々が拍子抜けするほど呆気なく。

 杖をついたのんびり屋の青年は、明るく別れを告げ、その朝、カーマイヤー邸を後にした。

 

 

 * * * * * *

 

 

 その夜、ルシアは食卓で、そろそろ告げねばと思っていた事柄を子供たちに伝えた。

 モードがいる前では言いづらかったのだ。ダニアンは特に、あの青年に懐いていた。

 行きたくないと言い出すのではないかと懸念していた。

 モードを町にやりたかった残る理由はこれである。

「みんな聞いて。実はね、ダニアンを引き取りたいという人からお手紙がきたの」

 子供たちの反応は予想通りだった。

 

「えぇ〜っ! ダニアンも行っちゃうの!?」

「そんなのやだよ〜っ」

「淋しくなっちゃうよう」

 

 口々に不満の声があがる。

「いつ引き取られていくの、ダニアンは?」

「実は明日、もうダニアンを連れていく約束になっているの」

 不満の声はさらに大きくなった。

 あまりに突然すぎる別れ。

 皆から可愛がられていたダニアンだけに、簡単には納得してくれなさそうな雰囲気である。

「そうね。淋しいわね。でも、せっかくダニアンにご両親ができるんだから、祝福してあげなきゃ」

 ルシアは懸命に子供たちを説得した。

 ルシアとて、ダニアンと別れるのは辛い。

 二歳の時、事故で両親を失ってここに来たダニアンは、そんな暗い影など全く見せない、明るいいい子に育った。

 一番可愛がっていたのはルシアである。

 無邪気なダニアンに何度心を慰められたことか。

 亡くなったアルフと同じ年頃のダニアンを見るたび、幸せを感じていた。

 しかし、孤児を引き取ってくれるという家庭は少ない。

 単純な労働力として十歳を過ぎた子供を欲しがる人は多いが、そのような家庭では大抵子供は重労を強いられ、不幸になる。

 小さな子供を欲しがるということは、家族として引き取ってくれるということである。

 これはダニアンにとって数少ないチャンスなのだ。

 そのことを説明すると、子供たちは不承不承ながらに、不満の口を閉ざし始めた。

「ダニアン……頑張れよ」

「向こうに行っても、俺たちのこと忘れないでくれよ」

 今度は祝福と餞別の言葉を送られ、嫌がって泣いていたダニアンも、小さく頷く。

 ルシアはホッとした。あまり泣かれると、自分も泣いてしまいそうだった。

「えらい子ね、ダニアン」

 小さな体を、ぎゅっと抱き締める。

 その時、ジョッシュが言った。

「どうしてダニアンなのさ」

 一瞬、何を言われているのかわからなかった。

 ルシアはジョッシュを見た。鋭い瞳が射抜くように自分を睨みつけている。

「どうして、って……子供に恵まれなかったご夫婦なのよ。やっぱり、子供が欲しいと思ったんじゃないかしら」

「違う」

 違う?

「その夫婦、いつダニアンを見たのさ。引き取りたいと思うんなら、一度は顔を確かめに来るだろ? そんな人、ここ数ヶ月見てないじゃないか」

「でも……」

「本当にダニアンが欲しいって人なの? ダニアンのどこを気に入ったの? 明日って、あまりに急じゃない?」

「ハンスから子供たちの話は伺ってるとのことだったから、多分、ハンスがダニアンを推薦したのよ。手紙の文面を見ただけでも、とっても優しそうな感じだったわ」

 ルシアはジョッシュを安心させようと言った。

 しかし、ジョッシュは責めるような眼差しを解かず、席を立ち上がる。

「俺、もう寝る。おやすみなさい」

 無愛想にそう言うと、食堂を出て行く。

 どうしたらいいかわからず、ルシアはその背中を、戸惑い顔で見送った。

 

 


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